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愛媛県史 民俗 下(昭和59年3月31日発行)

二 愛媛伝説の発掘

 伊予温故録

 『伊予温故録』は明治二七年に刊行されている。初版本奥付には、印刷発行日は明治廿 年 月 日〟とあって空白である。著作者宮脇通赫愛媛県松山市大字壹番町三十壹番戸、発行者山本盛信愛媛県松山市大字榎町拾壹番戸、印刷者中川義方 愛媛県松山市大字西町貳拾八番戸、発行所伊橡松山榎町十一番戸 向陽社―とある。大正四年に再版され、これを原本として昭和四八年複刻本が発刊された。本書は、伊予国全般と各郡とに分ち構成される。全国ノ部 地図及地勢ノ説明・古今田畝数及租税高・戸数人員・學校神社寺院ノ総数・國史ニ載スル古傅説・地名考・古来豪族ノ系圖・伊豫國沿革略、各郡ノ部 地勢及沿革・田畑宅地ノ反別地價・戸数人員・名山ノ高度大川ノ延長源末・島嶼ノ周囲・諸官廳ノ所在・學校数及教員生徒ノ数・神社ノ總数及社格ノ等級数・寺院ノ總数及各宗派ノ数・國史諸傅ニ載スル古傅説・古今ノ物産・古郡郷名及村数石高・明治二十二年町村制・古今有名神社・古今有名寺院・舊跡名所奇物名品・古城古館古墓・温泉冷泉・鑛石類・名木奇草。編者は述上の目次について…各郡所在神社寺院ノ由緒傅記舊跡名所古城古墓等ノ傅説及詩歌其他地方古老ノ口碑ニ存シ又傅聞實見セシモノニ至ルマテ總テ脱漏ナク古今ヲ網羅蒐集ス 加之古来俗説流傅ノ誂誤アルモノハ有説及編者ノ辯明ヲ掲ケテ讀者ノ参考ニ供セリ此篇ハ素卜温故ノ意ニ成ルト雖モ政治風教ノ責任アリ又世事ニ心アルノ君子ハ勿論普通人士ノ諸彦モ亦此篇ヲ座右ニ置カハ其ノ日用常務ニ於テ稗益スル所ノモノ少シト為サス又編者ノ意モ固ヨリ徒ラニ好古ノ雅人消閑ノ具ニ供スルノミニ非サルナリ…と述べている。編者はこのような立場より構成の各項目を、伊豫國 松山市 温泉 久米 和気 風早 野間 越智 桑村 周布 新居 宇摩 上浮穴 下浮穴 伊豫 喜多 西宇和 東宇和 北宇和 南宇和 の国・市・郡ごとに適応させ記述している。編者宮脇通赫(天保6~大正3)は新谷藩士堀氏に生まれ宮脇家の養子となる。南海・孤山などと号する。矢野玄道・香渡晋に師事し、維新時国事に奔走し明治政府に仕えたが帰郷(明13)、県属官となり退官(明23)、郷土史・地誌研究に専念し詩文を楽しんだ。宮脇がこの書において「國史諸傅ニ載スル古傅説」の項を設けた意図をつまびらかにすることはできないが〝温故ノ意ニ成ルト雖モ政治風教ノ責任アリ〟と編著の志すところからすれば〝伝説〟の現在的意義をほのかながら意識してのことであったかもしれない。

 伊予奇談伝説

 西園寺源透(元治1~昭22号富水)編著「伊予奇談伝説」二五巻が県立図書館に収蔵されている。8~11巻は欠本であるので所蔵巻数は二一巻である。「文部省奨励金ヲ以テ昭和一二年八月二〇日西園寺源透氏ヨリ購入」した旨の捺印がある。豫陽郡郷浬諺集・宇和旧記・吉田古記・大洲旧記・西条誌・小松邑志などの近世地誌のほか、新聞雑誌・書簡・談話などのなかから、奇談・伝説を抜き出して編集している。大正一〇年二月より昭和一〇年一〇月の一四年間にかけての収集資料である。各巻の原表題・編集・収載件数はつぎのとおりである。なお総目次一覧は「伊予の民俗29号」に収録されている。

1伊豫奇談稿一 (西豫) 大正10年2月編成 74。 2伊豫奇談稿二 大正10年2月製冊 63。 3伊豫奇談稿三 大正10年10月装幀 50。 4伊豫奇談稿四 (編集日付なし) 60。 5伊豫の傅説五(東豫) 大正10年11月製冊 60。 6伊豫の傅説六(西豫)大正10年12月初旬製冊 44。 7伊豫の傅説七(西豫)大正10年12月装幀 40。 8~11(欠巻) 12伊豫の傅説十二 大正11年9月装幀 70。 13伊豫傅説集十三 (編集日付なし) 72。 14伊豫の傅説十四 (編集日付なし) 32。 15伊豫奇談十五 (編集日付なし)62。 16伊豫奇談十六 大正13年7月上旬製本 44。 17伊豫怪談十七 大正14年9月装幀 60。 18伊豫の傅説十八 (編集日付なし) 52。 19伊豫の傅説十九 昭和3年6月装釘 40。 20伊豫の傅説廿 昭和卯年六月装幀 71。 21伊豫の傅説廿一 昭和6年5月装頓45。 22伊豫の傅説廿ニ 昭和9年9月装幀37。 23伊豫の傅説廿三昭和9年9月装幀 55。 24伊豫の傅説廿四 昭和10年9月製本 32。 25伊豫の傅説廿五 昭和10年10月装冊 28。

