データベース『えひめの記憶』
愛媛県史 社会経済2 農林水産(昭和60年3月31日発行)
第二節 水産区組合・漁業組合・水産会
―水産業協同組合施行前―
水産区組合
明治一九年二月一〇日水産取締規則の制定によって沿海の村浦を一五水産区(一区~六区は現香川県領に属し、七区~一五区は現愛媛県領に属する)に区分し、各水産区ごとに組合事務所の位置、会議に関する規程、頭取及び取締の権限、水産繁殖及び保護の方法、漁村維持の方法、魚市場・魚問屋・仲買などに関する規程、営業上紛議仲裁の方法、違約者処置の方法、費用の賦課徴収及び支出の方法、事務所に使用する印章、その他必要な事項を組合規約として定めさせ、県の認可が必要なものとした。これらの各水産区には頭取一名、取締一名以上を区内の営業者間の互選で選出し県令の認可を受けさせた。このほか営業者のいる村浦では惣代人二名以上を互選のうえ郡役所に届出させた。表10-1は明治一九年における各水産区ごとの頭取・取締などの役員名と区域を示したものであり現愛媛県関係地区は頭取一〇名、取締二〇名が選出されている。
漁業組合(大正三年末)
明治二三年漁業組合規則が施行され、当時すでに組織された組合が存在していたが、その後明治三四年漁業法の制定に伴ってその組織も改められ、法人として公認せられたのである。大正三年における漁業組合の状況は表10-2のとおりであり、組合数は東予地区六五、中予地区三七、南予地区四三、計一四五組合であり、東予地区が最も多いが組合員数はそれぞれ四、四二五人、三、〇三六人、七、七二九人計一万五、一九〇人で南予地区が最も多くなっている。次に組合員貯金についてみるとそれぞれ、二、二二六円、一、八八〇円、二八六円、計四、三九二円で東予地区、中予地区に比べ南予地区はきわめて少なかった。
水産組合(明治一六年~大正三年)
明治一六年一二月西宇和郡を一地域とする水産組合が設置せられたが、四一年六月に解散し、四三年に至り全県を一地域とする本組合を設置した。そして四四年二月組合定款に改正を加え、各郡に支部を設置することとし、支部経費の徴収は支部規程に一任するとともに、地方独自の適切な事業は本組合から独立して実施できることとした。大正元年~大正四年における水産組合の事業概要は表10-3、明治四一年~大正三年における同組合の経費総額は表10-4のとおりである。
漁業組合(昭和六年)
昭和六年における県下の総組合数は一四四、その内訳は東予地区六八、中予地区三三、南予地区四三で東予が最も多い。しかしながら組合において共同施設事業(販売、購買、資金貸付等)を実施しているところは四二組合、約二九%にすぎず、全般的には組合本来の機能を充分発揮しているとはいえない状態であった。組合員総数は一万六、〇八三人であるが、地区別にみると南予地区が最も多い。経費支出・積立金・負債額などの郡別内訳は表10-5のとおりである。
漁業組合連合会(昭和六年)
昭和六年における漁業組合連合会の設立状況をみると東予地区三、中予地区一、南予地区四、計八連合会であり、これに加入している関係組合は一〇九組合で全体の約七六%となっていた。漁業組合連合会の概況については表10-5のとおりである。
水産会(昭和六年)
大正一〇年に水産会法が制定せられるとともに、その必要性を認めて、大正一一年に各郡市水産会を設立し、さらにひきつづき県水産会を設立して事業を実施した。
県ではこれに対し創立以来毎年県費助成を行ないその発展に努めた。水産会が施設事業として実施したものは次のとおりである。
施 設 事 業
一、専任職員設置(製品検査主事一名、書記一名)
二、郡市水産会事業奨励
三、出漁奨励
四、水産物製品検査(煮干鰮海苔)
五、共進会出品勧誘
六、共同施設の奨励
七、水産物の販売斡旋
八、漁業必需品購買斡旋
九、遭難救恤
一〇、水産講習講話会開催
一一、品評会の開設
一二、会報発行
一三、水産功績表彰
一四、水産大会開催
一五、郡市水産会役職員協議会開催
水産会の事務所、会員数、事業費、設立年月日などの概要は表10-6のとおりである。