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愛媛県史 社会経済6 社 会(昭和62年3月31日発行)

七 栄養改善と健康づくり

 栄養士の配置と栄養改善活動

 大正年間、愛媛県出身の佐伯矩博士は国民衛生の改善を提唱、自ら専門技術者を養成してこれを栄養士と称した。愛媛県では全国に先がけ工場課に栄養士を配置して産業能率の向上を図った。昭和一三年以後宇和島・三島・大洲などに保健所が開設されると、栄養士の業務も保健所事務の中で示された。昭和二〇年当時栄養士は西条・宇和島・久万の各保健所に配置され、主として共同炊事や青少年錬成の指導に当たった。
 昭和二二年一二月二九日「栄養士法」が制定になり、この年西条・今治・宇和島の三保健所に栄養士が置かれ翌年松山にも配された。全保健所に栄養士が配置されたのは昭和三一年であり、松山・宇和島には二名の栄養士がいたから計一七名の栄養士が栄養改善に貢献することになった。
 戦後の混乱期食糧難時代、栄養士は飢餓対策として輸入された小麦粉・トーモロコシ粉が日本人の嗜好に馴れないためその調理方法の指導に従事、穀粉・代用砂糖類を利用しての人工栄養児対策から学校給食の脱脂粉乳の溶き方指導で学校を巡回した。食糧不足による飢餓対策を脱出すると、蛋白質の摂取を進めて、山羊飼育、養鶏の奨励、大豆蛋白の増産などの指導に従事した。
 昭和二七年七月三一日の「栄養改善法」制定で栄養改善事業は飛躍の時代を迎えた。この法は、国民栄養調査の実施、栄養相談所の設置、栄養指導員の配置、集団給食施設の栄養管理、特殊栄養食品の標示許可制度の創設、栄養審議会の設置などを主要な内容としていた。愛媛県では昭和三〇年県食生活改善運動推進協議会が結成され、県事務所単位に支部を置いた。支部を中心とした栄養指導車による巡回啓蒙活動で地域住民の食生活改善への自覚が高まった。これの実践活動を期待するため各支部に生活学校が開校、保健所栄養士や生活改良普及員らが指導者となって地区ぐるみの食生活改善運動を進めた。この結果、地域住民の食生活向上をはかる民間の自主的組織が各地に誕生した。中でも新居浜市大島、西宇和郡三瓶町三島地区、北宇和郡吉田町沖下、向井谷地区などが相当の成果を挙げた模範地区として厚生大臣から表彰された。
 昭和四三年度からは新たにへき地保健対策の一環として、へき地の栄養改善のため栄養学級を開催するなどの栄養知識普及活動が進められた。また栄養改善活動は運動・休養を三位一体の形で総合調和させることが強調され、疾病の予防・治療の面からの食事療法の普及や主食改善、有色野菜の確保などバランスのとれた食生活が提唱されるようになった。

 共同保健計画と市町村保健センター

 愛媛県は昭和三八年度から五年間、みんながより健康に生きるための県民運動として共同保健計画を推進した。共同保健計画は、市町村の事業としてその地区に適応した保健衛生・公衆衛生を推進する地区衛生活動である。推進の母体となる衛生・医療技術などの指導は、県衛生諸機関と市町村の公共医療機関が共同して当たり、その地区の衛生診断を行い、そのカルテに基づいて市町村が具体的な諸施策を推進する仕組みであった。昭和三八年一一月県・保健所の推進協議会が発足、各保健所で生活衛生講座を開設して共同保健計画の遂行を呼びかけたところ、この年一五か所に市町村推進協議会が結成された。翌三九年度には全県の四〇%に当たる三〇市町村に推進協議会が生まれたので、これらの中から温泉郡重信町上林地区・北宇和郡広見町下大野地区・伊予三島市富郷地区など一六のモデル地区を選定、三月第一回共同保健計画県大会を催し、第一回衛生技術ゼミナールを開いて機関誌『共同保健』を創刊するなど、共同保健計画の理論と実践の基礎を確立した。昭和四〇年には北宇和病院農村医学センターが発足、下大野地区健康管理と渡江地区診断に着手した。各保健所の地区診断も実施され、この年は近代衛生技術と地区衛生の結びつきがモデルの域を脱して前進した。同四一年度は地区診断研究集会を東・中・南予ブロックごとに開催、保健婦活動と地区診断事後管理活動など市町村の共同保健体制が進んだ。計画最後の年の昭和四二年は保健所一地区診断の体制が確立、五年間の成果を第二五回日本公衆衛生学会で発表した。この年までの市町村推進協議会結成四六、生活衛生講座開設六五、修了者二、五〇〇人、地区診断一二か所であった。
 地区診断・地区組織・指導者育成を三本柱とする共同保健計画が所期の目標を達成したので、さらに疾病予防から健康増進へ前進させるため、昭和四七年から過去に特別地区診断などを実施した一一市町を指定して新共同保健計画事業を開始した。モデル地区では、四五歳誕生日無料検診、健康手帳交付、体力テストなどを実施、保健所の各種診断指導を受けながら健康な「まち」づくり体制の確立をすすめた。
 共同保健計画の実積に立脚して、地域住民に密着した健康診査・保健相談・健康教育などの対人保健サービスを総合的に行う拠点であり地域住民の自主的な保健活動の場とするため、昭和五三年度から市町村保健センターの建設助成を開始した。この年大洲市・伊方町・土居町の三か所に建設、同五四年西条市・川内町・松前町・伊予市、五五年玉川町、五六年中島町・今治市、五七年波方町・五十崎町、五八年宇和島市・新居浜市、五九年広見町に設立され、昭和五九年時で一五か所の市町村保健センターが開設して、地域住民健康づくりの拠点としての役割を果たしている。

 健康の保持増進と「県民健康の日」

 今日の愛媛県政は、「安定した生活と快適な環境づくり」の一環として幸せの源泉である健康の保持増進と栄養改善事業を促進している。栄養改善指導については、栄養・運動・休養を三つの柱とした総合的健康づくりを進めるため家庭の主婦や保健栄養活動者を対象とした栄養学級・健康栄養大学を開催、栄養学級終了者のグループリーダーを保健栄養推進員に委嘱して栄養を中心とした健康増進の諸活動を実行している。また通院中の高血圧症・糖尿病・肝臓病・通風の患者を対象に病態に応じた食事や生活指導を行い、ファミリー健康教室を開設して成人病要注意者等半健康人とその家族に疾病に対する正しい知識と調理方法についての集団指導を実施している。家庭の主婦はとかく健康診査の機会に恵まれないので、一八~四九歳の婦人を対象に健康診査とその事後指導の励行を図っている。
 さらに県民の総合的な健康づくりの推進のため、昭和五七年一一月から毎月一〇日を「県民健康の日」と定めた。この普及・啓発にあたっては、愛媛県健康づくり推進協議会(会長吉野章)を設置して円滑な推進を図っている。同五七年度は、県民健康づくり推進大会が松山市で開催、健康づくりの広場・健康づくり講座・美と健康のセミナーなど多彩な健康フェア行事が各地で繰り広げられた。
 昭和六〇年四月には県地域保健医療基本計画案がまとまり、保健医療圏構想による生涯健康づくりが推進されようとしている。