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愛媛県史 民俗 下(昭和59年3月31日発行)

一 概要

 土地ごとの年中行事や祭りのなかに組み込まれ、いろんな祈願の意味をこめて演じ伝えられている芸能を、民俗芸能と呼ぶ。土地ごとの歴史や思い出がからんでいる点に着目して郷土芸能とも呼ばれるが、民俗の一環とみて民俗芸能と呼ぶほうが一般化しつつある。
 「芸能」ということばの意味には時代によって変遷があり、現代でも茶道・花道・香道を含めてパフォーミング・アーツPerforming arts(演じられる諸芸術)と呼んで「芸能」にあたるものとする考え方もある。芸能を「習い伝えて身につけた特定の行動の型が、人前に示され、その場で視聴者に感動を与えるもの」と考えると、その範囲がかなり拡大するが、いま、ここでは「芸能」とは歌舞のこと、つまり、マイとかオドリとか呼ばれる、型とか振りとかをもった動作を中核として、これに楽器や歌謡・セリフなどが伴うもののことだとしておく。歌謡はなくても舞踊があれば芸能にはいることになり、舞踊がなくて歌謡だけならば、民謡として扱うのが適当ということになるわけである。
 民俗芸能は、芸能であるから、芸能というもの全体がもつ特別な性格を、当然もっている。そのために、これを研究したり述べたりする上に、いくつかの問題が生じる。
 民俗芸能について調査・研究したり、叙述したりするには、
一 どこにどういう芸能が伝えられているか、なるべく広く、鳥瞰的につかむこと。
二 一つ一つの芸能について、その民俗とのかかわり、形態、由来、現在までの変遷などを、できるだけ詳しく 調べること。
 この二つが同時に行われてはじめて、民俗芸能がわれわれに語りかけてくるものをより深く知ることができるのであるが、これが、実は容易でない。それは、芸能というものの持つ性格からくるのである。
 第一に、芸能は物品ではなく、伝えている人が演じるときにだけ観察や鑑賞の対象としてあらわれる、人間の行動である。衣装・仮面や持ち物といった物品を伴うけれども、根本は人間の行動である。芸能が無形文化財とか無形民俗文化財とされるのは、正確にいうと、形がないからではなく、物品でないからである(この場合、芸能を伝えている人間が文化財なのではない。芸能が文化財であって、伝えている人は文化財の保持者である)。そこでこれに触れるには、それが演じられるときその場所にいて、演者と時間をともにしなければならない。そして多くの場合、その機会は一つの芸能につき年に一回である。そして芸能の数は多くあり、演じられる時期はかなり集中している。
 第二に、芸能は、舞踊を中核として、これに器楽や歌謡などを伴い、装束・仮面なども加わり、ものによっては特定の場所をしつらえるなどのことがあり、これらが一式そろって、はじめて具体的な一つの芸能となるという、総合的・視聴覚的なものである。この「一式そろって一つ」という性格から、たとえば本来の演奏の場である祭りの場からそれだけを切り離して別の場所で演じるということもできるのであり、また、芸能はそれだけで民俗学以外の学問の研究対象にもなりうるのであるが、より重要なことは、この総合的・視聴覚的なものという性格からして、芸能の調査・研究には、民俗・音楽・文学・舞踊など、いろんな方面の専門家からなるグループを作って、それぞれの面からの探究をやり、それを総合的にまとめあげる必要があるのだがその実行が必ずしも容易でないこと、また、たとえばこの書物のように、文字と写真とをおもな媒体として何かを伝えようとする方法では、芸能という対象の全体をうまく示すことができないこと、などの問題が生じるのである。
 調査・研究にかぎらず、芸能に触れるには、それが演じられているところに行って見聞きするのが根本であるが、研究や保存のためには記録がいる。記録の方法としていちばんよいのは、ビデオテープとか映画フィルムにとっておくことである。これだと、文字にもスナップ写真にもうまくかからない音と動きとを含めた記録が作れる。もちろん、文宇記録もスナップ写真も、それぞれに必要である。
 歌のフシを楽譜に、これは五線譜がよいと考えられるが、記号化して示す方法については、音楽を民俗学の対象としてどう処理するかという問題のほかに、民俗芸能や民謡の音楽はどの程度の詳しさで採譜したらよいのかという問題がある。大まかな譜だと微細で重要なところが落ち、くわしい譜はまた、ある人があるとき演奏した場合についての忠実な記録というにとどまり、かえって、フシの骨格をはっきり示すことができなくなる恐れがあるのである。
