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愛媛県史 県 政(昭和63年11月30日発行)

2 新しい行政

 県章・愛媛の歌制定

 県では、愛媛県政発足一〇〇年を記念し、県民意識の高揚と清新にして進取的な県風を確立するため、広く県民の参加と協力を得て愛媛県章と愛媛の歌を公募、一部補正のうえ昭和四八年二月二〇日制定、県報をもって公告した。「愛媛県章」の図柄は愛媛の「え」を意匠化したもので、丸みの重なりは県民の和と郷土愛を、鋭角と結びは県の若さと飛躍発展を象徴している。また、「愛媛の歌」の歌詞並びに作曲は図3-18のとおりである。

 電子計算機の導入

昭和三〇年代後半に入り経済の目ざましい進展と急上昇に伴い、コンピュータ時代を迎えて県内各官公庁・団体・企業では、複雑・多様化する社会的・経済的諸情勢に対処し、また、事務能率の向上を図るため、電子計算機利用の検討が進められていた。しかしこのためには多額の経費を要するため、地方の実情としては相当量の業務を持たないと合理的利用ができないなどの共通の問題をかかえていた。このような中で、愛媛新聞社・伊予鉄道・南海放送・伊予銀行・愛媛県・松山市など二四法人が参加して、昭和四二年四月愛媛電子計算センターが共同利用のできるセンターとして設立された。
 愛媛県では四三年に漁業センサス、四六年には自動車税業務をセンターに委託して利用していたが、四四年四月から県独自で電子計算機導入の検討を開始し、四五年四月企画部に「電子計算機導入準備室」を置いた。翌四六年電子計算組織の業務適用計画を作成、四七年には導入機種(日本電気NEAC 2200 250B131KC)の決定、機械操作の開始へとすべての準備を完了した。四八年六月コンピュータの始動式が行われ、白石知事のスイッチによっていよいよ本番運転を開始することとなった。当初は給与、自動車税など四業務であったが、以後適用業務が逐年増加したので、五二年以降電子計算機の処理能力の向上を図るため、三回にわたりレベルアップを含めて更新が行われた。
 六二年三月には適用業務も七四と大きく増加し、利用面においても大量反復的な定型事務の段階から、予測・分析などの非定型的管理事務へと多様な利用形態がとられるようになった。

 公共用地の先行取得

公共事業の計画的な推進を図るうえで最も大切なことは、関係住民の理解と協力を得て公共用地を円滑に取得することであるが、この用地取得事務は、直接住民の利害に関係するものであり、適正かつ公平な運用が望まれる。これらの用地行政を円滑に推進するため、県では昭和三六年度から公共用地整備特別会計を設けて道路・都市計画などの用地先行買収を行ってきたが、四六年度以降は瀬戸内海大橋の用地買収も合わせて、六一年度までに二一○億五、〇〇〇万円余の用地先行取得を行った。しかし、最近における地価の著しい上昇と土地利用の混乱は、住宅用地・道路・公園緑地などの公共用地の取得難を招き、公共事業の計画的な実施を阻害する結果を生じた。
 このような土地問題に対処して、市街化区域の整備を促進するため心要な土地の先買制度の整備、地方公共団体に代わって土地の先行取得を行うことを目的とする土地開発公社の創設を規定した「公有地の拡大の推進に関する法律」が昭和四七年六月施行され、本県においても、この法律に基づき、四八年六月「愛媛県土地開発公社」が設立された。公社では、西海有料道路用地二億二、〇〇〇万円余、東予有料道路用地一一億三、〇〇〇万円余の先行買収を行った外、四国縦貫自動車道、国道一一号バイパス重信道路等を重点に、職員三五人が積極的な用地取得に努めている。

