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愛媛県史 県 政(昭和63年11月30日発行)

2 地域開発

 四国地方開発促進計画

 昭和二三年、四国四県で構成する四国経済復興開発委員会が発足して資源調査が開始され、二七年一月、愛媛県では県企画室を軸に県総合開発審議会の審議を経て、県総合開発計画基本構想がまとめられた。その骨子は県下を東・中予及び西予(八幡浜市及び東・西宇和郡・喜多郡)南予(宇和島市及び南・北宇和郡)の四地区に分け、電源開発及び交通網整備を柱とした工業振興(臨海及び中小企業)、農林水産業の基盤整備と生産増強、治山治水・河川統制などによる国土保全に併せて未利用資源の開発が課題となった。
 政府は、昭和二六年国土総合開発法に基づく後進未開発の特定地域として「四国西南地域」を指定し、河川総合開発、道路・港湾の整備、農林水産資源の開発などを主導目標とした開発が進められた(第三章第一節四国西南地域総合開発計画参照)。翌二七年急傾斜地帯農業振興臨時措置法が制定され、本県は全県指定を受け、特異な急傾斜畑に対する土壌浸食防止などの振興助成策が図られた(第三章第二節急傾斜地帯振興対策参照)。
 昭和三七年全国総合開発計画(全総=三五~四五年)が閣議決定され、この拠点開発構想にそって昭和三〇年代後半、各地方ブロックごとの開発促進法が議員立法で進められた。これより先、三五年三月四国地方開発促進法が制定、同年一〇月第一次四国地方開発促進計画の閣議決定が行われ、四国の開発は国政の軌道に乗る形となった。
「交通施設の整備とともに、工業化を進めるため工業用水道、工業用地の造成、資源開発につとめる」ことが開発の重点指向とされ、将来の重点課題として本土及び九州との交通路整備、吉野川などの河川利用の高度化、廃止塩田の利用などが登場してきた。政府が設けた四国地方総合開発審議会では、吉野川総合開発事業(早明浦ダム建設)を四国開発の要として特に推進が図られ、吉野川総合開発部会を設けて三七年以降事業を進めた。本県も銅山川分水に関連し、四国四県共通の利益となるこの事業に最大の力を結集した。
 昭和三六年低開発地域工業開発促進法、三七年新産業都市建設促進法などと個別の地域開発立法が失継ぎ早やに制定され、四国全体を領域とする開発計画は、各県の利害競合をはらんだ複雑な様相を呈し始めた。
 第二次四国地方開発促進計画(昭三九~四五年)では、四四年策定の新全総を展望しつつ、「都市や産業の適正配置、地域格差の縮小を配慮しつつ、地方経済に飛躍的発展の契機を与えるための基盤整備を通じて産業構造の高度化を図る」と定められ、総合開発の共通課題をねらって①本土―四国連絡交通路の整備、②高速自動車道の建設及び地域内交通網の整備、国鉄予讃線及び港湾の強化など、主に交通施設の整備が問題となった。
 第三次四国地方開発促進計画(昭五四~六四年)では、第三次全国総合開発計画(三全総)の定住構想を受け、公害防止、自然環境保全、就業と生活の両全を期する産業振興と都市農村を通じる高度都市機能の整備が新たに登場した。
 昭和三〇年代から六〇年代の総合開発は、一貫して本・四連絡橋、高速自動車道、四国循環鉄道などの実現、すなわち交通体系の整備が大型プロジェクトのすべてを占め、交通上のネック解決が四国開発多年の課題であった。新たなテーマとしては、瀬戸内海島しょ部の観光レクリエーション、高知県にまたがる西南地域の水資源、水産資源、開口性港湾(高知県宿毛湾)などの潜在的な発展可能性や歴史・文化遺産の保全活用への着目がある。
 なお、本計画の審議機関として国土審議会四国地方開発特別委員会(国会議員八、知事四、市長代表一、町村長代表一、学識経験者七人で構成)が設置されており、また、四国地方開発推進委員会(四県知事・議長で構成)は、例年四国地方開発重要要望書を作成の上、自民党政調会国土開発四国地方委員会(委員長稲葉修)と協同して開発予算獲得に取り組む実動部隊となっている。このほか、四〇年に設けられた四県知事と国の地方行政機関の長(二六人)で構成する四国地方行政連絡会議がある。

