データベース『えひめの記憶』
面河村誌
(六) 正八幡神社(若山)
若山集落の入口、県道ぞいにある。
天授二年(一三七六)山城国男山八幡宮(石清水八幡)から、足仲彦命・誉田別命・気長足姫命の三座を勧請して祭られたものと伝えられている。
寛永十二年(一六三五)本殿と拝殿を再建した。しかし、その位置は、現在の神社山の頂上近く、旧街道(元若山小学校、現少年自然の家の横道)よりも上の方であった。非常に荒神様で、それならいっそのこと道(旧街道)より下へ移せと、現位置に移転したという。
今の社殿は、安政二年(一八五五)に、新築したものである。境内の杉の大木は、県道工事のため、伐採され、神社山の松・杉も若山小学校建築費のうち、部落負担金捻出のため全伐し、そして新たに植林したものである。
通称「とこうらさん」の森と、神社境内一帯は、古来から若山部落の聖域、八幡さんの「お使い」といわれた、頭に八の字の模様のある蛇が、社殿の床下などに数多く、とぐろを巻いていた。
これらの六社は、かつては村社として、大組又は小学校区に一社ずつであるが、そのほかにも集落で維持した神社が、数々ある。
天 神 宮 渋草 里成
古くから祭られていたものであるが、昭和五十二年面河村役場新築のため移転新築された。
神 社 大成
八社神社 前組 黒妙
昭和に入り火災のための全焼、現在この境内に集落集会所がある。
大正四年村内尋常小学校の六校連合運動会がこの境内で挙行された。
相ノ峰神社 相ノ峰
大元神社 若山・峰
峰に在り、峰・中ヶ市両組で維持している。
大元神社 若山・草原
草原銅山の往時をしのぼせる構えであるが、過疎はなはだしくかつての面影はさらにない。
天神宮 川ノ子
八社神社 相ノ木
藩政時代の神社
久万山手鑑(寛保前後 一七四○前後)書記によれば、当時本村の神
社について、次のように記載されている。(原文のまま)
杣 野 村
祭 礼 九月十六日
一 氏神八幡宮 菅信濃
神 殿 一間・一間半
舞 殿 二間・三間
相之峰祭礼 十一月二日
一 六拾祭孫宮 右同人
神 殿 一間・一間半
舞 殿 二間・三間
一 八幡宮 右同人
神 殿 三間四方
舞 殿 二間・三間
祭礼日 三月 とどろ
一 八幡宮 右同人
神 殿 三尺四方
舞 殿 二間・三間
祭礼 五月二十五日 笠方 右同人
一 大明神
神 殿 二間・二間二尺
舞 殿 二間半・三間
大味川村
祭礼 六月十五日 十一月朔日
社人
一 氏神正八幡宮 菅信濃
神 殿 一間・一間四尺
拝 殿 一間二尺・二間
舞 殿 三間半・五間
中ノ宮
一 六拾余孫宮 小社
川崎有
一 河崎六拾余孫宮
祭 礼 六月十日 十一月六日
一 三社大明神 社人
神 殿 五尺・一間二尺 窪越俊
舞 殿 二間半・四間
相之木祭礼 六月六日、十一月十三日
社人
一 六拾余孫宮 菅信濃
若山祭礼 六月八日 十一月十五日
一 鎌倉八幡宮
神 殿 四尺・六尺
拝 殿 二間半・三間
一 若 山
天神宮 小社