データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

愛媛県史 芸術・文化財(昭和61年1月31日発行)

三 神社建築

伊佐爾波神社 国指定重要文化財 四棟 付 末社二棟、石燈寵二基 棟札一枚 松山市道後桜谷町

 道後温泉の裏手にある中腹に松山周辺を見渡せる閑静なこの神社は、初めは今の道後公園内にあったが建武年間(一三三四~一三三六)に豪族河野通盛が湯築城をこの地に築造するために社殿を現在の地に移築した。その後松山藩主松平定長が寛文四年(一六六四)に新たに造営した社殿が現存している。本殿、中殿、楼門、回廊の四棟よりなり、桃山時代の雄渾で華やかな建築で、宇佐神宮や石清水八幡宮と共に八幡造の代表的な神社建築として知られている。本殿は内外殿の二棟に別れ、内殿は桁行九間、梁間二間の切妻造、外殿は桁行九間、梁間二間の流造、いずれも桧皮葺、この二つの屋根が接続する谷部に軒樋を設けた相の間が挾まっている。これは神殿に礼拝堂を連接した八幡造の典型である。柱は円柱で、内部の柱は金箔を置き、海老虹梁や手狭などに桜、桔梗、唐草の浮き彫りを施し、天井や木部を胡粉彩色し華やかさを見せている。本殿の前面に続く中殿は桁行一間、梁間一間切妻造、桧皮葺である。組物は出三斗、中備に蟇股を配している。これに接続して、桁行三間、梁間一間桧皮葺の廊下がある。正面中央に続く楼門は、重層入母屋造、人口に向唐破風造の向拝が張り出し、その両翼には梁間一間延長五七間に及ぶ回廊を巡らして何れも本殿と異なる本瓦葺である。当神社のように、本殿が神社様式の八幡造であるのに、この正面にある楼門の上層部は石手寺二王門と全く同様式の仏寺建築である。これは我が国の古くから神仏習合の歴史を物語る一資料である。なお、指定の中には末社の高良玉垂社と常盤社新田霊社が含まれている。

国津比古命神社楼門 愛媛県指定文化財 北条市八反地 国津比古命神社

 北条市八反地の東、丘陵地にあり、櫛玉比売命神社に隣接している。由緒によれば、延喜式内社の一つで、風速国造物部佐利の創建と伝えられる。以後、風早氏の氏神として頭日八幡宮と称していたが、享保年間に今の社名に変更された。この神社の楼門は、加藤嘉明によって慶長一〇年(一六〇五)に松山市の阿沼美神社に創建されたものを、元禄年間(一六八八~一七〇四)に現在地に移築したものである。
 この建物は桁行三間、梁間二間、平家入母屋造、本瓦葺の八脚門である。創建後たびたび改造されているが、様式は和様を基調として一部唐様が加味されたもので、組物や彫刻に桃山時代の特色がよく残され、創建当時を偲ぶことができる。

三島神社拝殿 愛媛県指定文化財 上浮穴郡久万町菅生 三島神社

 久万町菅生の閑静な杉木立の中に鎮坐する均整のとれた端麗な姿の神社で、文献によれば、慶長八年(一六〇三)に松山藩主加藤嘉明の重臣、佃十成によって再建されたという。その後、貞享年間(一六八四~八八)に修理が施され、昭和三七年には大規模な解体修理が行われた。
 この建物は、桁行一一・四m、梁間九・八m、入母屋造、銅板葺で正面に妻破風を見せている。昭和の修理の際、藁葺を銅板に葺替えられ、外部の柱はほとんど取り替えられたが、内部の柱、虹梁、欄間、斗組、蟇股、化粧棰などは再建当時のまま残され、桃山時代の手法が偲ばれる高尚な優れた遺構である。

別宮大山祇神社拝殿 愛媛県指定文化財 今治市別宮町 別宮大山祇神社

 この神社は今治市内の大楠が繁る森厳な広い境内にある。社伝によると、大三島町の大山祇神社の分霊を大宝年間(七〇一~七〇四)に勧請され、越智玉澄が創建されたものと言われる。天正三年(一五七五)に来島城主越智通総によって社殿が再建された。その後兵火落雷にあい焼失したが拝殿のみは残り、昭和一三年この拝殿を絵馬殿として、中殿、拝殿を新築した。昭和二〇年の大空襲によって烏有に帰し、幸い戦災を免れた絵馬殿を昭和三〇年に拝殿とし、神殿・中殿を復興した。昭和三五年より三か年を費やし、天正三年の創建のままの柱梁、壁板などの用材を使って現在の拝殿を復元したもので数々の災害の変遷を経た建物である。
 この拝殿は桁行五間、梁間四間、平家切妻造、桧皮葺、純和様建築様式で、素木の簡素な建物であるが、神さびた格式の高い崇厳な中世末期の面影を残す優れた遺構である。

伊豫稲荷神社楼門 愛媛県指定文化財 伊豫市稲荷 伊豫稲荷神社

 伊予市の南、山がかった所にあり、付近は古墳や窯跡などが出土し古くから開けた地域である。棟札によって寛文二年(一六六二)の創建が明らかになった。元禄一三年(一七〇〇)の火災で楼門以外の社殿は焼失したがすぐ翌年再建されて今日に至ったものである。
 楼門は桁行三間、梁間一間半の重層式、入母屋造、本瓦葺である。柱はすべて円柱で、下部に粽をつけ礎盤をそなえ、蟇股には桜、唐草などの浮彫が施され、伊予の名工、余土の治部の作と伝えられ、様式は和様、唐様を兼ねそなえた桃山風の均整のとれた門である。

八幡神社本殿・拝殿 愛媛県指定文化財 上浮穴郡久万町直瀬 八幡神社

 久万町直瀬の小高い山の中腹に大木に囲まれ、ひっそりと本殿と拝殿が建っている。創祀や沿革について不明なところが多いが、応神天皇、仲哀天白『神功皇后の三神を祀り、昔から吉久の産土神として尊信を集めてきた。棟札によれば寛政二年(一七九〇)の再建であり、現在に至っている。本殿は約二m角の小堂で単層、入母屋造、柿葺、正面及び両側の三方に高欄のついた縁を設け、柱は角柱で、上屋だけの鞘堂が二重の屋根となり本殿を雨露から守っている。
 拝殿は桁行梁間とも約一〇m角の入母屋造、屋根は茅葺であったが、昭和三八年の豪雪でつぶされ、現在は鉄板葺ペンキ塗に変わっている。外部は簡単な高欄をつけた縁を三方に回し、内部との境は建具のない吹抜けになっている。拝殿の中央部を囲七三二㎝角の柱を四隅に建て、二重虹梁で各々端は象形の木鼻をつけている。
 総体的に本殿、拝殿とも構造意匠は簡素で清楚、江戸時代の山里の自然に調和した建築である。