データベース『えひめの記憶』
愛媛県史 年表(平成元年2月28日発行)
近代〔明治20(1887)~明治25(1892)〕
1887 (明治20) 〔丁亥〕
【月日】 【事項】
1―7 県、県下小学校の教科用図書を仮に定める〔県布達〕。
1―24 県、入歯歯抜口中療治接骨営業取締規則を布達する(2―1施行)〔県布達〕。
2―23 県、勧業委員設置準則を改正する〔県布達〕。
2―23 県、小学校設置区域及び位置を告示する(うち伊予分の開校予定数、尋常小学校161校・簡易科446校)〔県布達〕。
3―7 県知事関新平病死する〔県布達〕。
3―8 藤村紫朗(熊本県士族、山梨県知事)、本県知事に任命される(5―27 着任)〔県布達〕。
3―9 県、地方税施行規則を布達する(4―1施行)〔県布達〕。
3―26 丸亀・高松・松山・今治電信分局を電信局と改称される〔県布達〕。
3― 県内勧業会設立数44(うち勧業33・農業会10・林区会1)、同業組合数18 (伊予国分)〔引継書〕。
3― 小林信近・長屋忠明らが伊予教育義会を設立、私立中学校創設のため資金募集を始める〔井手正光『逐年随録』〕。
4―1 伊予織物改良組合、事業を開始する〔県誌稿〕。
4―1 尋常小学校302校(伊予分167)、小学簡易科657校(伊予分451)開校する〔県学事年報摘要〕。
5―4 道後竹薮跡(湯築城跡)での散策が許可される〔松山市史年表〕。
5―23 県立第一中学校を廃止する〔県布達〕。
5― 岡村・伯方村専用漁場へ広島漁民が多数侵入する〔県誌稿〕。
5― 郡立高等小学校17校(伊予分11)開校する(~6)〔県教育史〕。
5― 筒井孝次郎ら愛媛県士族(旧丸亀藩士族か)43戸、屯田兵として室蘭兵村に入村する〔屯田兵物語〕。
6―7 松山の卒族320名、共同して製革・製靴業を営むための資金3,660円の貸下げを出願、この日農商務卿許可する〔指令本書・労働運動史〕。
6―12 愛媛教育協会が設立される〔県教育史〕。
6―28 県、郡医を廃止する〔県布達〕。
6―30 松山蚕糸会社、繭品評会を開催する(7―14 西条蚕糸会社の繭品評会開催、この頃、各地で繭品評会盛ん)〔海南〕。
6― 藤岡勘三郎、仲田傅之□(・镸に公)ら松山商法会議所会頭小林信近に松山取引所設立の賛助方を請願する(明治27・8― 松山米穀取引所として開業)〔松山商工会議所百年史〕。
6― 県立松山病院の新築落成式挙行される〔同院沿革略誌〕。
7―15 愛媛教育協会、『愛媛教育協会雑誌』を創刊する〔県教育史〕。
7― 県下の各町村に衛生係が任命される〔県医師会史〕。
7― カトリック神父2名松山に定住し、久保町に教会堂を建立する〔愛媛宣教百年〕。
8―2 県、郡役所処務規程を制定する〔県布達〕。
8―15 十州塩田同業会紛議事件おこる(東讃製塩業者、製塩作業制限を不満として同会を脱退、11―22県会、十州塩田組合会に関する布達廃止を建議、12―26県知事、布達取消しで解決)〔日本塩業大系〕。
8―22 藤村知事、養蚕創業者に蚕種精選・桑樹植付けなどの注意を促すよう郡長に訓令する〔県布達〕。
8― 今治婦人会が創立される〔愛媛の女性史〕。
9―14 松山鉄道会社創立総会開催、社名を伊予鉄道会社と改称する〔伊予鉄道百年史〕。
9―24 キリスト教松山教会の信徒、松山婦人会を結成する〔愛媛の女性史〕。
9―25 南メソジスト宇和島教会が設立される〔四国地方キリスト教史年表稿〕。
9― 八幡浜製紙会社設立される〔海南〕。
9― 三坂峠開さく工事竣工する〔土木例規〕。
9― 別子銅山、囚人600余人を新規に使役する〔海南〕。
9― 松山市街の戸長役場、清潔法実施委員会を組織する〔県医師会史〕。
9― 宇和島で伝導中の宣教師ランバス、旧藩主伊達宗紀を診察、以後宇和島の宣教活動が盛んとなる〔四国地方キリスト教史年表稿〕。
10―1 今治白木綿商組合が設立される〔海南〕。
10―2 藤村知事、養蚕奨励と桑樹植付けについて告諭を発す〔県布達〕。
10―3 松山千船町の谷田織物製造所オランダ製の織物機械を設備し、綿ネル製造に着手する(県下力織機設備の最初)〔海南〕。
10―7 松山監獄署、繰綿を買い入れ、女囚140人が織物製造を行う〔海南〕。
10―13 劇場新栄座(松山大街道)こけら落し、市川左団次一座来演する〔松山市史料集〕。
10―16 鍵谷カナ女の祭典および建碑式、伊予郡西垣生村(松山市)で挙行される〔松山市史年表〕。
10―25 宇和紡績会社の創立総会が西宇和郡川之石浦で開かれる〔保内町誌〕。
