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愛媛県史 社会経済2 農林水産(昭和60年3月31日発行)

三 開拓者資金など


 独自の金融制度

 開拓行政における融資制度は、一般の農業金融によっては開拓農家または、開拓組織の必要とする資金の融通が困難であったために、独自に創設された。そして特例措置または、特別枠の設定などによって貸し付けの円滑化が図られてきた。
 即ち、開拓者資金(昭二二)・開拓保証資金(昭二五)・農林漁業金融公庫資金(昭二八)・自作農維持資金(昭三二)・災害経営資金(昭二八)・営農改善資金(昭三三)などがそれである。
 これらの資金は、開拓農家の生産施設の整備、経営資材の確保、共同利用施設の設置などに必要な資金、開拓地の基盤整備などに必要な資金、開拓農家の災害対策などに必要な資金、開拓農家の負債整理などに必要な資金として融通されたものであった。
 開拓に対する資金の融通・管理・回収などは、県開連・開拓農協を転貸機関または管理機関として行なわれたものであるが、開拓組織の事務処理能力の欠如などに伴う債権管理の複雑化などによって、貸付金債権の管理・回収に著しい混乱を生じたので、例えば、元金優先充当など特例措置による管理が行なわれた。
 また開拓農家または、開拓農協に対して、制度的に、あるいは個別に開拓の特例措置としての負債整理対策が実施された。
 以下、各資金別の概要を示すと次のとおりである。


  1 開拓者資金
        
 制度の発足

 緊急開拓事業関係の二一年度予算案が作成され、開拓者に対する補助金として住宅建設補助金(一戸当たり三、○○○円)と開墾作業補助金が計上された。しかし、この少額の補助金では、住宅建設も営農の基盤整備も到底不可能であり、この補助制度の補完措置として金融対策が必要とされた。
 しかも開拓営農は、返済能力が生ずるまでに成長するには数年を要し、長期間にわたらなければ償還し得ないことは明らかなので、普通の銀行の融資を期待することは不可能であり、長期低利の金融方策を新たに講ずる必要があった。そこで二〇年の暮れからその制度化について検討が進められ、
 ① 農林中央金庫及び日本勧業銀行から融資させ政府がその五〇%について損失補償を行なう案
 ② 復興金融公庫に債務保証させる案
 ③ 政府が第二予備金により、四、五〇〇万円を農林中金に補助し、農林中金が自己資金を追加して一億五、
   〇〇〇万円を融資する案
などが検討されたが、いずれも当時の連合軍総司令部の承認を得るに至らず、結局政府直接融資という異例の開拓金融の構想が打ち出され、二二年一月一八日に開拓者資金融通法が制定されたのである。同時に開拓者資金融通特別会計法が制定され、開拓者資金融通法による資金の貸し付け、返済金の収納などは国に開拓者資金融通特別会計を設置して、一般会計と区分して行なう開拓融資制度が発足したのである。
 この制度発足の当初は、開拓地に入植し耕作の業務を開始した者に対し、
 ① 農機具・肥料・家畜などの基礎的営農資材・施設などを取得または、設置するのに必要な資金(貸付限度
   額一人一万円以内)
 ② 開拓者の住宅の取得または建設に要する資金(一人七、〇〇〇円以内)
を融資することとされ、その償還期間は二〇年(内五年の据置期間中は無利子)年利率三・六五%とされた。
 その後開拓者の生計資金の獲得、営農資金の補填等を目的とした共同利用施設の設置を推進するため、二二年一〇月に第一回の法改正が行なわれ、開拓者の組織する組合に対し共同利用施設資金が融資されることとなった。

 指導融資体制

 この制度を運用するに当たっては、開拓の実情に精通した部署において、開拓の進捗状況に即応した実務が行なわれる必要があるということから、本県の開拓課にも開拓者資金担当係が庶務係から独立設置され、初代係長に高橋敏則氏が就任し体制が整備された。そして、新規入植に対して、営農実施計画に応じて、基本営農資金が貸し付けられた。