 県長期経済計画

 昭和三七年国の策定した全国総合開発計画(全総)は、高度経済成長時代に即した拠点開発構想による工業分散の計画推進途上で開発メリットは太平洋ベルト地帯に偏りが著しく、急成長に伴う格差是正が急務とされた。同年策定の県長期経済計画(第一次、昭和三五~四五年)はこの情勢を踏まえて「長期的観点から県土の総合開発を進め、県経済の高度安定成長と県民福祉の増進を目的とした総合開発計画」であり、基本目標は県民所得、生活水準の全国比との格差是正及び県内地域間の格差是正におかれた(表3-32)。
 具体的には東予新産業都市建設や低開発地域開発など地域政策の活用、松山の中規模開発都市指定などの展開につながり、県経済の質量向上に直結する重化学工業化の促進、産業基盤の整備、すなわち道路、港湾の整備や工業用地及び工業用水の確保の諸事業計画が登場した。ひいては教育、労働訓練など先行的公共投資をはじめ格差是正の諸施策もからめて、農林水産業振興や福祉充実が織り込まれ、地域経済の一体的発展を図り地域の特色発揮を目指した。
 主要プロジェクト(開発計画)として、①今治―尾道間(のち瀬戸内海大橋)架橋促進、②中・四国間及び九・四間フェリーボートの開設、③四国縦貫自動車道の建設、④四国循環鉄道の建設、⑤重要港湾の整備、⑥松山空港の整備(滑走路延長一、二〇〇メートルから一、六〇〇メートルへ)、⑦工業用地の造成(二、三〇〇ヘクタール)、⑧工業用水の確保(日量一四〇万立方メートル)がある。

  〈第二次県長期計画〉

 政府は急進する高度経済成長に歯止めをかけようと、公共投資による「高福祉・生活優先」型を志向した新全国総合開発計画(新全総)を四四年に策定した。この計画では新交通通信ネットワークの整備と結ぶ「大規模プロジェクト方式」が打ち出され、広域体系の中での新たな展開が求められた。第二次県長期計画(昭四五~六〇年)はこの背景を踏まえ、環境文化に配慮しつつ「高所得・高福祉」を掲げて昭和四五年策定された。
 その基本方向を新交通通信ネットワークの一環形成による広域的開発、新しい経済開発、豊かな県民生活の推進におき、主要プロジェクトは、①瀬戸内海大橋の建設、②四国縦貫・横断自動車道の建設、③重要港湾の整備、④松山空港の整備拡充(滑走路二、〇〇〇メートルなど)、⑤四国循環鉄道の建設、⑥四国新幹線鉄道の建設、⑦工業団地の造成(二、八〇〇ヘクタール)、⑧工業用水の確保(日量一九〇万立方メートル)であり、新ネットワークの旗手として四国新幹線が浮上した。昭和四七年指定を受けた「南予レクリエーション都市の建設計画」も新全総下の大規模プロジェクトで、全国三番目に発足した。