10―27 今治の卒族池内喜平太ら120名、蚕糸業の資金貸下げを出願、この日、農商務省は2,160円貨下げを認可する〔指令本書・労働運動史〕。
10― 海南新聞、松山の織物製造所(マニュファクチュア)5社の内容及び松山・温泉郡・伊予郡・風早郡・和気郡などの織物組合の現況を報道する〔海南〕。
10― 和気郡三津浜の漁民、呉軍港建設工事の人夫に雇われる者多く漁民3割減る(このため三津の魚市が扱う生魚減少し価格騰貴)〔海南〕。
10― 今治婦人会々員、婦人英語研究会を結成する〔愛媛の女性史〕。
11―4 新居郡泉川・金子・萩生村の藍製造者、藍製造組合を設立、伊予絣製造人に売捌くため松山に売捌所を設置する〔海南〕。
11―5 私立松山女学校、愛媛県第一中学校跡(二番町)へ移転、開校式を行う〔松山東雲学園100年のあゆみ〕。
11―12 県内にも三大事件建白運動おこる(元老院提出建白9件、署名人員606人)藤野政高・有友正親・白川福儀・坂義三・岩本新造ら建白者代表として上京する(12―27藤野政高ら、保安条例により退去を命じられる)〔政党沿革誌〕。
11―15 通常県会開会される(12―12閉会)〔県会資料〕。
11―18 八幡浜婦人懇談会結成される〔愛媛の女性史〕。
11―24 今治婦人会々員、今治婦人親睦会を開催する〔愛媛の女性史〕。
11―27 風早・和気・温泉・久米4郡の勧業懇談会、松山の大林寺で開催する(発起人総代池内信嘉、参加者320名)〔海南〕。
12―1 歩兵第22連隊に第3大隊が増設され、連隊の編成を完結する。〔四国師団史〕。
12―1 旧松山藩主久松伯が上京学生のため東京に常盤会寄宿舎を設立する〔常盤会及常盤会寄宿会史〕。
12― 今治米穀商組合が設立される〔県信連三十年史〕。
12― 今治の士族中山義見ら128名、授産事業不振により地所及び製糖機械を上納して借入金の弁済にあてることを出願、この月、県は農商務卿の承認を得てこれを許可する〔指令本書・労働運動史〕。
12― 八幡浜製糸会社職工、酷使に抗議して職場放棄をする(本県初の労働争議)〔海南〕。
この年 風早・和気・温泉・久米4郡米価改良組合設立、温泉郡農業議会設立、愛媛県殖産協会設立される〔県信連三十年史〕。
この年 温泉郡中島の森田六太郎、和歌山県より温州みかん苗木100本を買い入れ2反歩余りの畑に植付ける〔県果樹園芸史〕。
1888 (明治21) 〔戊子〕
【月日】 【事項】
1―19 県、茶業組合準則を廃し、茶業組合会議所の設置を指示する〔県布達〕。
1―22 大日本私立衛生会愛媛支部が設立される(明24・8―解散)〔県医師会史〕。
1―23 県、宿屋取締規則を布達する〔県布達〕。
1―31 県、街路取締規則を改正する〔県布達〕。
1― 住友新居浜分店支配の田地334町余に達す〔垂裕明鑑〕。
1― 松山営所内に歩兵第10旅団本部が設置される〔四国師団史〕。
2―10 県、魚市場営業地区納税組合規則を布達する(4―1施行)〔県布達〕。
2―10 県、営業者組合規則を廃止する〔県布達〕。
2―29 知事藤村紫朗免官、白根専一(山口県士族)、本県知事に任命される(3―21 着任)〔県布達〕
2― 松山教会(プロテスタント)、松山監獄署内で伝道を開始する〔四国地方キリスト教史年表稿〕。
2― 師範学校敷地紛争おこる(師範学校の新築移転を予定した松山木屋町・府中町の地主と県との地所購入交渉難行、3―3県、公用土地公用規則を適用して買い上げ強行、5―21地主、大阪控訴院に提訴、明23・5―26大阪控訴院判決、原告勝訴、土地代価の再評価により支払金増額を県に命令)〔引継書〕。
3―7 県立松山養蚕伝習所(温泉郡持田村)設立、養蚕伝習規則を制定する。〔県布達〕。
3― 住友、養成生規則を制定する〔垂裕明鑑〕。
4―3 三宅雪嶺ら政教社を結成し『日本人』を創刊する。
4―17 県、蚕糸業取締規則を制定する〔県布達〕。
4―24 臨時県会が開会される(4―28 閉会)〔県会資料〕。
4―25 市制・町村制が公布される。
4―30 黒田清隆内閣成立する。
5―1 中国四国銀行同盟会設立する〔伊豫銀行史〕。
5―1 波止浜教会が設立され、同会伝道師、別子銅山監獄所にて伝道を開始する〔四国地方キリスト教史年表稿〕
5―8 枢密院の開院式が行われ、天皇、皇室典範・憲法草案諮詢の勅語を下す。
5―8 伊予鉄道、松山~三津浜間敷設工事に着工する(10―23落成式挙行、10―27鉄道開業免許下付、日本最初の軽便鉄道)〔伊予鉄道百年史〕。