 特別融資制度

 開拓者資金融通法の施行、融資体制の整備など、開拓者に対する営農資金貸し付けの体制は一応整ったが、敗戦による産業の壊滅で農業資金は極度に逼迫し、なかでも農機具の供給は格別困難であった。
 このような状況のなかで、折角、開拓者に対する金融制度の充実をみたにもかかわらず、農業生産資材の確保に適切な手段を講じないと供給不円滑の間をぬって横行する粗悪品が開拓地に流入するおそれがあり、これが開拓営農を阻害する懸念があった。また、開拓者の側では一般生活物資が不足している折柄、普通の手段では資材などの入手が困難であり、一方、インフレーションの昂進する中で、折角の営農資金が営農資材の導入に使用されず、目前の生活資金に変わるおそれが多分にあった。そこでこれらを防止し確実に営農資材を導入せしめるための措置が必要であった。
 このため、農林省では、通産省・経済安定本部・農林中金など関係機関・団体と協議し、二三年九月に「開拓者資金特殊融資実施要領」を定め、「開拓者の農業経営を速やかに安定させるため政府は開拓者の要望に基づき、開拓者の基本的営農資材を計画的に導入する目的をもって資材の斡旋を実施するとともに、開拓者資金融通法に基づきこれに伴う資金を融通する。」との基本方針を明らかにし、いわゆる現物融資、紐付融資を行なうこととした。
 このいわゆる特殊融資の対象とされたものは、農機具・大家畜・土壌改良資材である炭カルで、この制度は、その後、日本経済の発展とともに、次第にその必要性が失われ、三七年に開拓者資金貸付要領が改正され、上記特殊融資実施要領が廃止された。

 追加営農資金の融通

 二一~二二年にいわゆる緊急開拓で入植した開拓者に対しては、十分な融資が行なわれなかったため、特に大家畜導入の支障となりこれを補充する必要があった。これに加えて、二五年の朝鮮動乱あたりから、第二次産業の急速な発展とともに、他産業従事者に対する農業従事者の優位性が相対的に失われ、特に立地条件の劣悪な入植者の営農不振と低所得が目立つようになった。
 これらの開拓者の営農の確立を図るため、二七年七月に開拓者資金融通法が一部改正され、追加営農資金融通の途が開かれ、第一次振興対策資金の貸し付けが始まる三三年まで続いた。これが家畜資金と称され、年利率五・五%、償還期間五年(うち二年据置き、据置期間中有利子)の条件であった。

    第一次営農振興対策と開拓者資金
     ① 第一次営農振興対策資金の貸し付け
 二七年頃まで比較的順調に成果をあげていた開拓地の営農も、二八・二九年の連年災害により大きな打撃をうけ、これに伴う災害経営資金の借入額が開拓者の総負債の二割を占めるなど、開拓者の営農に重圧を加えることになり、これらを解消するために三二年四月に開拓営農振興臨時措置法が制定され、既入植者に対する各種の振興対策が総合的に実施されることになった。
 開拓者資金からも、振興法に基づいて営農改善計画を樹立した開拓者に対し、営農振興対策資金が三三~三七年の間、追加融資された。
     ② 災害対策資金の貸し付け
 上記のように不振開拓者に対し、振興対策資金の貸し付けを行ない、その振興を図ってきたが、毎年襲来する災害により甚大な被害を受ける開拓者が多く、営農改善計画の達成が阻害される場合が、少なくなかった。しかし開拓者は受信力が少ないため融資の途は全くなかった。そこで、振興対策の補完措置として、三五年七月に開拓営農振興臨時措置法の一部改正が行なわれ、開拓者資金融通特別会計から災害対策資金が貸し付けられた。
     ③ 営農促進資金(谷間資金)の貸し付け
 振興法では、原則として、入植後五年以上経過した者を対象とするという条件があったため、二九年から三二年の入植者の多くが、振興法と改訂新規入植者扱いのいずれの恩恵にも浴することができなかった。そこで、これらいわゆる谷間入植者のうち、営農の不安定な開拓者を救済するため、三六年度から営農促進資金が貸し付けられた。
     ④ 償還条件の緩和
 開拓者が借り入れた政府資金の利子はわずかであっても、生産力が低いため、相対的に家計費の支出は増加し、負債の償還が開拓者の経済に重圧を加え、営農の伸長を著しく阻害して開拓者の営農努力にもかかわらず、次第に固定化の傾向がみえてきた。
 そこで、営農振興対策の一環として開拓者の負債の大宗である開拓者資金の償還猶予措置が必要となり、三四年八月に国の債権管理法第二四条に基づく履行延期の措置がとられることになった。この措置は、運用拡大の余地を許さない性質のものであり、一般的・客観的な原因に基づく、大量の開拓者の負債を対象にするには、手続きが煩雑なこと、条件がきびしいことなどのため、初期の目的を達することができなかった。
 このような事情から、抜本的な対策が要求され、三七年七月に「開拓者資金融通法による政府の貸付金の償還条件の緩和等に関する特別措置法」が制定された。

