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愛媛県史 社会経済6 社 会(昭和62年3月31日発行)

四 墓地及び埋葬の規制

 埋火葬場取扱方

 墓地及び埋葬については、明治初期から内務省・警察当局の取り締まりが行われていた。明治六年一〇月墓地の新設及び拡張は制限され、同八年六月には焼場取り扱い方が出されて火葬場の配置・構造などに関して詳細な規定がなされた。さらに明治一二年一二月には府県に墓地の位置境界及び埋葬火葬の手続方法を定め、埋葬場の地形火葬場の構造を検察し取り締まりの方法を設ける事を指令した。
 これに従い、愛媛県は明治一五年五月一九日に「埋火葬場取扱方」を定めた。共葬墓地は一町村以上各一か所に限るが、既設の墓地への埋葬は従来の慣行による、新設墓地はなるべく荒蕪不毛及び山林などの薄税地で人家を隔てる一町以外で市街村落は二町以外の地に設けること、墓地の反別は人口一、○○○人につき二反歩の割合で設けること、墓地新設は町村総代二名以上と衛生委員連署の上願い出ること、願書に添付する図面は四隣の地形を明瞭に模写しそれぞれ色分けをなし、人家の距離及び飲用水路に関係の有無を記入すること、火葬場は墓地同様一町村中一か所であること、火葬場新設は人家を隔てる二町以外市街を隔てる五町以外の地に限ること、新設反別は一畝歩以内であることなどが内容であった(資近代2二三九)。

 墓地及び埋葬取締規則・細則

 太政官は明治一七年一〇月四日に「墓地及埋葬取締規則」、一一月一八日に「墓地及埋葬取締規則施行方法細目標準」を制定した。その概要は、墓地・火葬場は管轄庁が許可した区域に限るものであって、すべて所轄警察署の取り締まりを受けること、墓地・火葬場に管理者を置くこと、埋火葬は死後二四時間経過以後に行うものとし、市町村長の認可を受けること、碑表の建設は所轄警察署の許可を受けること、本則違反者は違警罪をもって処分することなどである。これにより墓地及び埋葬に関する制度は一応整備され、その後長く墓地行政の基本となった。
 愛媛県は、同年一二月二七日に「墓地及埋葬取締細則」を布達、墓地・火葬場は従前許可した区域に限るとし、止むを得ない事情があって墓地・火葬場を拡大または新設するときは郡役所を経て県庁に願い出ることとして、増新設の事由を詳記することや、国道県道鉄道大川に沿わず人家を隔てるおよそ六〇間(火葬場は一二〇間)以上であって土地高燥飲用水に支障のない地、なるべく荒蕪不毛及び山林などの薄税の地を選択せよといった条件を付した。なお、伝染病死屍の埋葬地は通常墓地の一隅を区画するか別に設けることとした。墓地の周囲には樹木を栽え、拡穴の深さは六尺以上とすること、墓地は清潔を旨とし掃除修繕を怠ってはならない、墓地には管理者を置くなど墓地管理に関する規定もあった。また火葬場は火炉煙筒を備え臭煙を防ぐ装置をし周囲に堀墻を設け、山林原野など人家を隔てた場所が望ましく、火葬はなるべく日没後行い火葬の灰は時々境内の一隅に埋却すべしなどと指示した。死屍を埋葬または火葬しようとする者は主治医の死亡届書を添えて戸長の免許証を乞うことといった死亡届堀火葬執行手続や変死の場合の処置を含めて一〇項目にわたり明示された(資社会経済下七二四~七二五)。この細則は明治二八年三月三〇日に新しいものに改められ、旧則が一九条であったのに対し二七条にわたり詳細な規制が加えられた。
 松山市は、明治二四年に和気郡御幸村大字祝谷鷺湯(鷺谷)、同村大字山越千秋寺境内、温泉郡朝美村大字沢字石塔ノ上、同村大字南江戸字客谷の四か所に共葬墓地を求め、四月「松山市共葬墓地使用規則」を定めて、墓地を等内と等外の二種に分けた。前者は一戸に付一坪~一六坪以内で各自の望みによりその場所を選定し、後者は墓地管理者の指示する順序に従ってその場所を定めることとした。市立火葬場は温泉郡石井村大字和泉字禰八馬場に敷地を求め、明治四二年四月一日から営業開始した。同日定められた「松山市立火葬場管理規則・使用料条例」では、火葬場には管理人・掃除夫・焚夫各一名を置き、火葬竃を一等から三等に分け、使用料金を区別していた。