5―10 「海南新聞」、師範学校敷地紛争を報道、県の敷地強行買上げと地主の反対運動を解説し、円満な解決を望む〔海南〕。
5―14 大和田建樹・奥好義選『明治唱歌』第1集(~明23・8―13第5集)刊行される〔日本唱歌集〕。
5―16 県立松山病院内に県立獣医学校を開校する(明25・7―30閉校)〔愛媛畜産沿革誌〕。
5―24 警察船第1愛媛丸が就航する〔県警察史〕。
6―5 県、公私立学校に天長節紀元節祝賀式挙行を指示する〔県布達〕。
6―8 宇和紡績会社が設立される(西宇和郡川之石浦、東洋紡績川之石工場の前身同22年12―12開業)〔保内町誌〕。
6―22 県、煙草営業人心得書を布達する〔県布達〕。
6―22 愛媛県庁・松山警察署・松山監獄間に電話線が開設される〔四国電信電話事業史〕。
6― 酒井六十郎、西宇和郡矢野町(八幡浜市)で織物業を開始する(昭7・6―10社名を丸喜綿布、同16・6―酒六と改称)〔同社資料〕。
6― 県立道後公園が開園される(湯築城跡)〔県誌稿〕。
8―31 私立伊予尋常中学校が設立認可される(9―20 開校、伊予教育義会経営)〔県布達〕。
8― 松山大街道にガス灯が架設される〔愛媛百科〕。
8― 尋常師範学校、女生徒25名の入学を許可する〔県教育史〕。
9―1 県、小学校教科用図書を告示する〔県布達〕。
9―21 県、学生生徒礼式要項を指示する〔県布達〕。
9―28 松山~三津間、鉄道工事が竣工する〔伊予鉄道百年史〕。
9― 宇和4郡製蠟組合が設立される〔新報〕。
9― 鈴木重遠・藤野政高ら、県下で大同団結運動地方機関の結成に奔走する〔政党沿革誌〕。
9― 鈴木重遠・井手正光ら旧松山藩士族、松山同郷会を設立して育英事業を開始する〔松山市史年表〕。
10―4 県、尋常師範学校職員制服につき布達する〔県布達〕。
10―7 造営中であった皇居落成する。
10―20 小林信近ら「豫讃新報」を創刊する(明22・2―11愛媛新報と改題)〔政党沿革誌〕。
10―28 伊予鉄道松山~三津浜間が開業する〔伊予鉄道百年史〕。
10―29 私立喜多学校の設立が認可される〔明治21・22年私立学校〕。
10― 松山米穀商組合が創立される(会長藤岡勘左衛門)(今治米穀商組合設立は前年12月)〔社経年表・県径済連史〕。
11―5 臨時県会開会され、教育費・土木費予算の追加、四国新道の山間部での道幅縮小などにつき審議される(11―11閉会)〔県会資料〕。
11―9 八幡浜銀行が設立される〔伊豫銀行史〕。
11―11 小林信近・高須峯造ら、予讃倶楽部(改進党系)を結成する〔政党沿革誌〕。
11―12 通常県会開会される。県会開催中に香川県が再置されたため、審議案件はすべて無効となる(12―7閉会)〔県会資料〕。
11―20 別子銅山惣開鎔鉱所に工作方が設置される(住友重機械工業会社の前身)〔垂裕明鑑〕。
11―28 陸軍城北練兵場用地の買収開始される(明治22・3―整地、広さ6万8,700坪)〔松山市史年表〕。
11― 県会、別子銅山の囚人労働廃止の建議を提出して、住友のための囚人使役を論難、住友、海南新聞に弁明書を掲載する〔垂裕明鑑〕。
12―3 愛媛県から讃岐国が分離、香川県再置される(12―4香川県設置公布、全国3府43県となり今日に至る)〔官報〕。
12― 愛媛蚕業協会が設立される〔県経済連史〕。
12― 新居郡大生院村の高村政助ら、市之川アンチモニー鉱山を県が藤田伝三郎に委任したことに対して、当鉱山借区経営許可の請願書を農商務大臣に提出する〔予讃新報〕。
12― 松山医会設立される〔県医師会史〕。
この年 浮穴・伊予両郡の陶磁器業者、陶磁器業組合を設立する〔砥部磁器業誌〕。
この年 左氏珠山、『遊鬼城山記』を著す〔豫陽出版文化百年譜〕。
1889 (明治22) 〔己丑〕
【月日】 【事項】
1―6 寒川鉱山(宇摩郡)が開業される〔予讃新報〕。
1―15 大洲織物会社が開業される(発起人程野宗兵衛ら)〔予讃新報〕。
1―22 改正徴兵令公布される(国民皆兵実現)。
1―23 県、十州塩田組合規約を廃止する〔県布達〕。
1―24 南宇和郡御荘に浦和銀行が設立される〔伊豫銀行史〕。
1― 大洲の拾翠社(士族授産の結社)、大洲殖産会社と改称、製茶のほか楮、櫨の植付けを促進する〔予讃新報〕。
1― 予讃両県分離による第7回県会議員選挙実施される(定数44人、大同派・改進党系が激しい選挙戦を展開、改進党系勝利)〔県議会史〕。
1― 秋山久敬ほか編『松山叢談』32冊成る〔同書序〕。
