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愛媛県史 原始・古代Ⅰ(昭和57年3月31日発行)

三 人類の足跡

 県内最古の人類

 さて、愛媛県に人類が住みつくようになったのはいつ頃からであろうか。残念ながらそれははっきりしない。愛媛県で最も古い人骨は約八〇〇〇年前の上黒岩遺跡と穴神洞遺跡から出土したものである。だが、人類そのものは明らかではないが、人類が住みついていたことを推定することのできる遺物は若干発見されている。それは越智郡の生名村立石山や弓削町鯨・同高浜八幡神社・南弓削・楡田・上浦町盛・伯方町叶浦などから発見されたナイフ形石器である。
 ナイフ形石器は瀬戸内海沿岸一帯から発見された後期旧石器の一種で、約二~三万年前のものといわれている。現在では中部瀬戸内海の燧灘を中心とする地域に分布しているのが判明しているのみである。最近、松山市周辺でも類似する石器が縄文遺跡や弥生遺跡からも散発的に発見されているので、案外、伊予灘を中心とする地域にも人びとが住みついていた可能性が濃厚である。
 愛媛県に隣接する香川県や大分県では、この時代の遺跡が明瞭であり、調査された遺跡もあるが、愛媛県ではその点若干不明である。この点については今後の研究に待たなければならないが、将来つぎつぎと発見されることは間違いなかろう。