 柳田国男が南方熊楠宛書簡で「伝説十七種」の企図を示したのは明治四四年六月である。南方は柳田や高木敏雄にきわめて大きな影響を与える論考を示す(「南方熊楠全集」(平凡社)第1巻十二支考、第2巻南方閑話・南方随筆・続南方随筆、第3・4・5巻雑誌論考)。 東京朝日新聞を舞台として伝説蒐集を進めていた高木敏雄は大正二年「日本伝説集」を出刊した。柳田・南方・高木の鼎立のこの時期は日本の伝説研究にとって最も果敢な時期であったといえる。愛媛の地域史研究の組織機関として発足した「伊予史談会」に拠る研究者たちが、愛媛の歴史研究の傍ら、日本の伝説研究の動向に嘱目しながら愛媛の伝説に眼を向けたのも当然といえよう。「伊予奇談伝説」第一巻に挿入されている長山源雄の西園寺富水宛の書簡(大正10・7・11付)において、乾城は富水につぎのように提言している。富水がその編冊の原表題を当初〝奇談稿〟と名付けていたのを五巻以降の多くに〝傅説〟と付題したのは乾城の書簡以後ではないかと推測される。

 傅説御採集ならば左記之書を御参考と被成ては如何ですか ・高木敏雄氏著「比較神話学」(博文館百科全書ノ内)・仝氏著「日本傅説集」 ・仝氏著「童話の研究」 ・郷土研究(之は菅菊太郎氏御所蔵と存じます) ・日本傅説叢書 右の書籍を参考として系統的に分類されては如何ですか。
 富水の「伊予奇談伝説」25巻は、原表題の示すがごとく、奇談・伝説・怪談の編冊を包括させた書名で、資料を集積したものであって乾城長山源雄が提案指摘しているごとく、〝系統的に分類〟されたものではない。しかしながら、欠巻を除く21巻に収録された一〇九一件の伝説等資料の収集に示された熱意は愛媛伝説の発掘の嚆矢として認めらるべきである。

 愛媛伝説 書誌

 愛媛の伝説は民話・むかし話の名を冠しての書物に収録刊行されてきた。伝説と昔話の境界が明確でなく、しかも両者がともに相互の領域のなかで活かされてきたからである。第二節「昔話」(愛媛昔話の発掘)に挙げる刊行物にも伝説が多くとりあげられている。〝伝説〟と名づけられた書物のいくつかを列挙する。『伝説集全一六巻』(昭11 宇和島高等女学校36期生)、『日本伝説の旅下』(教養文庫366武田静澄 昭37)、『伊予路の歴史と伝説』(合田正良 昭39)、『今治の伝説』(大沢文夫 昭45)、『伊予路の伝説』(合田正良 昭46)、 『四国の伝説』(武田明 昭47)、『日本の伝説13四国』(日本伝説拾遺会 昭48)、『伊予三島市の歴史と伝説』(合田正良・合田一系 昭51)、『松山のむかし話伝説』(松山市教委文化教育課 昭52)、『愛媛の伝説』(愛教研図書館委員会 昭52)、『日本の伝説36伊予の伝説』(和田良誉・村上護 昭54)、『ふるさとの伝説発祥地』(県生活環境部県民生活課 昭55)、『小田のむかし話 伝説』(小田町教委 昭56)、『朝倉とその周辺の伝説と民謡』(朝倉中央公民館 昭57)ほか。
 近世地誌にも伝説資料が散見される。『予陽郡郷僅諺集』(奥平貞虎 宝永7)、「予陽寺社郡郷世諺集』『伊予二名集』(岡田通載 文化頃=予陽叢書)、『二名集』(貞享3)、『伊予温故談』(犬山為起 享保5)、『予陽塵芥集』、『伊予古蹟志』(野田長裕 享和3)、『予州古蹟集』、『愛媛面影』(半井梧菴 慶応2)、『小松邑志』(近藤範序 万延1)、『西条誌』(日野和煦 天保13)、『予松古跡俗談』、『伊予住来』、『大洲秘録』(人見甚左衛門 元文5)、『大洲名所図会』(大伴享)、『大洲旧記』(富水直政 寛政12)、『大洲旧草記』、『宇和旧記』(井関盛英 天保1)、『吉田古記』(森田仁兵衛 延宝9)などがそれである。近時、伊予市資料(豫州大洲領御替地古今集)や伊予史談会双書(愛媛面影・今治夜話・小松邑志・大洲秘録)が活字複刻されてわれわれは容易にこれらの書を手もとに置きうる。