1― 第一高等学校生徒正岡子規・夏目漱石との交遊がはじまる〔子規全集〕。
2―3 臨時県会開会される(2―7閉会)〔県会資料〕。
2―8 通常県会開会される(2―19閉会)〔県会資料〕。
2―11 大日本帝国憲法発布される。
2―11 予讃倶楽部、愛媛倶楽部と改称する〔愛媛県の百年〕。
2―11 憲法発布にともない、政府、大赦令を公布する(民権運動家多数出獄、全国の80歳以上の高齢者に賜金)。
2―11 「豫讃新報」、「愛媛新報」と改題される〔政党沿革誌〕。
2―16 日本赤十字社愛媛県委員部が誕生する(事務所は県庁内、12―21支部に発展)〔同社社史稿〕。
2―17 鈴木重遠・藤野政高ら、伊予倶楽部(大同系)を結成する〔政党沿革誌〕。
2―20 通常県会開会される(3―21閉会)〔県会資料〕。
2―21 白根知事、四国新道開鑿継続の伺を内務省に提出する〔社経年表〕。
3―17 松山在住の宇和島青年、宇和青年会を設立する〔松山市史年表〕。
3―24 松山青年商工談話会、湊町正安寺で開催、伊予織物㈾設立について協議する〔新報〕。
3―31 森恒太郎、愛媛新報で別子銅山囚人労働の廃止は県民世論の要望であることを論述する〔新報〕。
4―1 政府、市制・町村制を施行する。
4―10 石鎚山の成就社が失火で全焼する〔石鎚神社1300年史〕。
4― 宇和島反物会社が設立される〔県農工商統計年報〕。
5―1 愛媛大林区署久万小林区署が開設される(大13・12―20高知営林局久万営林署・昭13・4―1高知営林局松山営林署と改称)〔高知営林局史〕。
5―23 香川県会議員大久保諶之丞が、讃岐鉄道開通式の挨拶のなかで本州四国間の架橋を提唱する〔本州四国連絡架橋のあゆみ〕。
5― 歩兵第22連隊の城北練兵場(道後練兵場)の用地が購入される〔愛媛の郷土部隊〕。
5― 南予製糸㈱設立(宇和島町、本県の蒸気機関使用機械製糸工場の最初)〔伊予蚕業沿革史〕。
5― 愛媛の大同団結派、大同倶楽部に所属する〔愛媛県の百年〕。
6―26 大洲銀行が設立される(7―1開業)〔伊豫合同銀行十年史〕。
7―1 宇和島に県収税部出張所が設置される(明26・11―1宇和島収税署と改称)〔同署保存文書〕。
7―16 松山郵便局が松山電信局と合併し、松山郵便電信局と改称する〔同局沿革概要〕。
8―19 台風襲来、東予地方暴風雨に見舞われる〔県気象災害史〕。
8― 伊予西条~住友立川分店間の直通電話が開設される〔四国電信電話事業史〕。
8― 松山の新栄座に松本幸四郎来演し、大森彦七を上演する〔松山市史年表〕。
10―16 八幡浜電信分局を郵便電信局と改称する〔四国電信電話事業史〕。
10―31 松山局~松山旧城内鐘楼間の電話線が架設される(正午報用)〔四国電信電話事業史〕。
11―1 松山城山の鐘楼から正午の太鼓報知を開始する〔松山市史年表〕。
11―11 県、下浮穴・久米・伊予・喜多郡界の変更を告示する〔県布達〕。
11―11 県、松山に市制施行その他町村に対する町村制施行を内示、新町村の区域・名称を告示する(296町村、12―15施行)〔県布達〕。
11―19 県、水産取締規則を廃し、漁業取締規則を制定する〔県布達〕。
11―19 県、漁業組合規則を制定、漁業組合の設置を指示する〔県布達〕。
11― 松山商法会議所が解散する〔松山商工会議所百年史〕。
12―3 松山市制施行、官報告示される〔法令全書〕。
12―15 県、県下の市制(松山市のみ)・町村制(296町村)を施行する〔県布達〕。
12―17 県、小学校設置区域及び位置表を廃止し、市町村ごとに尋常並びに簡易小学校設置を指示する〔県布達〕。
12―20 県会議員数を改定する〔県布達〕。
12―21 宇和紡績会社、川之石にて営業を開始する〔保内町誌〕。
12―25 綿ネル創業者矢野七三郎が凶刃に倒れる〔今治綿業発達史〕。
12―26 勝間田稔、本県知事に任命される(山口県士族、前愛知県知事)(明23・1―16着任)〔県布達〕。
12―26 県、県下に19巡査派出所・209駐在所を設置することを布達する〔県布達〕。
12―30 帰省中の正岡子規、河東碧梧桐にベースボールを伝授する〔子規全集〕。
12― 柳瀬誠三郎ら今治町に伊予白木綿㈱を設立する〔今治綿業発達史〕。
12― 『復古記』150巻・『復古外記』148巻成る。
この年 住友、新居浜分店を惣開に移転、工作方を増設して機械の製造修繕を開始する〔別子開坑二百五十年史話〕。
この年 川上音二郎、松山初演、改良座で末広鉄腸の「雪中梅」・オッペケペ一節などを興行する〔県史概説〕。
