データベース『えひめの記憶』
双海町誌
第九節 幕府巡見使と大名
巡見使は行政監査を実施するために、幕府の隠密が非公式に調査した藩の状況を参考にしていたという。そのため、巡見使は大名たちから、特に外様大名から敬遠されていた。巡見は主に将軍が交替したとき行われる。要点としては、全国の藩で武家諸法度が守られているか、行政は滞りなく行われているか、幕府への謀反など、不穏な動きはないか、などが挙げられる。
一八三八(天保九)年七月、幕府巡見使曽我又左右衛門・副使大久保勘三郎等一行八九人が大洲藩を巡見している。当時の藩の 「定」はこうであった。
定
一、毎年七月宗門改め手札をもらう事
一、職人之運上金の事
一、船の税金は蔵米一石に付銀一分五厘は大阪まで、同二分五厘は江戸迄と定あり
一、船の漁税は帆一反につき銀八分
一、切支丹一向宗の入国は禁ず
一、下男、下女の年期は五年、七年、一〇年契約で、それ以上は藩が許可しない事
一、盗人や、バクチ打取締りの事
一、家来を他国から召し抱える時は藩庁の許可を要し自由には出来ない事
一、葬式は土葬で、親孝行者には藩は褒美を出す事
一、海港、境界は見張所をきびしく他国者の出入りは厳重に調べる事
一、赤子の間引厳禁の事