データベース『えひめの記憶』
愛媛県史 社会経済2 農林水産(昭和60年3月31日発行)
三 愛媛県開拓協会
側面的協力機関
全国開拓協会は、農林省と密接な連けいのもとに開拓事業を円滑に推進するため、民間の声を反映すると共に、直接には開拓者に対する援護を行なっていた。それに呼応して各県にも、それぞれ開拓協会を設立し、開拓事業の側面的協力機関としての役割を果たすこととなった。
愛媛県開拓協会は、開拓増産地方本部及び戦後組織されていた農事振興会などの業務で県に吸収できない事務を一括して担当することとなった。
即ち、松山市東野の開拓訓練所の運営、開拓増産隊、開拓建設隊の業務管理を担当し、開拓地の開墾や入植者の住宅建築などにも従事してきた。昭和二四年以降は、これらの業務を打ち切り専ら開拓者の保健文化施設業務を指向することとし、開拓保健婦の設置、救急箱の配布などを行なった。また、松山市に開拓寮を設置して開拓者の宿泊施設として活用させた。なお、この協会だけは、今も存続し、県の会長は、小西高雄氏である。本部も東京で宿泊施設を引き続き運営している。
(注) その他の組織として、満蒙開拓引き揚げ者を中心とする満州開拓民自興会があった。