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愛媛県史 教 育(昭和61年3月31日発行)

2 開明学校の創立

 明治五年七月の学制頒布に基づき、同年一一月、開明学校が創設され、名実共に近代教育のスタートとなった。校舎は坪ヶ谷の申義堂を襲用し、教員数は二名であった。
 有志の中から校舎建築の問題がもち上がり、明治一五年、開明学校が卯之町大念寺の現在地に新築された。木造二階建、延面積三五八・五一㎡であり、昭和四八年修復し昔日のままの姿をとどめ、西日本最古の校舎といわれている。洋風のアーチの窓・白壁・四本の丸い通しの大柱など、当時ハイカラな学校として見学者が絶えなかったという(口絵参照)。時の文部大書記官西村茂樹も視察に訪れ、「開明学校」の扁額を残していった。
 同一六年一月から授業を開始した。学級数四、男生徒七四名、女生徒六三名。棟札には世話役、費用その他が記され、当時の模様がしのばれる。
 申義・開明両校舎と校内展示の教育資料は、明治初年における教育史料として高く評価されている。併設の歴史民俗資料館二階建一〇〇㎡には、本町出土の弥生・古墳時代の遣物が展示されている。