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愛媛県史 芸術・文化財(昭和61年1月31日発行)

概説

 本巻は部門史『芸術・文化財』として編集した。第一編美術の部として、絵画・彫刻・建築・工芸・書道を収め、第二編芸能その他を、音楽・能狂言・茶華道・スポーツ・報道・出版・演劇に分かち、第三編として、記念物(名勝・天然記念物)・文化財と一四部門に亘り、愛媛の人、愛媛に貢献した人々の作品や業績、愛媛の風土に培われた芸術・文化財の特色を、歴史的にあるいは地域的に概説したものである。

第一編 美     術

  〈絵画〉 古代・中世においては、仏画・古図の類が、わずかに時代の作風を物語っている。近世以降、伊予八藩の成立に伴い、築城がなされて藩邸にふさわしい美意識が求められ、大洲藩主加藤家から出た文麗は中央でも著名であり、藩絵師としては松山藩の松本山雪・山月、大洲藩の若宮養徳、今治藩の山本雲渓、宇和島藩の大内蘚圃、西条藩の小林西台らがおり、南画糸では吉田蔵沢は異色の画風を発揮した。近代では松山の天野方壷・矢野翠鳳・土居の続木君樵・安藤正楽、川之江の三好藍石、宇和の白井雨山、宇和島の村上天心らがあり、今治の矢野橋村は大阪で活躍した。洋画では、下村為山・中川八郎らが先駆者となり、野間仁根、デザインの杉浦非水、挿絵の高畠華宵らも中央で活躍し、県下では塩月桃甫、藤谷庸夫らが洋画壇の育成に努め、県美術会も発足して大きな推進力となっている。
  〈彫刻〉 神像や仏像は信仰の対象として崇められてきたので、古代・中世以降その作品が少なくない。仏像には、平安初期の特色を表す木心乾漆菩薩立像(北条市庄薬師堂)をはじめ一七躯、神像には、鎌倉期の作と思われる大山祇神社の木造御神像・木造女神坐像など二一躯が国重要文化財に指定されており、その他、県指定仏像三四躯、神像九躯などについて愛媛県教育委員会の資料をもとに解説した。宝巌寺の一遍上人の木像は、郷土出身者を尊像にした点注目すべきである。なお、八幡浜市保安寺末の梅之堂と宇和島市潮音寺が蔵してきた阿弥陀五尊像など、南予の特色ある仏像については、毛利久博士の既発表論文を再掲させて頂いた。
 〈建築〉 古代の遺構、次いで平安朝風の大宝寺の本堂など、鎌倉期の国宝三件、室町期の国重要文化財一四件、県指定五件など、寺院・神社建築に中世の遺風を探求し、近世以降は、城郭・社寺・藩校・民家などと多様化して、歴史的町並み保存にまで言及した。近代においては、官僚・擬洋風建築など、釣島灯台も特色があり、宇和町の旧開明学校・道後温泉本館、大正期の萬翠荘、昭和初期の県庁本館、終戦後は従来の建築の特色を見直すことによって、都市計画の上から空間文化構成へと進んでいる。また、愛媛県県民文化会館は、現代建築の代表作である。
 〈工芸〉 上浮穴郡の上黒岩岩陰遺跡から発見された線刻女性像は、一万二千年前といわれ、以後出土の遺物があり、伊予軍印・禽獣葡萄鏡・経筒など、古代の作例もある。中世期、大山祇神社の甲冑・刀剣は国宝四点、国重要文化財七三点と、全国での指定文化財の大半を占め、全国一の宝庫として注目されている。中世期の五輪塔などの石造美術、近世期の刀工、文楽人形頭、陶磁器中の砥部焼、桜井の漆器など地場産業としての保護育成がのぞまれるとともに木蝋・伊予絣などの特産に、愛媛の風土が偲ばれるであろう。
 〈書道〉 書の歴史、日本の書から、伊予八藩の書が、しだいに書芸術として発展してきた経過をたどりうるように、近世以後、現代に至るまで、一〇〇余名の学者・僧侶・文人・俳人など物故者を時代順礼配列し業績を記した。とくに、良寛・寂厳とともに三名筆と称された明月、明治の三輪田米山は著名であり、河東碧梧桐の自在境は、新しい書風の契機となっている。
 なお、写真は今治吹揚城のガラス板が最初かといわれているが、本巻においては省筆のやむなきにいたった。