 この法律は、次のような措置を講ずることに大変役立ち、成果を収めた。
  ○ 対組合貸債権の対個人債権への切り替え
  ○ 債務の一本化
  ○ 償還条件の緩和
     (最も償還困難なもの)
      五年据置き 一五年償還
     (現行約定では償還困難なもの)
      据置きなし 一五年償還
     (現行約定償還可能な者)
      緩和の対象としない

    第二次営農振興対策と開拓者資金
     ① 第二次営農振興対策資金の貸し付け
 既入植者に対する各種の振興対策の一環として、開拓者資金からも中期資金などが追加融資され、特に三三年度から第一次営農振興対策に基づく振興対策資金が大量に投入されたのであるが、開拓農家の営農振興は達成されず、三六年一一月の中央開拓営農振興審議会の答申に基づいて第二次開拓営農振興対策が実施されることになった。
 即ち、三七年度において「開拓地営農改善方策の調査検討要領」が定められ、第二次振興対策のための予備調査が行なわれた。その結果に基づき、原則として三二年以前の入植者を対象に三八年度以降五か年間に「開拓営農振興計画樹立認定要領」に基づき、おおむね五年後に中庸専業農家の水準に到達することを目途として営農計画を樹立させ、知事が認定を行ない開拓者資金の貸し付けなどの助成措置を講じた。
     ② 営農の振興を期し難い開拓者に対する負債対策
 開拓地営農改善方策の調査検討の結果、既に一般農家の水準に達しているとみられる者を一類農家、一定の助成措置により一般農家の水準に達しうる者を二類農家(本県第二節のとおり四三八戸認定)、営農の振興を期し難い者を三類農家と区分した。
 二類農家については、三八年度より第二次振興対策資金の貸し付けなどの助成措置がとられたのであるが、営農の振興を期し難いいわゆる三類農家に対する救済策が問題となり、四〇年三月「営農の振興を期し難い開拓農家に対する負債対策実施要領」が定められ、関係制度を最高に活用して負債対策を実施することとなった。
 これに先立ち開拓者資金については四〇年一月に「国の債権の管理などに関する法律」に基づき「開拓者資金融通特別会計に所属する貸付金債権につき徴収停止または履行延期の特約を行なう場合の基準」が農林大臣・大蔵大臣の協議により定められていたので、この基準の運用により対処することとされ、措置時点から一〇年以内(うち五年間据置き)の範囲で償還期間を延長する履行延期の措置が、四〇年度から四三年度にかけて講ぜられた。


 開拓行政の一般農政移行時と開拓者資金

 開拓事業は緊急開拓以来、それなりの成果を収めたが、四〇年代には、当初の入植者の約半数は社会的・経済的変化により開拓地を去った。しかしながら残っている多くの開拓者については第二次振興対策などに基づき講ぜられた諸施策の効果が、ようやく現れ、一般農家に比してその農業生産の伸びは顕著なものがあり、農業所得においては、一般農家の水準を上回り、農外所得を含めた農家所得においても一般農家の水準に急速に接近しつつ、その営農を伸ばすには、一般農政の中で広く各種の制度を利用することが必要であると判断され、四四年度に開拓行政を一般農政に移行させる方針が決められた。
 この一環として開拓行政開始以来開拓者に対する資金供給の中核をなしてきた開拓者資金融通特別会計の債権・債務が農林漁業金融公庫に引き継がれることとなった。その内容は県信連委託扱いが一、〇八四件・二億七一四万二、三一三円で九三%を占め、直扱いは三三六件約一、五〇〇万円であった。

 開拓者資金の貸付実績とその財源など

 二一年以来開拓者資金の貸し付けが打ち切られた四四年度末までに開拓者資金融通法及び開拓営農振興臨時措置法(災害資金)に基づき、開拓者資金融通特別会計から貸し付けられた開拓者資金の総額は、全国で五八一億九、四四八万円、本県は三億八、一九七万円余であり、各資金別の貸し付け状況は表3-15のとおりである。
 これらの貸付金を支弁するための財源は、二一年度から二三年度までは、開拓者資金融通特別会計の負担で発行された国債によっており、その発行総数は三一億一、四四〇万円となっている。その後、二四年度からはいわゆるドッジラインによる超均衡財政の方針により、国債の新たな発行はとりやめとなり「開拓者資金融通特別会計の貸付金の財源に充てるための一般会計からする繰り入れに関する法律」に基づき毎年度一般会計からの繰入金より貸付金を支弁することとなり、二九年度まで毎年一般会計から繰り入れが行なわれ、その繰入総額は、八八億六、九四一万円となっている。さらに三〇年度からは、それまでに開拓者に貸し付けられた貸付金の据置期間か経過し、償還元金をもって貸付財源の一部に充当することができるようになったなどにより、二九年度をもって一般会計からの繰り入れは打ち切られ、以後資金運用部などからの借入金により貸付財源を賄うことに改められた。