この年 宇和4郡の漁業組合と大分県佐賀関町などの漁民との間に入漁料をめぐる紛争がおこる(明25・11―26協定成立)〔大分県との漁業協議一件〕。
この年 宇摩郡野田村(土居町)の続木岸太郎、北海道の美唄に農業開拓移住する(以後、現土居町より大10年までに開拓移住288戸、屯田兵移住45戸)〔屯田兵と北海道移住者たち〕。
この年 松山の三好保徳、山口県萩よりみかん苗を持ち帰り栽植、伊予みかん(後の伊予柑)を栽培する〔県果樹園芸史〕。
1890 (明治23) 〔庚寅〕
【月日】 【事項】
1―1 温泉郡持田村(松山市)に愛媛県松山一等測候所が開設される(昭3・4―8愛媛県立松山測候所・同13・10―1中央気象台松山測候所に改称)〔官報〕。
1― 今治警察署新築落成する(越智郡今治町米屋町)〔県警察史〕。
2―6 初代松山市長木村利武、初代市会議長小林信近選任される〔松山市史年表〕。
2―7 備荒儲蓄法が改正される。
2―25 林有造、大同団結運動の分裂後新政党(愛国公党)創立をめざし宇和島・城辺などで演説会を行う(~2―26)〔政党沿革誌〕。
2―26 県、製薬営業取締細則を制定する〔県布達〕。
2― 神山機織所が創立される(松山市、伊予絣)〔県統計書〕。
3―2 伊豫倶楽部、藤野政高・白川福儀らの愛国派と末廣重恭・鈴木重遠らの大同派に分裂する〔政党沿革誌〕。
3―21 板垣退助来松、藤野派、愛国公党に参加する〔政党沿革誌〕。
3―25 臨時県会開会される(3―31閉会)〔県会資料〕。
3―26 県、市町村立小学校の校数位置及び種別を公表する〔県布達〕。
4―1 松山市役所開庁する(湊町4丁目、明治25・2―21出渕町1丁目に新築移転)〔松山市史年表〕。
4―1 県、小学校令を施行する〔県布達〕。
4―11 県、四国新道建設工事の1年間延長を内務省に伺う(4―21認可)〔県議会史〕。
4―19 県、小学校令に基づき、市町村に学務委員を設置して教育事務に従事させる〔県布達〕。
4― 別子銅山竪坑掘進に初の蒸気捲揚機を設備する〔別子開坑二百五十年史話〕。
4― 程野館㈴・河野㈴設立される(大洲町、製糸)〔伊予蚕業沿革史〕。
5―17 府県制・郡制公布される。
5―18 高須峯造・石原信樹ら県下の改進党員、中央から肥塚龍を招き、県下8か所で政談演説会・懇親会を開く(~5―25)〔政党沿革誌〕。
5―25 西山禾山著『金鞭指街』刊行される〔西山禾山〕。
5―30 東宇和郡目黒小林区署が開設される〔同署概要〕。
5― 別子開坑200年記念祭、大楠公銅像献納を決定する(明33・7―14 献納)〔別子開坑二百五十年史話〕。
5― 工藤陶磁器工場が設立される(伊予郡砥部村)〔県統計書〕。
6―10 第1回貴族院多額納税議員互選会実施される(当選者村上桂策)〔愛媛の選挙〕。
6―21 官吏恩給法・官吏遺族扶助法・軍人恩給法が公布される。
7―3 第1回衆議院議員総選挙実施され、藤野政高(愛国)、長屋忠明(大同)、石原信樹(改進)、有友正親(改進)、鈴木重遠(大同)、牧野純蔵(大同)、末広重恭(大同)が当選する〔愛媛の選挙〕。
7―17 松山青年仏教会が誕生する(「法の雷」発刊)〔豫陽出版文化百年譜〕。
7―18 住友、新居浜分店に惣開鎔鉱所を合併する〔垂裕明鑑〕。
7―25 集会及び政社法の公布にともない、愛媛倶楽部・伊予倶楽部など解散を命じられる〔県議会史〕。
7―27 愛媛1区衆議院議員再選挙、長屋忠明当選する〔愛媛の選挙〕。
7― 温泉郡朝美村(松山市)に重松マッチ製造所が創立される〔県統計書〕。
8―13 郵便貯金条例が公布される。
8― 松山郵便電信局、三番町に移転する〔四国電信電話事業史〕。
8― 県下にコレラ流行する(患者1,259人、死者885人)〔県警察史〕。
9―6 屯田兵土地給与規則が公布される(屯田兵として北海道移住者に土地1万5千坪を給与し、免税・譲渡制限などの保護を加える)。
9―11 台風襲来、南予及び肱川流域風水害に見舞われる〔県気象災害史〕。
10―8 藤野政高ら愛国派と小林信近ら改進党、愛媛合同倶楽部(本部松山)を結成する(県内民党の合同)〔政党沿革誌〕。
10―20 県機構改革により、内務部・警察部・直税署・間税署・監獄署の2部3署と知事官房設置される〔県布達〕。
10―23 久万地方の備荒貯蓄制度「久万山凶荒予備」、「明神村外八か村久万凶荒予備組合」と改称する〔久万凶荒予備組合誌〕。
10―23 県、市町村に対し衛生組合設置を指令する〔県布達〕。