 県史編さん

 「来しかた見れば長けれど、行く手を見ればなほ久し、年の峠の春の雲」(吉川英治)
 年の峠に立って過去をふり返り、遙かなる前途への道しるべとするため、県史編さんの事業が県において計画されたのは昭和五四年秋のことであった。
 県では、大石慎三郎学習院大学教授を総括監修者に、顧問に斎藤忠、宝月圭吾、児玉幸多、小西四郎の日本史学界各分野の権威者四人を、また委員には県内大学関係者その他六六人(現在九三人)を委嘱、県立教育文化会館四階に一室を設けて準備作業に取りかかった。
 第一回の常任委員会は五四年一〇月三日に開かれたが、その席上、あいさつに立った白石知事はイギリスの詩人バイロンの「最高の予言者は過去である」という言葉を引用し、「過去の歴史を探究することによって明日への発展の原理、あるいはビジョン、方法といったものが見出されていくのでなかろうか、その意味で歴史というものは極めて大切であり、地域主義県政を推進していくうえからも基本となるべきものである」と述べられた。翌五五年四月、県庁に臨時県史編さん部が設置され本格的作業が開始された。
 県史は全四〇巻、その構成並びに年度別の刊行状況は表3-61のとおりである。
県庁第一別館竣工 県庁旧第一別館は、戦後、資材不足の悪条件下の昭和二六年二一月建築されたもので、二十数年を経て老朽化が進み、また、行政機構の拡充・整備に伴って狭陰となり、事務執行の上でも支障を来していた。
 白石知事は、これらの解消と将来の行政需要を見越して旧第一別館を解体し、旧自治会館跡を合せた位置に新県庁舎の建築計画を立てた。この設計に当たっては、新庁舎の位置を本館と並行にし、外壁には大島石を使って本館との調和を図るなどの考慮がなされた。五三年一〇月建築に着工、総工費四〇億二、七五〇万
円、地下三階・地上二一階建、鉄骨・鉄筋コンクリート造、当時官公庁々舎では県下一高層(四七・七三メートル)の近代的で風格のある第一別館が昭和五五年六月に竣工した。
 新しい第一別館は、地上各階の事務室を効率的使用のできるオープンフロア式とし、また、身体障害者のために玄関スロープ・専用トイレが設けられ、冷暖房はエネルギー節約のためヒートポンプ方式が採用されている。この第一別館の完成により県庁舎の総面積は、本館・第二別館を合せて三万六、七八六・四一平方メートルとなった。

 県議会議事堂竣工

戦前の議事堂は、現在の県庁舎本館東側に商品陳列所と並んで建てられていたが、昭和二〇年七月の空襲により焼失した。そのため戦後の県会は、県庁貴賓室で開かれ不便をかこつ状態で、早急な議事堂建築の必要に迫られ、二二年九月県庁舎本館西側に議事堂(木造、二階建)の建築工事に着手、二三年四月竣
工した。
 県議会はようやく独立した議事堂で行われることとなったが、地方自治制度の充実・確立期を迎えて、議会活動は次第に活発となるにつれ、一層設備の調った議事堂の建設が望まれることとなり、三二年一〇月建築に着工、百二年九月鉄筋コンクリート造の近代的な議事堂が竣工した。
 この議事堂は、総工費一億五、五五〇万円、地下一階・地上四階建、建築延面積四、八一三平方メートル、冷暖房設備、エレベーターニ基を備え、議会活動の殿堂として十分な機能を果たし、県民にも親しまれてきた。しかし、その後二十数年を経過して議会活動の活発化とともに狭隘となり、議会運営上も支障を来す状態となった。
 県議会では、議事堂建設特別委員会(委員長山崎福馬)を設置して各県の状況なども併せて調査・検討を行い、現在地に改築することが決定された。五五年一〇月工事に着手、総工費二五億九、四三〇万円、鉄骨鉄筋コンクリート造、地下二階・地上五階、建築延面積八、四一九平方メートル、近代的設備を調え、荘重で風格のある議事堂が県庁舎本館西側に昭和五七年一月完成した。

図3-17 愛媛県章

図3-17 愛媛県章


図3-18 愛媛の歌

図3-18 愛媛の歌


表3-61 愛媛県史の刊行状況

表3-61 愛媛県史の刊行状況