データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

愛媛県史 原始・古代Ⅰ(昭和57年3月31日発行)

二 弥生式土器の編年

 時期区分の方法

 縄文時代でも触れたとおり、弥生時代というのはBC三五〇~AD三〇〇年、すなわち今から約二三〇〇~一七〇〇年前の時代であり、弥生式土器を指標とする時代である。したがって、弥生時代を理解するためには弥生式土器を十分把握しなければならない。弥生時代はおおよそ約六〇〇年間であるが、これを前期・中期・後期に三区分し、前・中・後期をそれぞれ約二〇〇年間としている。これらの区分は弥生式土器の出土を層位学的にとらえるとともに、形態面からみた相対年代である。最近では前・中・後期をさらに細区分する方向に進んでいる。弥生時代の時期区分は弥生式土器の移り変わりを調べることによって明らかとなる。
 この弥生式土器の移り変わりを、考古学上土器編年という。土器編年はあくまでも発掘による層位学的な調査を基本にしなければならず、これに土器の形態論を加味して決める。最近ではCの14乗測定法やフィショントラック法・磁力測定法などによって絶対年代を出す方法も行われている。愛媛県の弥生遺跡の調査は他県に比べると少なく、発掘調査によって弥生式土器が層位的に把握されたところは、現在までのところ西条市八堂山遺跡のみである。他の遺跡でも層位的につかみえた遺跡があったものとみられるが、それを十分つかみえていない。そのため愛媛県の弥生式土器編年はどちらかというと形態論的な型式編年が主体となっており、他県に比較すると若干問題を含んでいるといえる。
 なお、県内でCの14乗測定法によって絶対年代の出された遺跡としては越智郡生名村立石山・西条市八堂山・今治市富田宮ノ内・宇和島市拝鷹山の各遺跡がある。これらの遺跡の絶対年代と、各遺跡から出土した土器の考古学的編年との間には、いずれも約二〇〇年前後の開きがあり、絶対年代がより古く出る傾向をみせている。したがって、愛媛県においてはそのことも十分考慮に入れなければならない。
 愛媛県は地理的に東西に長く、そのうえ地形的にも大きく異なっている。東予地方は香川県・岡山県との関連が強く、中予地方は高縄半島によって東予地方とは区画されていて、広島県・山口県とのかかわりが濃い。南予地方はその大半が宇和海に面しているため、東九州との関係が強く認められる。それゆえ詳細にみると東・中・南予地方の土器を比較すると、同時期の土器であってもかなり形態・文様を異にしている。したがって東・中・南予という地方別に土器編年をするのが最も当を得たものとなるのであるが、それらは別項で詳述することにし、ここでは若干の無理があるが、全県的に編年を示してみたい。
 弥生時代は、前述した通り前・中・後期に大きく三区分されているが、弥生式土器そのものは全国的に第Ⅰ様式から第Ⅴ様式までの五様式に編年している。愛媛県の場合もこれに準じて行きたい。第Ⅰ様式の弥生式土器は前期に、第Ⅱ様式と第Ⅲ様式・第Ⅳ様式の弥生式土器は中期に、第Ⅴ様式の弥生式土器は後期となる。

3-3 愛媛県の弥生式土器に関する編年表

3-3 愛媛県の弥生式土器に関する編年表