10―29 県、学校における三大節祝賀式の執行方法を指示する〔県教育史〕。
10―30 教育勅語発布される。
10― 北宇和郡北灘村の刺網漁民と下波村の大網漁民の間に漁場紛争がおこる。(明24・2―、明26・1―いずれも闘争)〔社経年表〕。
11―1 松山始審裁判所、松山地方裁判所と改称する〔同所保存文書〕。
11―1 松山地方裁判所検事局・松山区裁判所検事局が開設される〔官報〕。
11―8 私立松山幼稚園設立される〔県教育史〕。
11―20 通常県会開会される(12―19閉会)〔県会資料〕。
11―24 宇和教育義会による私立愛媛県明倫館の設立が認可される〔宇和島東高等学校沿革史〕。
11―25 第1回通常(帝国)議会召集される。
11―29 石崎汽船会社函洋丸により三津浜~音戸~呉~宇品間の定期航路開設される〔同社資料〕。
11―30 尋常師範学校新校舎開校式挙行(松山市木屋町)、二番町から移転する〔県教育史〕。
12―16 東京~横浜間で電話交換が開始される(加入者、東京155・横浜42)。
この年 赤松製糸場(宇和島町)、和気製糸場(東宇和郡卯之町)設立される〔伊予蚕業沿革史〕。
この年 西宇和郡三崎村の高浦銅山、同郡四ッ浜村(瀬戸町)の平磐銅山が創業される〔県誌稿〕。
この年 中島で村役場・村議会が中心となって柑橘栽培を奨励する〔社経年表〕。
この年 宇和島から来住した鈴木峰治、八幡浜で蒲鉾製造に着手する〔八幡浜市誌〕。
この年 別子山~新居浜間に直通電話開設される〔別子開坑二百五十年史話〕。
この年 別子銅山立川分店製銅場(和式)の作業を中止する(明26廃止、業務を洋式製錬所へ移管)〔別子開坑二百五十年史話〕。
この年 穂積陳重著『法典論』刊行される〔豫陽出版文化百年譜〕。
この年 県内各地にコレラ・腸チフスが流行する〔県医師会史〕。
1891 (明治24) 〔辛卯〕
【月日】 【事項】
1―9 第一高等中学校始業式において講師内村鑑三、教育勅語に拝礼せず(内村鑑三不敬事件)、以後、国家主義者・仏教徒などによるキリスト教排撃運動がたかまる。
1―9 県、公私立学校に教育勅語奉読式の要項を布達する〔県布達〕。
1―14 コルネリオ=ジャジソン・西村清雄ら、松山市三番町に私立松山夜学会を設立する(明27・5―松山夜学校と改称)〔松山城南高校資料〕。
1―20 帝国議会議事堂が全焼する。
1―21 道後湯之町町会、原泉社を廃止し温泉の町直営を決定する〔松山市史料集〕。
1― 松山市に福田印刷工場が創設される〔県統計書〕。
2―1 川之江郵便局、電信事務を開始する〔四国電信電話事業史〕。
2―13 県、地方税徴収細則を制定する〔県布達〕。
2― 南メソジスト松山講義所、松山中央教会として発足する〔四国地方キリスト教史年表稿〕。
3―24 度量衡法が公布される(基本単位は尺貫)。
3― 松山城鐘楼の午報が廃止される〔松山市史年表〕。
4―1 郡制施行開始される(郡の分合準備の上で施行)。
4―1 松山市公会堂、同市萱町に建てられる〔伊予鉄道百年史〕。
4―20 松山市役所を出淵町1丁目に移転することを決定する〔松山市史年表〕。
4― 別子銅山の複式空架索道石ヶ山丈~端出場間が竣工する〔別子鉱山鉄道略史〕。
4― 愛媛農事調査が完成し、「愛媛県農事概要」として発表される〔同書〕。
4― 西宇和郡三机村(瀬戸町)の大江鉱山が創業する〔県統計書〕。
4― 市之川鉱山(西条市)の鉱夫、賃金問題により罷業する〔日本社会事業大年表〕。
5―2 銀行同盟会創立総会開催、郡中銀行・松山興産銀行・八幡浜銀行・大洲銀行・宇和島銀行が加盟する〔新報〕。
5―6 第1次松方正義内閣成立する。
5―11 大津事件おこる(滋賀県大津で巡査津田三蔵が来日中のロシア皇太子に負傷をおわす)。
5―12 内藤鳴雪、文部省を退官して常盤会寄宿舎監督となる〔子規全集〕。
5―19 大審院長児島惟謙、津田三蔵の行為(大津事件)は謀殺未遂罪に該当する旨の意見書を首相及び法相に提出する。
5―31 ロシア政府、シベリア鉄道の建設に着工する。
5― 香川・愛媛・徳島の3県、喜捨を求める巡礼・乞食の村落立入りを禁止する〔日本社会事業大年表〕。
6―24 県、コレラ病予防の告諭を発す〔県布達〕。
7―11 東京音楽学校の卒業式で君が代が歌われ、先例となる。
7― 別子銅山、削岩機の使用を開始する〔新居浜産業経済史〕。
7― 西宇和郡日土村(八幡浜市)梶谷銅山創業する〔県誌稿〕。
8―5 森恒太郎ら、俳誌『はせを影』を発刊する〔豫陽出版文化百年譜〕。
