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愛媛県史 近代 上(昭和61年3月31日発行)

5 紀行・評論

 紀行

 明治期以降、末廣鉄腸・大和田建樹、また子規・碧梧桐ら俳人たちの手になるものがある。明治初期には諸家の紀行の草稿類は多い。また奈良法華寺住職近衛高鳳尼が石手寺の高志太了に招かれての、明治一三年の「伊予下りの記」や、遍路紀行の類がないではない。
 末廣鉄腸は、明治二二年欧米を巡り世界一周旅行をし、『啞之紀行』を、大和田建樹は、「ふるさと日記」(『雪月花』明治三〇年刊)、同三五年「宇和島日記」、同四三年には「伊豫鉄道唱歌」などの作をなしている。
 正岡子規は、上京紀行をはじめ、東京周辺・木曽路、ことに『はて知らずの記』(明治二六年)は奥の細道の紀行で、日本新聞に掲載されたものが多く、松山周辺での『散策集』の紀行句は、各地に句碑となっている。
 河東碧梧桐の『三千里』(明治四三年)、『続三千里』は、明治三九・四〇年は東北・北海道に、同四二~四四年は中部・北陸・中国・四国・九州・近畿など、全国三千里の大旅行を一日一信として「日本及日本人」に連載、この間、六朝体に書風は移り、新傾向句として、「今様蕪村」などといわれ、碧梧桐の俳風は全国を風靡する観を呈した。
 県外人として、田山花袋の『草枕』は日露戦争負傷者訪問記を載せている。

 随筆

 断片的なものや草稿類は少なくない。大和田建樹には紀行・日記中にも随想が多い。
正岡子規は、病床随筆『松蘿玉液』『墨汁一滴』『病牀六尺』『仰臥漫録』など、明治二九~三五年日々掲載され、文学・美術・教育・社会など、新聞記者としての視野広く、滋味ある人間性が表れている。
 
 日記

 子規には「獺祭書屋日記」などがあり、矢内原忠雄には明治四〇年以後の日記がある。

 書簡

 「ホトトギス」明治三五年一二月号、子規追悼号には書簡類も集録している。

 評論

 明治前期においては、東予では近藤篤山門での漢学者、大洲を含めた中予は矢野玄道ら国学者、また三瀬諸渕ら洋学者の業績に見るべきものがある。
 しかし、近代文学史上の評論は、明治二〇年代は末廣鉄腸・大和田建樹、以後三〇年代にかけて、正岡子規の俳句短歌革新論をはじめ、高浜虚子・河東碧梧桐らがこれに続き、四〇年代には片上天弦・安倍能成ら、日本文学主流中の本県人の活躍ぶりはまことにめざましいものがある。
 末廣鉄腸は、政治小説で文壇に登場し、『花間鴬』の緒言や序に写実主義を標榜し、自由主義思想に基づく政治思想の啓蒙に努めた。大和田建樹は、新体詩学や謡曲や能楽の解明普及を意図した。
 正岡子規は、明治二五年の俳句評論を『獺祭書屋俳話』とし、同二八年の俳句文学論を『俳諧大要』として、近代俳句の指標を確立し、同三一年には短歌革新論、同三三年「叙事文」の提唱と、近代短詩型文学史上の業績は特筆すべきである。高浜虚子は、明治三八年『俳諧馬の糞』に「連句論」「俳体詩論」を収め、翌年河東碧梧桐は『蚊帳吊草』に写生を強調し、虚子が小説に熱中するころ、明治四一年「新傾向」を説き、内藤鳴雪は『老梅居雑著』『哲学的文学論』著すなど、ホトトギス系が活躍した。
 片上天弦(伸)は、波止浜の生まれ、早稲田大学で坪内逍遙に学び、文芸批評家としては四期の変遷がある。
 第一期は、自然主義運動の理論家。明治四一年「未解決の人生と自然主義」など、社会的現実に視野を広めた。第二期は、唯物的芸術至上主義者。生命の充実緊張を叫び、谷崎潤一郎らの作品を推賞し、同四五年「緊張充実を欲する文学」などを公表した。
 安倍能成は、松山中学で片上より一年後輩、東京帝大哲学科卒、夏目漱石門十弟子の一人で、明治四二年「近代文芸の研究を読む」をはじめ、朝日新聞・ホトトギスの文芸時評において、島村抱月や天弦らの自然主義を論駁(ろんばく)し、新進の反自然主義論客として活躍した。このころの評論を集め『影と声』(阿部次郎ら四人共著)を明治四四年に刊行、松中同窓の桧舞台での華々しい論戦が続けられた。
 なお、松山出身の村井知至(ともよし)は、キリスト教社会運動家として、明治三一年片山潜らとの社会主義研究会会長となり、『蛙の一生』などの著書がある。

 自伝

 自伝の類では、越智郡上浦の無名の宮大工「藤井此蔵一生記」は、幕末から明治九年までの身辺・物価・世評を記し、過渡期の庶民生活の諸相が見られる。これに対し、内藤鳴雪の『鳴雪自叙伝』は、明治維新の社会の変貌に対する旧藩士の視点が浮き彫りにされており、大正一一年の出版だが付記しておく。
 明治二七年突然失明して、人生の苦悩に死を決意した松山生まれの森盲天外の自伝『一粒米』が、明治四一年出版された。指頭の一粒の米に濶然として生への光明の発見が語られ、盲人村長としての自治、青年教育など各方面に活躍、その成果が口述筆記で次々と刊行されている。

 俚謡

 明治初期もなお伝えられていた地口・口合いなど、人情味豊かな雰囲気は、謡や諺を生み、昔話(民話)や俚謡(民謡)へと展開している。こうした民間に伝承されてきた文芸についても、明治期はなお機微にふれるものが多く、本県において、明治三八年の県の『教育雑書』綴の中に、各地の報告がまとめられている。