 また、舞踊については、五線譜に相当する程度の記譜法が、まだ、世界中どこにもない。
 こういうふうに、それが演じられるときその場でそれに触れなければならないこと、総合的な調査・研究が必要であること、さらに対象の全体をうまく記号化して示す方法がまだ確定していないこと、などの理由で、民俗芸能の実態が広く正確に知られることは、たいへんむずかしいのである。
 もちろん、調査・研究は進められていて、巻末の研究文献目録によって知られるとおり、鳥瞰的な把握という面でも、全国にわたって、ある程度のところまでは知られている。愛媛県では昭和五七年度に県教育委員会文化振興局が市町村教育委員会ならびに各芸能保存会の協力を得て作成した報告書『愛媛県の民俗芸能』によって、現状の大体のところが知られるにいたった。個々の芸能についての調査・研究も、過去数十年間に、いくたりもの研究者によって蓄積されてきている。最近ではビデオや映画による映像保存が、県下の教育委員会によっても行われはじめた。ただし、個々の芸能についての総合的な調査ということになると、芸能史研究会のメンバーによる「久太の花笠踊」(京都市)の総合調査報告書や、愛媛大学地域社会総合研究所の研究グループが作成した『愛媛県の郷土芸能の総合的研究―特に宇和海沿岸部の風流踊について―』など出はじめてはいるが、まだこの方法で全国をおおうにはほど遠いのが現状である。
 いきおい、この章では、文字と写真を主とし、それが扱いうる範囲内で、県内の民俗芸能の概要を述べることとなる。
 さて、愛媛県内に、民俗芸能がどれほどあるかというと、前記の昭和五七年度の調査で確認できたものは、四七九件である。調査に洩れているものもあり、そのほかに、いまは絶えているがかつては行われていたといわれるものがあるから、それらを加えると、その数は簡単には見当がつけられない。
 どういう種類のものがあるかというと、現存することが確認できるものの種類を三隅治雄『日本民俗芸能概論』の分類法にもとづいていうと、神楽芸に属するものでは採物神楽の巫女神楽・出雲流神楽と獅子神楽(継ぎ獅子を含む獅子舞)があって湯立神楽は現存せず、田楽芸に属するものでは田植神事が僅少例あり、風流芸に属するものには太鼓踊り・鹿踊り・念仏踊り・小歌踊り・盆踊り・採物踊り・仮装踊り・練り物のたぐいがそれぞれ伝存し、門付芸には土着化した例が見られ、祭人形芸はなく、他に郷土歌舞伎・郷土文楽などがいくつか見られる。
 つまり、中世以前に成立したとされている舞楽・延年・能・狂言などが欠けていることになる。仮面だけならば、宇和島市伊吹八幡神社の嘉元三年(一三〇五)の銘をもつ舞楽の散手面の例などがあるが、これも舞楽の演奏と関係があったかどうかは不明である。では愛媛県の民俗芸能の伝存するものはみな近世初期以後のもので、それ以前には芸能は何もなかったのかというと、そうは言えない。中世からあったという伝承をもつものや、江戸中期に改定されたらしいもの(当然、最初の起源は不明)もあり、また、その土地にもたらされたのは近世と伝えられていても、もとの土地にはそれ以前からあったと考えられる場合もあり、また、一見後世風のもののようでも、実は古くからの型が後世の様式のなかにとりこまれてうけつがれているという場合もありうるし、起源不明のもののなかには、中世以前からの由来を秘めているものもないとは言えない。また、途中でほろびていまでは痕跡も残さないでいる古い芸能も、むろん、なかったとは言えない。こういうわけで、現在わからぬことは、わからぬとしておくのが正しいことと考えられるのである。
 これらの芸能が、どのように分布しているか、そのごく大体をいうと、全県に広く分布して数の多いのは、二人で一頭を舞う獅子舞と、七七七五の歌詞や長大な口説に乗って踊る集団の盆踊りで、これが現在知られている全件数の約四〇%を占める。これは他県においても、そう違わぬ状況であろう。そのほかに、ある地域に偏って伝存するものがあって、東予地方の西寄りの海岸・島嶼部には継ぎ獅子・櫂練りが目立ち、中予地方の松山市とその周辺には伊予万歳が分布し、四国山脈の分水界を越えて南の南予地方には鹿踊り・伊勢踊り・花取踊りや、海岸・島嶼部の小歌踊りなど、おおよそ近世初期ごろの成立ないし伝来を思わせる諸芸能が特色を見せている。