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愛媛県史 芸術・文化財(昭和61年1月31日発行)

三 愛媛の巨樹名木

 1 伊予の三大長命木と樹齢

 国・県の天然記念物に指定されている巨樹名木、霊木と称するものの中で、最も多いのは、イブキ(ビャクシン、国指定三件、県指定四件)、クス(国指定二件、県指定五件)、次いでイチョウ(県指定六件)とソテツ(県指定三件)、ツバキ(トウツバキを除いて県指定は四件)などである。イチョウは中国原産のもので、ソテツは九州南部が自生北限で、どちらも本県原産のものではない。マツも大木となり、国や県の天然記念物に指定された名木も、二〇本近くあったが、昭和四七・八年ごろからマツノザイセンチュウ病の蔓延などでほとんど全滅してしまった。スギは成長も早く、やはり大木になるものであるが、本県では長命のものはあまり見られない。
 八木繁一も、クス、イブキ、イチョウを伊予の三大長命木に挙げ、それらの樹齢を考察している(「伊予の三大長命木」「続伊予の名木」「樹齢の考察」)。いま、主要なものを少し改変して示すと次のごとくである。
 ① イブキ(目通り基準一・二mで約一六五年として算出、カッコ内は目通り)
 伊予三島市富郷町藤原(八・八m)一二○○年、日本で小豆島土庄町宝生院のイブキに次ぐ大木。同市下柏大柏(八・二m)一一三〇年、日本第三位。重信町大連寺(七・〇m)九六〇年、松山市上野町大宮八幡神社金平(五・三m)七四〇年、御荘町平城金光寺(五・二m)七三〇年、三瓶町蔵貫(五・一m)七〇〇年、北条市宮内(五・〇m)七〇〇年、松山市浄瑠璃寺(三株とも四・六mくらい)六四〇年、宇和島市八幡神社(二本とも四・四m前後)六二〇年、北条市恵良山(四・一mほか)五七〇年、大洲市手成西禅寺(三・五m)四九〇年。
 ② クス(目通り基準三・六mで三五〇年として算出)
 大三島町大山祇神社社前お手植のクス(一一・一m)一〇九〇年、土居町大川(一〇・〇m)九八〇年、西条市坂元(九・七m)九五〇年、新居浜市一宮神社一番グス(九・四m)九二〇年、三崎町勝利(九・〇m)八八〇年、大三島町大山祇神社社後二本(八・〇m)七八〇年、今治市別名玉澄(七・五m)七四〇年。大三島の生木の門のクスは根回り三二m、目通り二〇mに達するが、回り一〇・五mと七・〇mのものが融合したものと考えられ、小さい方(六九〇年)が生き残っている。城辺町久良、東予市鷺ノ森、菊間町佐方賀茂別雷神社、西条市伊曽乃神社などにも回り六~七mの大木がある。
 ③ イチョウ(基準三・六mで一八〇年とし、一・五倍)
 小田町中川乳出(雌木、一二m)九〇〇年、松野町逆杖(雄木、一一m)七五〇年、大洲市手成金竜寺(雌木、九・六m)七三〇年、城辺町久良能山様(雄木、九・四m)七一〇年、新居浜市瑞応寺金毘羅(雌木、九・四m)七一〇年、城川町三滝山豊親(雌木、七・四m)五六〇年、大洲市八多喜聖臨寺(六・二m)四七〇年、久万町大宝寺焼(六・〇m)四五〇年、北宇和郡日吉町瑞林寺(雄木、六・〇m)四五〇年、伊予郡砥部町五本松(六・〇m)四五〇年。
 スギにも大木になるものがあり、回り五mで約三〇〇年と見ている。すでに枯れた木の中で、周桑郡西山興隆寺の影向杉は回り一二・七mで七六〇年、金山出石寺のお杖杉は回り一〇・三mで約七〇〇年、奈良原山の子持杉は回り七・四mで四五〇年と見積もられた。
 マツで・に大体二〇〇年以上のものは全滅したが。かつて県下で名木に数えられたものの推定樹齢は次のごとくである。
 三瓶町大久保山の松(八・〇m)四三〇年、日本でも指折りの大木、越智郡宮窪町鵜島愛宕さん(八・〇m)四三〇年、中島町怒和島凱旋松(七・三m)三九〇年、宇和島市蒋淵一本松(六・一m)三三〇年、越智郡大西町大井の大松(六・〇m)三二〇年、越智郡弓削町聖松(五・六m)三〇〇年、松山市高井巴松(五・四m)三〇〇年、松山市平井与力松(五・三m)二九〇年、松山市石手門前の松(亀の松、五・三m)二九〇年などである。なお本県一と見られた越智郡朝倉村根上り松(回り一一・五mとある)は、二本(六mと五m)の木が根元で融合したもので、三二〇年と二七〇年くらいの木と推定される。県指定で一本残っている北条市下難波の大師松は目通り五mで約二七〇年、城辺町僧都の二本松は目通り五・八mと四・七mあって、それぞれ三一〇年と二五〇年くらいのものである。マツの場合、推定基準は太さ五・三mで二八五年とされる。
 これらのほか、ケヤキ、イチイガシ、スダジイには、目通り七mから八mに及ぶものがあり、上浮穴郡小田町広瀬神社には、目通り七mのケヤキが二本、六・七mのイチイガシが一本あり、喜多郡肱川町三島神社には八mのイチイガシがある。伊予三島市上長瀬のスダジイは八・三m、カツラの場合は叢生して測り難いが、上浮穴郡面河村大成のカツラは根回り二五m、伊予三島市富郷町上猿田のものは一三・七mあり、以上みな県の天然記念物に指定されているが、樹齢推定は困難である。上浮穴郡久万町露峰のカツラは一本立ちで測定しやすく、目通り四・九七mある。伊豫市大平のソテツは日本で二、三番目くらいに大きい雌株で、根回り九m、二十数本叢生、樹高七mくらいで樹齢は五〇〇年以上と言われる。新居浜市多喜浜のソテツ、伊豫市三秋のソテツも、ともに根元五m以上あって四〇〇年近いものであろう。