 中央都市圏構想

 県都松山市は、松山城を中心に発展した都市である。
 中央都市圏構想は、松山市を中心に松山平野及びその背後にある伊予市、北条市、伊予郡、温泉郡を含めた広汎な地域における都市機能の整備と工業の開発を図り、併せて都市の中枢管理機能を高め、政治、経済、文化の中心地として発展させようとするものであった。
 昭和三七年二月、県は「中央都市圏建設促進協議会」(知事、県議会代表、関係市町村代表、学識経験者などで構成)を発足させ、続いてマスタープラン(基本計画)の作成を国土計画協会に委託、一一月その報告書が提出された。県ではこれに基づき三八年中央都市圏建設計画の構想をまとめ、具体的な実現へと取り組んでいった。構想の概要は「愛媛県中央都市圏建設計画の構想」(昭和三八年)、「愛媛県中央都市圏建設計画の概要」(昭和四三年)として発表されているが、骨子は次のようなものであった。
 (1) 地域の特色を生かし四国西部における政治、経済、文化、教育、観光等の中心都市として総合的機能をもった近代的かつ魅力のある都市圏とする。
 (2) 東九州、中国、四国地方の各拠点に対する交通圏を設定し、交通体系の新しい編成を図る。
 (3) 臨海部を中心に工業地区の集中的な造成を図るとともに、道路、港湾、用水など必要な産業立地条件を整備する。
 (4) 文化的な雰囲気を生かし、優れた観光地帯を形成する。
 (5) 工業用地、住宅地、商業地、緑地、農地等の土地利用計画を樹立する。

 中央都市圏構想はこのような計画で推進されたが、昭和四〇年代に入ると市町村単位の行政は、より広い圏域単位の行政へと大きく変ぼうし始め、四四年自治省は三全総に基づき「広域市町村計画」を、また建設省は「地方生活圏計画」をそれぞれ打ち出し、本県でも、五三年この計画を包含した六つの「地方生活経済圏」を設定し、それとともに従前の「中央都市圏」はこの中の「松山圏」(中央都市圏では後背地とされていた上浮穴郡を含む)に位置付けされて新しい出発をすることとなった(『愛媛県史資料編現代』七二〇~七二二頁参照)。

 東予新産業都市の建設

 新産業都市建設構想は全総で示された拠点開発構想の眼玉として打出された、個別具体的な地域開発政策であった。三七年制定された新産業都市建設促進法は開発拠点となる地区を指定し、その地区には税財政措置を含め、特別の政策的優遇措置が制度上裏付けされたので、この構想は中進県を先頭に全国に誘致熱を巻き起こした。一〇か所前後の地区指定に対し申請三九県、四四地区がひしめき、空前ともいえる猛烈な陳情合戦となり、本県も東予地区(越智郡島しょ部を除く)を候補地として名乗りを上げた。
 同年四月、新居浜市で東予新産業都市建設期成同盟会(会長小野新居浜市長)が結成され法制化を推進した。法案の国会通過後、五月には東予新産業都市建設協議会(会長久松知事)の結成大会が西条市で開かれ、経済企画庁宮沢喜一長官に指定陳情を開始した。指定獲得運動は、当初「全国一〇か所、四国は徳島だけ」との守りの固い政府方針に直面して難局に立ったが、三八年の知事選挙で重要公約として「新産業都市実現」を掲げた自民党籍の久松知事を先頭に自民党県連、関係市町村、財界など一丸となった力が結実して、同年七月、東予地区は閣議で全国一三か所の一つとして第一次指定が内定した。県をはじめ地元は喜びに湧き立ち、三九年一月、正式に区域の指定及び建設基本方針が指示されるにいたった。
 東予新産業都市の受け入れと発展を期しての建設促進大会が三八年新居浜市、三九年松山市でそれぞれ開催された。また知事の諮問機関「産業経済会議」が三八年発足し、県内のみならず東京・大阪会議で建設基本計画に関して県出身財界人らの意見反映を図り、三九年、県議会東予新産都建設特別委員会で基本計画を了承、同年一二月国の承認を受けた。
 この第一次基本計画(昭和三九~五〇年)の骨子は「東予地区は瀬戸内海地域のほぼ中央に位し、重化学工業の立地条件に恵まれ、すでに相当の工業開発が進んでいる。将来の基本的方向は瀬戸内海臨海工業地帯の一つの開発拠点として位置づけ、公害防止や海、山の自然景観の保護利用に努め自然と調和した緑の新産業都市の実現を図ることが目標とされた。工業開発については、新居浜・西条・壬生川(のち東予市)臨海部は我が国でも数少ない大規模重化学工業適地であり、既存の工業あるいは阪神など他圏関連も生かした新規の工業開発を積極的に推進する。制度主眼の都市建設は人口の適正配分、都市機能の充実を目指し、合理的土地利用計画のもとに産業基盤及び生活環境施設を意欲的に整備する」ものとしていた。
 この計画に沿って県の主要施策の展開が進んだが、石油危機を経て企業進出の停頓、構造不況、公害問題、安定成長への移行と産業経済の変化は著しく、本計画もこれに即して五二年第二次、五六年第三次と基本計画を逐次改定していった。すなわち第一次基本計画は、既存工業の開発及び新規立地の積極化並びにその基盤整備として用地、用水、港湾道路などに重点が置かれた。第二次(昭和五〇~五五年)は、産業構造の激しい様変わりから高級加工型(電子機器など)業種の立地も望まれ、既存業種対策は守りに立った産業育成が主流で、公害及び生活関連施設の重点整備も志向された。第三次(昭和五六~六〇年)も第二次の延長上にあったが、指定地域内の生活環境施設(教育・訓練・防災なども含む)の水準引き上げも継続された。企業立地にハードに対応する時代から、緩やかにソフトに、産業育成や生活基盤強化を図る時代への転換であった。

