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愛媛県史 社会経済1 農林水産(昭和61年1月31日発行)

一 概説


 明治新政府は、幕藩体制の解体、農民の封建的拘束の撤廃―農民の苗字使用許可(明治三年九月)・農民の乗馬許可(同四年四月)・貢租の金納と一般農民の米の販売許可(同五月)・田畑勝手作許可(同九月)・土地永代売買の禁解除(同五年二月)・助郷制廃止(同七月)・地券交付(同)・農民間の身分制禁止と職業の自由許可(同八月)・地租改正(同六年六月)など―と並行して、農業の近代化を図るため一般の殖産興業政策と同様に先進欧米諸国の農業技術の摂取、移植を急ぎ、その試みとして西洋農学の伝習機関(農事試験場)の設置、留学生、視察者の海外派遣、外人(学者・技術者・教育者)の雇用、招聘、種苗・種畜の輸入、農具の輸入と模造などの諸施策を相次いで推進した。
 泰西農業の移植を目標とした初期のこうした勧農政策は、欧米一二か国の視察(明治四年一〇月八日~同六年九月一三日)から帰国して内務卿に就任した大久保利通により一段と促進されたが、大久保の急逝(明治一一年五月暗殺)と政策の蹉跌により、明治一〇年代の半ばから次第に後退し、その後の勧農政策は我が国の伝統的な在来農法を保持しながら、これを欧米先進国の近代農法で補強した混同農業を育成する方向へ転換した。