  2 開拓保証資金

 肥料・農薬など短期資金

 この資金は、開拓者が必要とする短期経営資金の融通を円滑化するため、当初は開拓信用基金制度により、その後は立法化された開拓融資保証制度によって、農林中央金庫からの借入金に対して債務保証をした資金である。本県の利用状況は表3-16のとおりである。


  3 農林漁業金融公庫資金

 農機具・農畜舎など長期資金

 開拓農家は、開墾・営農が進展するにつれて、土地改良に必要な資金、共同利用施設の設置に要する資金、又は農機具・農畜舎・家畜などの整備に要する資金など、長期に対する需要が高まってきた。これに応ずるためには、この公庫資金を開拓者資金などとの総合関連のもとに融資することが緊要となり、三一年に開拓枠として全国で八億円を特定して資し付けたのを始め、一般農政移行まで続いた。さらに三六年開拓パイロット事業の発足に伴い、その補助残融資も加えられた。


  4 自作農維持資金

 開拓営農振興対策における融通

 三二年に制定された開拓営農振興臨時措置法の法案審議の過程において、五か年間に毎年五億円をくだらない範囲で開拓農家の負債整理のために自作農維持資金を貸し付けるようにとの趣旨の付帯決議がなされたことに伴い初めて開拓者に対するこの融通制度が定められた。
 この取り扱いは、営農改善計画などにつき、知事の承認があった者を貸し付けの対象とした。貸付資金の種類は、維持資金とし、個人貸借の高利債務の借替を本旨として、系統金融機関からのものは特別の事情のない限り原則として対象としないこと。また、政府資金・公庫資金などは対象とされなかった。
 この措置にあたっては、開拓者の営農の基盤が著しく脆弱で信用が乏しいことから当初は種々の制約、特に農林漁業金融公庫の委託機関としての県信連が消極的であった。しかし結果的には予定以上の貸付実績があり、成果があったと認められる。
 一方、これらの資金は、低利(年利五分)ではあったが、開拓者の受信力不足のため、遠隔地の親戚から保証人を依頼するなど、関係経費が莫大なものとなり、国の意向が末端まで届きかねる向き、なきにしもあらずであった。

 第二次振興対策における融通

 昭和三八年度から第二次としての新開拓営農振興対策が実施されたが、開拓農家を第一類・第二類・第三類に区分し、援助の対象となる第二類農家は、開拓営農振興計画の認定を受けて営農振興対策資金(政府資金)が追加貸し付けられるほか、開墾作業費、開拓地改良工事費などについて助成が受けられた。
 この第二類農家のうち延滞負債の償還が困難な者について、整理をすることで真に営農の確立が期し得る場合に、延滞負債の借り替え措置として、「開拓者に対する自作農維持資金の融通の臨時特例に関する省令」(昭和三九年九月)が制定された。
 この貸付対象者は、延滞負債について、債権者から支払い方法の変更の措置を受けても、償還が困難と認められる者であって、この整理をすることによって、開拓営農振興計画の認定が受けられ一般農家並みになれるもの(計画樹立農家)となっており、最高一戸当たり五〇万円の限度であった。


  5 災害経営資金

 特別措置法で開拓特例

 開拓者が災害による被害農家になった場合には、その日暮らしの身であるが故に塗炭の苦しみにあえいだ。そこで特別措置法により、開拓の特例が設けられた。即ち、一般の年利率六分五厘以内に対し、開拓者は、五分五厘以内であった(融資機関などは、同一で系統農協である)。なお、昭和四四年二月一日現在本県の総借入金額は六七六万円(六六戸)であった。


  6 営農改善資金

 災害資金の借り替え

 昭和二八・二九年の連年災害で開拓農家は大打撃を受け、開拓営農振興臨時措置法が制定されたのであるが、政府資金の償還額も多額にのぼり、さらに災害経営資金の償還が重なり、再起不能の状態になった。そこで、この法律によって災害経営資金を営農改善資金をもって借り替えることが定められた。年利率は、三分五厘と五分五厘の二種になっており、償還期間は一二年以内(据置き三年以内)であった。なお、本県の昭和四五年一月現在の貸付累計額は五六万円であった。

表3-15 開拓者資金の貸付状況等

表3-15 開拓者資金の貸付状況等


表3-16 開拓保証資金利用状況

表3-16 開拓保証資金利用状況