第二編 芸能その他

 〈音楽〉 明治期、洋楽の移入により、讃美歌・唱歌・民衆歌・軍歌が普及し、音楽会や吹奏楽団・合唱が流行、昭和一六年音楽放送開始される。終戦後、愛媛大学教育学部に特設音楽科が設立され、合唱・吹奏熱は高まり、県下の小・中学校、高校は全国コンクールに優勝・準優勝するなど、例年好成績をあげ、愛媛交響楽団も誕生するにいたった。
 〈能狂言〉 東雲神社の能面・能衣裳・狂言面は、一五万石に過ぎたものといわれたが、松山藩の能楽についてはほとんど解明されていなかった。今回はじめて武家方資料のみならず、町方の能も明らかになった。宇和島藩・大洲藩・西条藩についてもその緒を得た。明治以降は、池内信嘉らが中央で活躍するとともに、愛媛の能楽興隆に尽力し、地方としては格別の進展を見せ、今日の能楽会は、また希望に輝く発展を示している。
 〈茶華道〉 近世後期、町方の茶会の実情にもとづき、京都の裏千家・藩主などとの関係を示し、各藩と家元との関連から、明治以降の茶道・華道の各流派の普及状況を示した。
 〈スポーツ〉 近世の武術は、明治期からは剣道・柔道となり、野球・ボートなど、各種のスポーツの普及状況を年次順成果として概観し、別に中学・高校野球史については、その活躍ぶりを特筆した。
 〈報道〉 明治九年発行の「愛媛新聞」は、やがて「海南新聞」と改題して他紙と競争、戦後は「愛媛新聞」として地方紙の特性を発揮した。昭和一六年にNHK松山放送局開局、同二八年南海放送、四二年愛媛放送と民放が開局、五四年にはエフエム愛媛を加えて四局となり、愛媛の報道体制も多局時代となった。
 〈演劇〉 藩政期の芝居は、維新後急に盛んとなり、芝居小屋が各地に常設され、劇場主・興行師などの契約方法や、井上正夫・森律子ら郷土人の活躍の状況を示し、県下の芝居小屋設置状況の一覧表を付した。
 〈出版〉 近世の伊予に於ける出版から、近代出版の推移、叢書類など、郷土文化高揚に資してきた著書類について博捜し、年次の推移に伴い分野別に記載した。

第三編 文  化  財

 〈記念物〉 名勝として国指定は保国寺庭園以下一〇件、県指定は別子ラインなど一二件あり、人文的名勝や自然的名勝に言及している。天然記念物として、ニホンカワウソなど一一件、県指定七六件。地質関係として、国指定は八釜の甌穴群・砥部衝上断層、県指定六件をあげ、天然記念物の分類学的位置づけを示した。なお県下の巨木・名木・社叢・樹叢・照葉樹林など、天然記念物保護につき復元方法なども提示した。
 〈文化財〉 明治以降、文化財保護条例の施行を経て今日に至るまでの本県文化財行政の歩みを説き、併せて市町村別指定文化財の一覧表も付した。
 以上の項目について概説したが、至難な未開拓分野に鍬をいれ、初めて県民の活躍した文化面の足跡の一端を解明しえたと思う。本巻を契機に、愛媛の絵画史・建築史・スポーツ史などと、各分野別の著作が期待されるとともに、さらに愛媛の文化の重層性を考え、将来への明るい展望に期待している。

                       文化部会長 和 田 茂 樹