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愛媛県史 地誌Ⅱ(南予)(昭和60年3月31日発行)

三 宇和島市の都市機能


 都市機能の特化

 都市は多くの顔を持っているという。それは一つの都市が多面的な機能を果していることを意味する。都市の機能は物資の生産額や事業所数などからも見ることができるが、産業別就業人口の構成から見るのが最も一般的な見方である。
 宇和島市の昭和五五年の一五才以上の就業者数は三万四三一二人。うち卸・小売業九三七七人(二七・三%)、サービス業六六八三人(一九・五%)、農・林・水産業六〇九四人(一七・八%)などにその比率が高い。しかしこれらの分野は愛媛県下のどの都市にもその比率が高いので、これらの比率のみでは宇和島市が機能的にどの面に特色を持っているかは判定できない。そこで愛媛県下の一二都市の産業別就業者数の構成比と宇和島市のそれを対比し、特化係数を算出してみると、宇和島市の都市機能がどの面に特色をもっているかよくわかる(表5―51)。特化係数が一〇〇というのは、その都市の機能が県平均と同じであることを示し、その数値が高くなるほど、その側面の都市機能が県平均より高いことを示している。
 昭和五五年の宇和島市の産業別就業者数構成の特化係数をみると、農林水産業の一七〇がとび抜けて高く、次いで公務一一五、卸・小売一一四などが高く、製造業の五八が最も低い。このことは宇和島市が田園的な性格を多分に持っていると共に、商業機能と行政機能が強いことを示している。このうち農林水産業の特化係数が高くなったのは、昭和五〇年以降であり、昭和四九年の宇和海村―昭和四五年の就業人口三二六七、農林水産業の就業者数二四四一―の合併による点が大きい。この宇和海地区をはじめ、宇和島市域の臨海地区は、昭和四〇年代から真珠母貝・はまちの養殖業が飛躍的に伸びたところであり、このことが宇和島市の就業人口中、農林水産業の就業者の比率が相対的に高い理由である。

 商業機能

 農林水産業を除いた都市固有の機能としては、商業機能と行政機能が強い。宇和島市は南予の中心地に位置し、元来商業活動の盛んな都市であった。昭和五七年の宇和島市の商業が愛媛県に占める地位をみると(表5―52)、商店数では六・七%、従業者数では六・九%、販売額では七・一%を占めている。これらの数値は愛媛県内の都市の中では、松山市・今治市・新居浜市に次いで高く、南予随一の商業都市の地位を保っている。宇和島市の卸・小売の比率をみると、商店数では卸売一に対して小売四・三であるが、販売額についてみると、卸売は小売の二・四倍となり、小売業と共に卸売機能もきわめて強いことがわかる。
 宇和島市の商業は、市街が南予の中心地に位置するという位置的な優位性に加えて、交通不便な時代には、松山市など他地域の商業機能がこの地方まで及んで来なかったという地理的な隔絶性に支えられて発展してきたものである。卸売業の商品の仕入れ先は大阪市や松山市が多く、その販売先は東宇和郡以南の南予から土佐の幡多郡の北部にまで及んでいる。小売商圏もまた東宇和以南の南予と土佐の幡多郡北部に及んでいる。宇和島市の商業は交通不便な時代に東宇和郡以南の南予と土佐の幡多郡北部を後背地として発展してきたのである。
 しかしながら、近年の宇和島市の商業は卸売・小売ともに停滞的であるといえる。昭和五七年の商業の地位を、昭和四一年と比較してみると、県都の松山市の発展に比べて、宇和島市の停滞は一目瞭然である(表5―52)。それは昭和四六年国道五六号が全面的に改良舗装され、続いて国道三二〇号令各市町村を結ぶ県道の整備が進んできたことと関係する。国道五六号の整備以前には、松山市と宇和島市の自動車による時間距離は五時間にも及んでいたが、国道改修後はそれが半減された。松山市との時間距離の短縮は、いきおい松山市方面からの卸売業者の進出をまねき、宇和島市の卸売機能の低下を招いた。また交通事情が改良されたことは、従来の宇和島市の小売店の顧客が買回り品の購入において、松山市へ流出していくことを招いた。ここに小売業自体も、松山市の発展とは対照的に停滞を余儀なくされるのである。
 小売業の停滞をもたらしたもう一つの要因は、宇和島市の商圏内の各町村内に、昭和四〇年代の後半から農協のAコープが整備され、また量販店が進出をするようになり、宇和島市の商業機能の周辺地域への影響力が低下したことに求められる。卸・小売業の特化係数が昭和三五年に一三九もあったのに、同五五年には一一四にも低下したのは、宇和島市の商業機能が相対的に低下していることを如実に物語っている。