8―14 中上川彦次郎、三井銀行理事に就任する(三井の工業化政策開始)。
8―16 県下に水害、加茂川・国領川等氾濫する〔県気象災害史〕。
8―20 県農商課、製糸女工養成のため応募15名の女子を農商務省富岡製糸場に派遣する〔伊予蚕業沿革史〕。
8―22 県、劇場寄席興業場取締規則を制定する〔県布達〕。
8― 愛媛県神職会が結成される〔県社会事業要覧〕。
9―5 臨時県会開会され、県下主要国県道の改修について諮問される(9―11閉会)〔県会資料〕。
9―22 愛媛県庁、松山地方裁判所間の電話線架設される〔四国電信電話事業史〕。
10―5 私立愛媛県高等女学校が設立される(松山市二番町)〔県教育史〕。
10―11 愛媛合同倶楽部解散する〔県政党沿革概要〕。
10―22 県、湯屋営業取締規則を制定する〔県布達〕。
10―28 住友、家法を改正、家長の職責を規定する家憲と事業経営の法制を規定する家法に分ける〔垂裕明鑑〕。
10― 松山市南八坂町に岡田鉄工場が設立される〔松山市史年表〕。
10― 喜多学校を廃止、私立喜多義塾設立される〔県教育史〕。
11―5 陸軍省、靖国神社に維新前後の国事殉難者1,277名を合祀する。
11―11 臨時県会開会され、四国新道開さく事業に伴う久万川筋の渡船場設営につき審議する(11―14閉会)〔県会資料〕。
11―14 通常県会開会され、次年度予算案の審議や重信川中山川砂防工事に関する諮問が行われる。(12―12閉会)〔県会資料〕。
11―28 県、赤痢・腸チフス流行につき告諭を発す〔県布達〕。
12―13 温泉郡三津浜往吉町の貸座敷営業者御船場跡(のちの稲荷新地)へ移転する〔松山市史年表〕。
12―18 田中正造、衆議院に足尾銅山鉱毒事件に関する意見書を提出する。
12―22 海相樺山資紀、海軍省経費削減問題で蛮勇演説を行う。
12―22 松山市区会条例を制定、市内を4地区に分け区会を設置する〔松山市史年表〕。
12―28 松山市役所、湊町円光寺から出淵町新庁舎に移転する。〔松山市史年表〕。
12― 天理教愛媛分教会が設立される(松山市萱町)〔松山市史年表〕。
この年 越智郡内の国有林2,521町歩が越智郡日高村ほか13か町村組合へ無償払い下げとなる〔愛媛の木材〕。
この年 魚島村漁民鰮縛網で朝鮮巨済島へ出漁を開始する(明38年には船数20隻・177名が出漁)〔県産業地誌〕。
この年 新居周桑郡茶業組合が設立される〔県経済連史〕。
この年 大洲の松田角太郎、機械製糸をはじめる〔伊予蚕業沿革史〕。
この年 松山市三番町寿座に中村福助一座来演する〔松山市史年表〕。
この年 ヘラヘラ節の落語家桂文治、三遊亭円朝など改良座に来演する〔県史文学〕
この年 県下に腸チフス流行する(患者1,501人、死者282人)〔県医師会史〕。
この年 コレラ引きつづき流行する(患者279人、死者195人)〔県医師会史〕。
この年 カトリック宣教師宇和島で布教、翌年教会を設立する〔愛媛宣教百年〕。
この年 松山市、塵介の棄却所を立花口・三津口・土橋口など10か所に設置し、車3台で隔日ごとに回収棄却する〔松山市史料集〕。
1892 (明治25) 〔壬辰〕
【月日】 【事項】
1―18 予戒令公布され、即日施行される。
1―22 道後温泉養生湯改築、松湯・薬湯新設される〔道後温泉〕。
1― 松山市・風早・和気・温泉・久米・上浮穴・伊予郡に農会が設置される〔県信連三十年史〕。
1― 住友、新造船御代島丸(木造汽船)をもって尾道~新居浜航路を開設する(海運業再開)〔県史社経〕。
2―11 松山市役所の落成式、新庁舎で開催する〔松山市史年表〕。
2―15 第2回衆議院議員総選挙が実施され、藤野政高(自由)、小林信近(改進)、高須峯造(改進)、有友正親(改進)、鈴木重遠(自由)、牧野純蔵(自由)、堀部彦次郎(自由)当選する〔愛媛の選挙〕。
3―7 東宇和郡長谷村(城川町)荻尾忠七等の提訴にかかる無役地事件行政訴訟、原告の訴願却下される〔県庁文書地理雑書〕。
3―15 松山市南八坂町で火災がおこり、50戸焼失する〔松山市史料集〕。
3―19 愛媛県連合医会結成される〔県医師会史〕。
4―4 臨時県会開会され、四国新道開鑿事業費の更正などにつき討議する(4―8閉会)〔県会資料〕。
4―9 臨時県会開会され、小学校教員の恩給・県会議員の定数増などにつき討議する(4―13閉会)〔県会資料〕。
4―28 伊豫尋常中学校廃止、愛媛県尋常中学校設置を布達する〔県布達〕。
