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愛媛県史 芸術・文化財(昭和61年1月31日発行)

四 社叢と樹叢、照葉樹林

社 叢

 自然林からなる社叢としては、川之江市妻鳥町棹の森、菊間町西山客神社の社叢、大洲市阿蔵八幡神社社叢、西宇和郡瀬戸町三机須賀の森、南宇和郡御荘町長崎大島の樹林の五件が県の指定の天然記念物になっている。市町村の指定で自然の残された社叢としては、東予に三か所、中予に四か所、南予に一二か所の計一九件あり、南予、ことに肱川水系地域に七件集中し、自然が南予にはなお残されているように思われる。これらの他、新居浜市の一宮神社や大三島の大山祇神社などクスの樹叢で、上浮穴郡久万町下畑之川住吉神社もカヤを主とする樹叢となり、単一植生の人為的社叢の部類にはいろう。また、北宇和郡広見町の大本神社などは、エドヒガンなどを主とした社叢と考えられる。

樹 叢

 松山市の松山城の樹叢が県指定とされ、市町村でも三件の指定が見られる。大洲市田処五輪山の自生林と西宇和郡保内町宮内の平家谷自然林などがそれである。
 これらの社叢や樹叢は、多く郷土の古代の原生植生をしのび得るような遺跡的な所であるし、ほとんど縄文時代の名残りを示す照葉樹林からなっている。これらの緑地が残されることは、生物の種の保存とともに、環境保全にも役立つと思われる。ところでこれら鎮守の森の社叢や樹叢は、県下になお沢山あるのであるが、次第にその自然が破壊され、本来の植生構造を失って、名ばかりの社叢となったものが多い。もとは高木層、亜高木層、潅木層、草本層がそろっていて階層社会となり、次代の植物が育っていたものが、次第に中間層を欠いで、後継ぎの植生が失われ、ついに下層の植生のない一層の自生種ないし植栽樹だけを残す社叢となり、サクラ類やイチョウ、クス、ムクノキなど、全くの植栽樹になってしまっているものも多い。
 丹原町福岡八幡神社の社叢(おしぶの森)などは、道前平野の昔をしのぶ自然林であったが、台風で破損したあと、半分近くヒノキの植林をしてしまって国の指定を解除したのは残念である。