 行政機能

 商業機能と共に、宇和島市の都市機能として注目されるのは行政機能の強さである。県都松山市から遠く離れた宇和島市には、中央並びに地方官公庁の出先機関が多数立地している。中央官公庁の出先機関としては、松山地方検察庁宇和島支部・松山地方法務局宇和島支局・宇和島公共職業安定所・宇和島労働基準監督署・松山地方裁判所宇和島支部・宇和島税務署・松山税関支署宇和島出張所・宇和島社会保険事務所・中国四国農政局愛媛統計調査事務所宇和島出張所・農林水産省愛媛食糧事務所宇和島支所・宇和島営林署・四国海運局宇和島支局・宇和島郵便局・日本専売公社宇和島出張所・宇和島電報電話局などがある。また地方官公庁の出先機関としては、宇和島地方局・宇和島教育事務所・宇和島中央土木事務所・宇和島中央保健所・宇和島農業改良普及所・宇和島警察署などがある。
 これらの官公庁に勤める公務員は、昭和五五年現在一二九三名にも達し、宇和島市の就業人口の三・八%を占める。この比率は県内の都市では松山市の四・一%に次いで高く、宇和島市の行政機能の強さを物語っているといえる。宇和島市に所在する官公庁の管轄範囲は、その役所によって広狭の別はあるが、おおむね宇和島市と南北宇和郡の範囲である。宇和島市はこれらの官公庁を通じて、北宇和郡以南の地域に行政サービスをほどこしており、南予では最も中枢管理機能の集中している都市である。

 教育・文化機能

 宇和島市の教育機関としては、県立高校に宇和島東高・宇和島南高・宇和島水産高があり、私立高校に愛媛女子高がある。また短大には、愛媛女子短大がある。これらの教育機関には、宇和島市内のみならず、北宇和郡一帯、さらには東宇和郡と南宇和郡の一部からも生徒が通学してくる。
 文化的施設としては、宇和島市公会堂・宇和島市立図書館・宇和島市立伊達博物館などが主なものである。このうち伊達博物館は域外の観光客の利用が多いが、他の機関は東宇和郡以南の住民の利用が多い。現在の宇和島市は教育文化機関が特に充実しているわけではないが、明治以来有為の人材を多く育成した都市であり、南予では最も教育文化機能の集中している都市である。

