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西条市

村上盛一(1884~1945)

 明治17年9月4日東予市庄内旦之上の生まれで、明治36年県立西条中学校を卒業し、大阪実業学舘で1年簿記を修め、同38年山砲第11連隊に入隊。日露の役に出征、功により同39年勲八等を受く。かくして馬に深い関心を持つようになる。明治45年庄内村産業組合専務理事に迎えられ、産業振興に努めた。大正8年周桑郡愛馬会の会長に推されて、畜産奨励に生涯を捧げる発端ともなった。同年35歳で庄内村長に当選、以来6期24年を担当するが、その間1期を終え12年県会議員に初当選する。昭和3年周桑郡畜産組合長となり、さらに県畜産組合連合会副会長、同7年には帝国馬匹協会監事、12年同協会中央実行委員となる。18年に壬生川輓馬組合長および県軌馬組合理事に選任された。この間、村内に馬産改良クラブを結成し、先進馬産地より優良種馬の導入による産馬の奨励に中心的な活躍をすると共に、大正10年には念願の東予に種畜場を誘致する運動が稔って、愛媛県立庄内種畜場が設置され、さらに村内大野に高知種馬所大野種付所を開設するなど、県内最大の家畜改良増殖の拠点として畜産農家の大きな支えとなった。その後牛肉の需要の増大や牛耕が普及するにつれ、畜牛経営も盛んとなり、さらに肥育牛が奨励されるようになり、地域は県下有数の肥育牛産地となり、家畜の取引も頻繁となり、その公正取引を期するため家畜市場の整備に努めた。また昭和16年2月から19年3月まで農林省一般農産物価格協議会の畜産専門委員として、戦時統制下の家畜及び畜産物価格の設定に寄与するなど全国段階での功績も大きく、大正11年には大日本中央畜産会から功労賞、銀盃一組を贈られ、同15年には農林大臣より畜産奨励金を授与され、昭和3年には同じく農林大臣より馬匹奨励功労賞並びに銀盃一組を、同5年には大日本農会長から名誉賞状を、翌6年には農林大臣より畜産業務の精励に対し表彰状並びに白金時計を授与され、8年には陸軍大臣より地方馬匹調査に関し感謝状を贈られ、13年には農林大臣より馬事振興に対する功労賞および日本競馬協会からも馬事振興の功労に対し感謝状と銀盃を贈られ、14年に勲七等に叙され、19年には紺綬褒章を授与された。翌20年10月10日惜しまれながら61年の生涯を終えた。郷党相はかり輝く氏の恩恵、遺徳を偲び30年に庄内公民館前に頌功碑が建立された。(『愛媛県史 人物』より)


①村上盛一彰功碑Ⅰ

①村上盛一彰功碑Ⅰ

西条市旦之上甲292-1、庄内公民館

②村上盛一彰功碑Ⅱ

②村上盛一彰功碑Ⅱ

西条市旦之上甲292-1、庄内公民館