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愛媛県史 社会経済1 農林水産(昭和61年1月31日発行)

二 江戸時代の果樹小ミカン


 中世の後期室町時代から江戸時代にかけて、ひろがりをみせた果樹として、代表的なものに小ミカンがある。小ミカンは、中国からわが国(九州)に伝えられたとされており、永い年月を経て本州の各地にひろがり、八代ミカン(熊本)・河内ミカン(熊本、福岡)・津久見ミカン(大分)・桜島ミカン(鹿児島)・蒲苅ミカン(広島)・泉州ミカン(大阪)・紀之国ミカン(和歌山)・三月ミカン(高知)などと呼ばれるようになった。『予州松山之産』と『和漢三才図会』に記されているのも、愛媛の小ミカンである。これらのなかでも、紀州有田郡に導入された小ミカンは、大いに増植され、江戸時代には、紀州ミカンの名称で全国に知られるようになった。紀之国屋文左衛門が、紀州産の小ミカンを海路江戸へ出荷したのは貞享二年(一六八五)である。藩政時代においても、藩主の理解や推奨によって植栽されたが、地域的に限られたものであり、主穀を年貢とする石高制度の下では、産業的規模には発展し得ない面があった。多くの果樹も、小ミカンのように永い年月を経て、明治時代の多様な展開を迎えたのである。