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愛媛県史 社会経済2 農林水産(昭和60年3月31日発行)

一 開拓農業協同組合と同連合会


 帰農組合から開拓農協へ

 開拓者の組織として、入植者が当初、開拓地毎に帰農組合を設立した。そして開拓地における生産から生活に至るまでのあらゆる面で協同体として活躍し、相互扶助の精神で物資欠乏のなかでも和気あいあいのうちに、最低限の生命を保つだけの生活を続けてきた。
 ところが、これらの開拓帰農組合は任意組合であって法人格がなく、かつ開拓者一人一人には資産も全くなかった。従って、第三者に対しては信用もなく経済行為は行なえない状態であった。
 昭和二二年一一月一九日、農業協同組合法が公布施行され、法の目的である「農民の協同組織の発達を促進し、もって農業生産力の増進と農民の経済的社会的地位の向上を図り、あわせて国民経済の発展を期する」ため、県の強力な指導で日成らずして各開拓地区に続々と、開拓農業協同組合が設立され、開拓者資金の融通、入植施設の建設、営農の組織化等々の事業を実施する態勢が整えられた。(資料編p697)
  (注) 愛媛県下に設立された開拓農業協同組合は、出資組合七、非出資組合一一七、計一二四組合であった。
 一方、開拓農協の県段階組織として同連合会も昭和二四年に設立され、県庁開拓課内に事務所をおき、農協法の趣旨を忠実に履行し、四八年の解散まで会員のために最大の奉仕を続けた。