 工業機能

 「煙突のない町」といわれる宇和島市は、都市機能において工業機能が著しく見劣りしている。昭和五五年の製造業の特化係数五八は、県下二一都市のうち最低位であり、愛媛県下では工業的色彩の最も薄い都市である。同年製造業の事業所数は三八七(県内の五・四%)、従業者数は三九九四(同三・二%)、出荷額は四四一億円(同一・六%)であり、県内での工業的地位の低さがよくわかる。
 宇和島市の第二次大戦前の工業は製糸業と綿織物に特色があったが、これらの工業は昭和二八年第二次大戦に突入すると共に、周辺農村における桑園の減少にともなう繭の減産と原料の綿花の輸入途絶の影響をうけて衰退していく。かわって軍需下請工業としての性格をもつ製材業と造船業が盛んになってくる。
 第二次大戦後の工業をみると、食料品工業、木材・木製品工業、家具工業、輸送用機械工業(主体は造船業)の地位が高いことがわかる(表5―53)。輸送用機械工業を除くといずれも軽工業の範疇にはいり、宇和島市の重化学工業比率は昭和五五年現在三六・〇%にしかすぎない。同年の愛媛県の重化学工業比率が六二・四%であるのに比べると、いかに重化学工業の比率が低いかが理解できる。
 宇和島市の工業の中心をなす食料品工業、木材・木製品工業、家具工業、造船工業などは、いずれも地元の原料や安価な労働力などと結びついて成立した工業である。食料品工業の主体はかんづめ工業や水産加工業、さらには乳製品加工業であり、いずれも地元の原料と結合している。木材・木製品や家具工業も、宇和島市が南・北宇和郡から高知県幡多郡の一部にかけての木材の集散地であることに関連して勃興した工業である。造船業は元来宇和海の盛んな漁業活動と結合して成立した工業であり、木造の漁船の生産が主体であった。鋼鉄船の生産が盛んになったのは、宇和島最大の造船業である宇和島造船の経営権が、昭和一八年来島ドックに移管されて以降である。
 宇和島市が工業都市に脱皮できなかった要因は、交通の不便、大都市の市場からの遠隔性、石炭・電力などの動力資源の欠除、工業用水の不足など、工業の立地条件に劣っていたことによる。昭和三九年宇和島市に工業を誘致するため制定された「工場設置奨励条例」によって新設された工場をみても、食品工業や縫製工業、ダンボール工場などであり、地元の原料や安価な労働力を指向した工業であり、重化学工業の進出はほとんど見られなかった。

 交通機能

 宇和島市は南予の交通の結節点である。宇和島駅は予讃線の終着駅であると同時に、予土線の起点でもある。また宇和島市は南予のバス路線網を独占する宇和島自動車の本拠地であり、そのバスが南・北宇和郡と東宇和郡の各地を宇和島市に結びつけている。また水上交通では、宇和島港は沿岸航路の起点であると共に、別府航路の発着点ともなっている。物流においても宇和島市は南予の中心地である。南北宇和郡の各地から集められた貨物は、国鉄宇和島駅や宇和島港から県内外に搬出されるものが多かった。
 交通の結節点である宇和島市には、運輸通信業に従事する者が多く、昭和五五年にはその就業者数は二二六六人(全就業者数の六・六%)にも達する。しかしながら、その就業者数は近年減少傾向にあり、運輸通信業の特化係数は昭和三五年の一三六から、同五五年には一〇〇と著しく低下している。
 それは宇和島市が交通の結節点としての機能を低下させていることのあらわれであるといえる。宇和島市が交通ターミナルとしての機能を低下させてきた要因は、昭和四六年に国道五六号が全面的に改良舗装され、自動車交通が発達したこと、宇和島港の整備が遅れ、港湾機能が著しく低下したこと、の二点に求められる。国道の整備は、それまで鉄道に依存していた貨物輸送がトラックにとってかわられ、宇和島駅の物資の集散機能を著しく低下させた。また港湾の整備が遅れたことは、南予の水上交通の基点を宇和島市から八幡浜市に移すことになり、宇和島市の水上交通の結節点としての機能をそぐことになった(表5―54)。












表5-51 宇和島市の産業別就業者構成とその特化係数の変化

表5-51 宇和島市の産業別就業者構成とその特化係数の変化


表5-52 卸・小売業からみた宇和島市の商業の地位

表5-52 卸・小売業からみた宇和島市の商業の地位


表5-53 宇和島市の工業構成とその推移

表5-53 宇和島市の工業構成とその推移


表5-54 宇和島港の移出入貨物と乗降人員の推移

表5-54 宇和島港の移出入貨物と乗降人員の推移