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愛媛県史 社会経済1 農林水産(昭和61年1月31日発行)

一 缶詰加工の発展と生産者団体の進出


 ミカン缶詰の伸長

 青果物の缶詰加工事業は、果実(昭和二二年)・野菜・鮮魚(昭和二四年)の統制廃止によって急速な復興に向かうことになった。なかでもミカン缶詰は、民間貿易の再開(昭和二三年)とともに戦前にまさる活況を取り戻した。
 戦時統制により企業合同していた愛媛県合同缶詰株式会社は法定解散により、多くはそれぞれ合同前の経営に復帰した。昭和二五年にぼっ発した朝鮮戦争は、米国の物資現地調達の方針によって、わが国の缶詰業界にも活況をもたらした。戦後の本県青果物加工事業の新しい展開の一つに、生産者団体による缶詰加工への進出がある。そのほとんどはミカン缶詰を中心にしたものであり、温州ミカンの生産増加に対応して、自らの加工機能によって共販の底辺を形成しようとするものであった。困難を伴う缶詰加工事業に、多くの生産者団体が進出したことは全国的にも異色な展開であった。(表5-8)
 果実缶詰の主軸となったミカン缶詰は、輸出の占めるウエイトが高く、それをめぐる過当競争の過程を経て「中小企業安定法」にもとづく「日本蜜柑缶詰調整組合」を設立して、輸出数量および販売方法の制限を行い、輸出秩序が維持されて現在に及んでいる。(資料編社会経済上二五七頁)

 その他の缶詰

 缶詰加工品としては、ミカン缶詰の他に夏ミカン・モモ・ビワ・栗・ブドウ・マーマレード・ジャム、野菜の筍・フキ・マツタケ・グリンピース・マッシュルーム、魚肉の牛肉大和煮・牛肉野菜煮・イワシ油漬・サバ味付・カキ水煮・サザエ・ボイルドチキンなど多彩なものが製造されている。

 愛媛県缶詰協会

 昭和三〇年に県内の缶詰工場が参加して、「愛媛県缶詰協会」が設立された。その活動目標は、原料の安定供給対策、製造技術の交流、情報の交換、缶詰の普及宣伝などであった。なかでも原料対策の面では、ミカン・モモ・筍・粟などについて共同購入を進め、購入当座組合を設置して、生産者団体との間に売買契約を締結して計画的な原料取引を実現して成果をあげた。
この協会の設立を機縁として、本県に空缶会社の誘致設立の機運が起こり、県内加工業者と東洋製缶株式会社の共同出資により、四国製缶株式会社(昭和三二年)が設立された。この空缶会社の設立は、本県の缶詰および果汁加工事業の発展に大きく貢献するものとなった。


表5-8 農協組織による缶詰加工事業開始状況

表5-8 農協組織による缶詰加工事業開始状況