 南予新開発計画

 久松知事は、東予新産業都市の建設、中央都市圏構想の推進、南予開発を県政推進の三本柱として掲げていた。
 その中で、南予開発については四国西南地域開発、低開発地域工業開発など、個別の地域開発政策により推進が図られていたが、長期的展望に立った総合開発計画を策定するため、昭和四三年、「環境開発センター」に調査を委託した。同センターは南予新開発計画委員会(委員長八十島義之助)を組織、現地調査などを行い、四四年三月「南予新開発計画策定調査報告書」を作成した。
 四五年八月、県はこの報告書を基に「南予開発計画(七〇年代の南予)」を策定、今後の南予の開発方向を示した。基本的な発想は、南予の経済体質を「古典成熟型」としてとらえ、今後のあり方として西瀬戸内海の「経済流動環」の一環としての新たな位置づけを行い、立地条件を見直すことにより閉鎖的経済から開放経済への脱皮を図ろうとするもので、マスタープランは表3-35に示すとおりである。
 主な計画課題としては、①交通通信ネットワーク形成のため国道、高速自動車道をはじめ地域道路を主軸とする港湾、鉄道、空港の整備を図る、②水資源の開発を行い、果樹園・国営パイロット事業を主体とした農業用水、大規模工業開発のための工業用水、上水道及び観光用水などの開発を図る、③産業経済の近代化のため伊予灘臨海部の大規模装置型工業および内陸企業の導入と、農工一体による新しい農業の育成並びに観光レクリエーション開発、海洋開発の推進を図る、④社会生活環境の整備のため都市機能の充実整備を軸とした広域生活圏として、宇和島生活圏、大洲・八幡浜同圏の形成整備及び保健医療並びに社会福祉の充実を図る、とされていた。
 なお、交通体系の整備については、大規模プロジェクトとして、①四国縦貫高速自動車道(徳島―大洲)をさらに将来計画として大洲―須崎に至る延長線を建設し、四国を8の字で結ぶ循環線の建設、②港湾の整備とともに対岸の九州へのフェリーボート網の整備、③国鉄内山線の完成とともに鉄道新幹線(大阪―四国―豊予海底トンネル―大分―福岡)の実現、④地方空港、ヘリポート開設の検討などがあげられている。
 これらの調査の結果、先行する東・中予に比べ遅れ勝ちの南予の近代化への離陸(テイクオフ)には、抜本的な大型施策が急務となり南予水資源開発、南レク都市建設などが登場することになる。

表3-32 主要経済指標(県長期経済計画)

表3-32 主要経済指標(県長期経済計画)


表3-33 中央都市圏開発主要指標

表3-33 中央都市圏開発主要指標


図3-6 東予新産業都市建設計画図

図3-6 東予新産業都市建設計画図


表3-34 東予新産業都市主要開発指標

表3-34 東予新産業都市主要開発指標


表3-35 南予新開発計画主要経済指標

表3-35 南予新開発計画主要経済指標