データベース『えひめの記憶』
面河村誌
(二) 上浮穴高等学校(定時制)面河分校
新憲法と教育基本法の制定によって、教育の機会均等の主旨の浸透とともに、勉学に対する機運も高まり、本郡内においても、働く青年たちのための定時制高校の設置が、青年たち自身と心ある地域住民の熱望するところとなった。
久万町に全日制の上浮穴高校をもつ郡内各町村では、定時制課程の設置を関係機関へ働きかけ、昭和二十三年九月、上浮穴高校の校舎を併用する定時制課程久万中心校のほか、郡内に面河・直瀬・仕七川・柳谷・御三戸の五つの分校が設置された。
面河分院は、渋草八幡神社隣接の旧青年学校校舎を使用して中学校と共用で開校された。昭和二十四年、中学校が現在地に移築した後は、一部中学校の冬季間の臨時寄宿舎として使用された以外を、専用校舎として授業が実施され、昭和三十年三月の閉校まで七か年間存統した。
一、設置・廃止
1 開校
上浮穴高等学校(定時制)面河分校として、昭和二十三年九月設置が決定され、続いて開校した。
なお、村内の中組と笠方にそれぞれ分室が設けられていた時期もあった。
2 廃校
昭和二十九年二月一日生徒募集の停止が決定され、翌三十年二月一日廃校が決定した。
昭和三十年三月末、七か年間続いた面河分校は閉校となった。
二、年度別生徒数
二十三年度 三〇名 二十四年度 二八名 二十五年度 四六名
二年制 二年修了で修了証書が授与され、四年制に入る希望者は引き続き久万中学校に通った。
二十六年度 七〇名 二十七年度 六八名 二十八年度 五〇名
二十九年度 八名
四年制 二九年度は生徒募集が停止されたので新入学生はなく、また、低学年生の中には退学者も出たもようである。
三、授業並びに生徒の概況
1 昭和二十八年度までは、昼間部と夜間部が設けられ昼間部は週四日、夜間部は休日以外毎日午後の七時ころから一〇時まで三時間の授業が行われた。
二十九年度は夜間部のみとなった。
2 生徒は、中学校卒業生の中で、進学・就職で家庭を離れる者のほか、ほとんど全員入学した。したがって、女子の入学者が特に多く、家庭科が最も盛んであったそうである。
3 入学生の中には、二十五~三十歳の人もおり、青年たちの向学心のほどがうかがわれる。
4 二十九年度在学生は、学業半ばで廃校が決定されたので、在学中から通信教育による勉学も併用し、廃校の後も独学で勉強を続け、全員卒業資格を獲得したそうである。