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愛媛県史 芸術・文化財(昭和61年1月31日発行)

はじめに

     先人の遺産をしかと踏み締め 遙かなる道へ限りなく前進しよう
 昭和五九年のロサンゼルス・オリンピックの模様は通信衛星を通じ、全世界に放映され、およそ三〇億の人類がテレビ、ラジオに吸い寄せられた。より速く、より強く、栄光に向かって邁進する若者たちの、躍動と闘魂に人はみな感動し、讃美した。スポーツはまさしく人類の芸術である。
 オリンピックの父といわれるクーベルタンが「参加することに意義がある」と遺した至言を曲解するスポーツマンが居るとすれば、それは戦わずして、すでに敗者といえよう。なぜならば「選ばれて、参加すれば、正々の勝利を疑わず」の気魄を持つことは競技者として当然であるからである。
 勝利者はやはり偉大である。また、一旦、敗れた競技者も美しい。それは信じ合う師弟、励まし合う僚友たちが心・技・体にわたり練磨、忍耐を打ち重ね、試練に挑み、栄光・敗戦・雪辱を繰り返す。それにより勃興・成長・充実・衰退・復興の「うねり」が織りなされ、スポーツの歴史に刻み込まれる。スポーツが偉大であり、美しくもある源流はここにあるのである。
 けれども、あれほど世界の心を日本の秋に結集させ、感動させた昭和三九年の東京オリンピックも現代の若者たちは、もう知らない。やがて、ロサンゼルス・オリンピックの刺激と感動も時代とともに次第に記憶から薄れていくことだろう。だからこそ先人たちが営々と築き続けてきたスポーツの歴史を、かけがえのない遺産として引き継ぎ、活性させていく義務を私たち後輩が、しっかり背負わねばならないと思う。
 スポーツの歴史は時代の推移を背景に、刺激(シミック)と画期(エポック)の積み重ねで変革し、成長していく。しかし、その「うねり」の主役はいつの時代も〝人間〟である。舞台(風景)や脚本(記録)はあくまで脇役である。それを振り向いていてはスピードが鈍化する。目前の六四総体(昭和六四年全国高校総体四国開催)六五中総体(同六五年全国中学総体四国開催)、六八国体(同六八年国体四国開催)をターゲットとして睨みながら未来に向かって限りない前進を続ける誓いをスポーツマンは胸に刻み込まねばなるまい。