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愛媛県史 文 学(昭和59年3月31日発行)

3 翻訳文学

 谷間の姫百合  二宮孤松

 明治期の翻訳文学で本県と関係の深い人物は、二宮孤松と桜井鴎村である。
 二宮孤松(慶応元 一八六五~大正五 一九一六)に宇和島生まれ、本名熊次郎。明治一六年三月、一八歳のとき上京。私塾で英語を学び、のち「朝野新聞」(明治七年創刊・末広鉄腸が編集長)の記者として活躍、自由民権運動にも参画した。明治二一年二月、末松謙澄とともにイギリスの作家バアサ・クレイの『ドラ・ソーン』を翻訳し『谷間の姫百合』と題して出版した。二三年九月第四巻まで刊行され、訳文は孤松の手になったが二巻以後その名は記されていない。のち山県有朋に認められてドイツに留学。帰国後、内務省の嘱託となり山県に仕えた。一方、内藤鳴雪の紹介で子規の初期俳句グループにも参加している。のち「京華日報」「世界」の主筆として国粋主義を主張した。

 世界冒険譚 ほか    桜井鴎村

 桜井鴎村(明治五 一八七二~昭和四 一九二七)に松山市小唐人町(大街道)生まれ。本名彦一郎。桜井忠温の兄。生家の近くに、日本キリスト教界の長老押川方義(冒険小説家押川春浪の父)の養家先があり、幼年期より出入していたことからキリスト教に関心を持つ。やがて方義に伴われ上京、神田の英語学校で学び、キリスト教信仰へと傾いて行く。明治二三年、一九歳の鴎村は明治学院に入学、二五年六月に卒業する。一時、松山女学校で英語教師をするが、再上京。「日本宗教」の編集に従事したり、「女学雑誌」(女性啓蒙雑誌・明治一八年七月創刊)に外国文学の紹介や女子教育についての評論を執筆した。三二年女子教育視察のため渡米。アメリカ滞在中の新渡戸稲造や、津田梅子と親交のあったハッホン女史に会い、その支援で東部の都会を視察した。帰国後、大隈重信の推薦で報知新聞記者となる。一方、津田梅子と女子英学塾(津田英学塾)の設立に尽力し、三三年(一九〇〇)七月、創立と同時に英語担当の講師となった。のち「英学新報」(明治三四年創刊・三六年六月より「英文新誌」と改題)の編集主任をつとめる。晩年は実業界に転身、昭和四年五八歳で永眠した。児童読物として『勇少年冒険譚初航海』(明32 6)のほか、明治三三年八月から三四年七月にかけて『世界冒険譚』一二編を文武堂から刊行している。『初航海』はイギリスの冒険小説家メイン・リイドの作品の翻訳である。このほか、新渡戸博士の英文武士道の翻訳『邦文武士道』や、大隈重信編『開国五十年史』英文版の刊行にも尽力した。『欧州見物』『現代をんな気質』『近松世話物語』『英詩評釈』(大3)など多くの著作がある。