4― 大審院長児島惟謙ら裁判官の花札遊びが問題化する(6月に起訴されたが、7―12免訴)。
5―1 伊予鉄道三津~高浜間開通する〔伊予鉄道百年史〕。
5―1 今治融通(株)設立される(今治銀行の前身)〔伊予合同銀行十年史〕。
5―2 県、明治25年度屯田兵採用者を公表する(採用者70名・予備12名)〔県布達〕。
5―16 愛媛県尋常中学校開校式挙行される〔松山東高等学校百年史〕。
5―25 警察汽船第2愛媛丸就航する〔県警察史〕。
5― 新居郡中萩村(新居浜市)に青野製糸場が設立される〔県統計書〕。
5― 伊予郡砥部村に浜松陶器製造所が設立される〔県統計書〕。
5― 別子銅山専用鉄道角石原~石ヶ山丈間着工される〔別于鉱山鉄道略史〕。
6―21 鉄道敷設法が公布される。
6―26 正岡子規、「獺祭書屋俳話」を新聞「日本」に発表する(~10―20、明26・5―同書刊行)〔近代日本総合年表〕。
6―30 東予物産㈱が設立される(伊予三島銀行の前身)〔伊豫銀行史〕。
6― 西宇和郡川之石村に伊予製鉱㈱が創業し、同郡八幡浜町に佐島製錬所を建設、銅製錬を開始する〔県統計書〕。
7―10 柳原極堂ら『勝山文学』を創刊する〔豫陽出版文化百年譜〕。
7―13 愛媛県立獣医学校閉鎖される(7―30同校設置規則廃止)〔県教育史・県布達〕。
8―9 県、小学校教則を伝達する(10―1施行)〔県布達〕。
8―10 旧松山藩士族水野忠恭・津田泰政ら16名とその家族、屯田兵として北海道の旭川兵村に移住する〔東旭川兵村屯田兵移住者名簿〕。
8―20 久万警察署新築落成される(上浮穴郡久万町村)〔県警察史〕。
8― 四国新道のうち松山~高知間(現国道33号)竣工する(愛媛県分総工費17万5,829円)〔土木例規〕。
8― 西宇和郡神山村(八幡浜市)に矢野織工場創立される〔県統計書〕。
8― 今治町に高橋織布工場(綿ネル製造)が設立される(明34・8までに下朝倉村・立花村など5か所に分工場設立創業)〔県統計書〕。
8― 宇摩郡下分村(川之江市)の井原彦太郎ら屯田兵として北海道の旭川兵村に移住する(昭13年、井原は東旭川村長に就任)〔移住者成績調査〕。
8― 風早郡浅海村(北条市)で赤痢が発生、風早郡各村に大流行する(死者81名)〔北条市誌〕。
9―1 従来の町村立尋常小学校・郡立高等小学校廃され、新しい市町村立町村組合立小学校が開校される〔県教育史〕。
9― 新居郡西条町漁民と越智郡近見村(今治市)漁民との間で漁場紛争がおこる。〔社経年表〕。
10― 今治町に岡田綿布工場(綿ネル製造)が設立される(明35・8までに同郡清水村・近見村など9か所に分工場が設立創業)〔県統計書〕。
11―13 道後温泉本館(神の湯)の改築起工式が行われる(浴室石材は大島石・湯釜石材は庵治石を使用、大工棟梁坂本又八郎)〔道後温泉〕。
11―17 臨時県会開会される(11―21終了)〔県会資料〕。
11―22 通常県会開会され次年度予算案などの審議を行う(12―21閉会)〔県会資料〕。
11―28 松山城に正午砲(「おひるのドン」)が復活する〔松山市史年表〕。
11―30 軍艦千島、愛媛県堀江沖でイギリス船ラヴェンナ号と衝突沈没、乗組員70人余溺死する(政府は英船の責任を追及、明25・5―6横浜英領事裁判所に損害賠償の訴訟をおこす)〔近代日本総合年表〕。
12―1 正岡子規、新聞〔日本〕社に入社する〔子規全集〕。
12―1 海南新聞の記事、総ルビ付きとなる〔愛媛新聞百年史〕。
12―7 伊予紡績会社設立される(明27・1―開業)〔県統計書〕。
12―28 滑床・目黒小林区署を合併、宇和島小林区署が開設される(大13・12―20宇和島営林署に昇格)〔官報〕。
12― 温泉郡朝美村(松山市)に松山紡績会社創立される(三津口に工場建設、明28・1―22開業)〔県統計書〕。
この年 程野館合名会社、河野合名会社、それぞれ分離・独立、河野合名は羽二重機織場を設立する(大洲町)〔新報〕。
この年 新居郡中萩村(新居浜市)に飯尾製糸場新工場設立される〔伊予蚕業沿革史〕。
この年 河又陶器工場・松野陶磁器製造所設立される(伊予郡砥部村)〔県統計書〕。
この年 越智郡一円の漆器業者、桜井漆器同業組合を創立する〔愛媛県下における労働運動概況〕。
この年 西宇和郡町見村(伊方町)に九町銅山、同郡川之石村に大峯銅山創業する〔県誌稿〕。
この年 陸軍省陸地測量部、5万分の1の地形図作成のための測量を開始する。
この年 松山市に大西座が開業する明42・7―末広座と改称)〔松山市史年表〕。