 2 マツ枯れによる天然記念物の指定解除

 昭和四〇年ごろ、県で指定されていたマツの名木は全国的にも珍しく一八本もあり、国指定の松山市平井町の「与力松」を加えて一九本あった。ところが今では北条市腰折山下の「大師松」一本だけになってしまった。昭和四七・八年から四、三件ずつ七本、五二年には三本、五四・六年に四本といった枯死状況が続いた。松山市指定の六本のマツもみな枯れてしまったが、大きい老松は、抵抗力も弱いと思われる。昭和四八年ごろまでに枯れたのは、別の原因があるかも知れないが、マツノマダラカミキリの媒介する線虫病などでやられ、天然記念物の指定を解除された名木を東予の方から拾うと次のようである。下の数字は解除年を示している。
 1 聖松(越智郡弓削島)五二年 2 大判の松(同、岩城島)五四年 3 根上り松(同、朝倉村)五六年 4天狗松(同、菊間町)五〇年 5 遍路松(北条市別府)四八年 6 八衛門の松(同上)五二年 7 むかで松(同、磯河内)五四年 8 与力松(松山市平井町)五六年 9 門前の松(松山市石手)五五年 10 天神松(同、祝谷)
四七年 11 相生の松(同、南斎院)五二年 12 鎧掛松(温泉郡中島)四八年 13 凱旋松(中島町怒和島)五三年 14 お庚中松(西宇和郡三瓶町)四四年 15 大久保山の黒松(同上)四七年 16 お伊勢松(同上)五二年 17 龍吟の松(宇和島市野川)四七年 18 栄松(津島町御内)四八年。

 3 ツバキとサザンカの天然記念物

 県下にはヤブッバキの大木が多く、また栽培され育成された郷土の文化遺産と思われるようなツバキも多い。なおまた、東予地方にはトウツバキ(唐椿)の大木が一〇本近くも見られたことも、全国的に有名である。これらかつて盛んであった桜井漆器の椀船が、鹿児島方面から帰途空船で持ち帰って広まったものと言われ、薩摩紅と呼んでいる。
 松山市が、聖徳太子の伊予湯岡碑文に出てくるツバキになぞらえて、市の花をツバキとし、アメリカのツバキ都市のサクラメントと姉妹都市協定を結んだことも、本県のツバキに対する認識を高めたとも思われる。県下の県・市・町村指定のツバキとサザンカは、計二五件におよんでいる。ヤブツバキで樹齢四〇〇年を越すと思われるものには、伊予三島市富郷町下猿田のツバキ(根回り三・七m)約五〇〇年(県指定)、新居浜市大生院大野山中之成のツバキ(根回り三m)四〇〇年くらい(市指定、屋久島ツバキとされている)、松山市河中町お杖椿(根回り約五m)約六〇〇年(市指定)、南宇和郡城辺町山出の観音椿(根回り約四m)約五〇〇年(町指定)が知られ、ずっと新しいが、栽培品のツバキでは、周桑郡小松町仏心寺の明石蓮(根回り一・二m)二〇〇年(町指定)、伊豫市上唐川の藤三椿と酒天童子(根回り一・Omと一・三m)一五〇~二〇〇年(市指定)、大洲市柚木如法寺の五色八重散椿(地上六〇cmで回り一・二m)三〇〇年と酒天童子二本(地上五〇cmで回りいずれも〇・八m)約一三〇年(県指定)など、トウツバキには、今治市国分寺(目通り〇・四m)約八〇年(市指定)のほか、宇摩郡土居町千足神社や小松町内にも樹齢何百年になるものがあり、サザンカには、分布の自生地北限地にあたる大洲地方森山のサザンカ(根回り一・八m)二〇〇年くらい、などが特筆すべきものであろう。