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愛媛県史 地誌Ⅱ(南予)(昭和60年3月31日発行)

二 佐田岬半島の夏柑(夏みかん)栽培②


 甘夏柑の登場による新産地への胎動

 第二次大戦中の食糧増産政策で、夏柑栽培は一時的に衰退した。戦後、裸麦・甘藷の普通畑が次々に果樹園に転換され、図3―6のように生産は増大し、昭和四五年に栽培面積六七三ヘクタール、生産量は同四八年、二万八九九トンを記録した。
 昭和四〇年代以降の高度経済成長の好景気を背景に、所得水準の向上により、消費者は次第に普通夏柑より高級果実へ嗜好がかわり、農家の生活水準向上とも相侯って、経営は大きく圧迫されはじめた。さらに同四二年の豪雪と同年夏の大子魃、同四六年六月のグレープフルーツの輸入自由化、その上同五二年の寒害は普通夏柑に決定的な打撃をあたえた。特に三崎町は夏柑単一栽培だけに、生産農家のうけた経済的打撃は他産地に比べてより大きく深刻であった。果樹は永年作物であるから、蔬菜などと異なり優良品種が出現しても、直ちにこれを転換することは経営上許されず、かなり長い聞旧品種が残存する。この点、果樹の新興産地とは対象的でもある。
 大分県津久見市の川野豊園で、昭和初期に発見された川野夏橙(甘夏柑)は、当時まだ普通夏柑の市況がよかったことと、酸が少なく早く酸上してスカスカになるなどの理由で余り栽培されなかった。愛媛県に川野夏橙(甘夏柑)を最初に導入したのは菅野寿章で、昭和二五年福岡県浮羽郡田主丸町の福島正助より苗木五本を求め、一本を自宅、二本を果樹試験場、後の二本を久保正勝に分譲している。
 昭和四〇年代は、普通夏柑が甘夏柑と交代した時期である。その決定的なものは消費者の嗜好の変化と同時に四二年の寒害と干魃が重なり、果実はもとより樹体にも被害がでた。その結果「夏柑等再開発事業」で夏柑に見切をつけ、苗木代、農道新設舗装などの補助金制度で夏柑の改植がすすめられ、大部分は甘夏柑に更新した。しかし、昭和三九年の「ネオ夏柑」の登場で普通夏柑が見直され、新・改植に迷いが生じ品種更新にブレーキをかける結果となった。京浜市場における愛媛夏柑のシェアーは七一%を占め、これが甘夏柑の足を引っぱる作用をした。
 昭和四四年は豊作で価格は暴落し、普通夏柑はキロ当たり一八円にまで下落した。一方、甘夏柑は同四二年以降上昇を続け四五年には温州みかんを凌駕(りょうが)する高値をよんだ(表3―8)。甘夏柑の市況の好況は価格面より、普通夏柑から甘夏柑への更新のみならず、温州みかんからも高接・改植による品種更新が進み、先進産地の品種転換による経営の体質転換が進行し、新しい産地への芽生えが胎動した。

 品種更新による経営構造の変容

 昭和四七年から本格化したみかん・夏柑から他品種への更新は、同五一年がピークで県下の更新面積は約二一〇〇ヘクタール記録した。中晩柑類の更新品種の双璧は、伊予柑と甘夏柑である。甘夏柑の栽培面積が最も広いのは、先進地の三崎町六七九・九ヘクタール(二三・八%)である。
 甘夏柑は昭和三四~三五年ころから増植熱がとみに加わり、甘夏柑の苗木導入は表3―9のように総本数は一九万七〇〇〇本、本表以外の取扱数およそ一〇万本と見なし、一〇アール当たり一〇〇本植に換算して約三〇〇ヘクタールと推定される。まとまって導入された随一は、西宇和郡三崎町と南宇和郡御荘町平山地区、その他は西宇和郡内で多くは散植している。
 また、新甘夏(サンフルーツ)も昭和四四年ころより新植がなされ、現在の苗木導入割合は甘夏柑二〇%、新甘夏柑八〇%である。
 新甘夏柑は、昭和三七年熊本県芦北郡田浦町の山崎寅次の川野夏 橙園で、川野夏橙(甘夏柑)の枝変わりとして発見したものである。愛媛県では「新甘夏」という名称で一般的に呼ばれ、西宇和郡三崎町にいち早く導入され、普通夏柑に代わって普及した。本種の特徴は果皮が極めて平滑なことである。商品のイメージアップのため、商品名を「サンフルーツ」として販売している。
 昭和四一年、農業構造改善事業の一環として、夏柑から甘夏柑への改植が行なわれ、同四四年に新甘夏を導入以後、同四六~四八年をピークに普通夏柑園が改植更新された。昭和四五年には甘夏柑は四〇年の七倍、二四〇ヘクタールにふえ全柑橘類の三六%を占めるに至った。普通夏柑は、昭和四〇年八五%を占めていたが、同四九年二四%、五二年には一%になり実質的になくなり、現在では甘夏柑と新甘夏柑産地に完全に衣替えしてしまった(図3―7)。
 こうした更改植による品種の更新は、樹令構成にも反映している(図3―8)。明治から大正・昭和にかけて植えられた普通夏柑は、この一〇年間に更新され、その結果一〇年生以下(昭和五二年現在)の樹が九〇%を占め、生産量はこの数年のうちに飛躍的に伸びた。
 三崎農協の綿密な指導計画のもとに、補助金制度をうまく運用し、甘夏柑・新甘夏柑の単一栽培による新夏柑主産地に変身した。柑橘農業は伝統的に産地間競争の意識が強く、産地銘柄の優劣を競う品質をめぐる競争が激烈である。こうした点が主体的な経営構造の転換能力にすぐれている。




図3-6 西宇和郡三崎町の夏柑栽培面積と生産量の推移

図3-6 西宇和郡三崎町の夏柑栽培面積と生産量の推移


表3-8 温州みかんと夏柑(夏みかん)の1kg当たり価格

表3-8 温州みかんと夏柑(夏みかん)の1kg当たり価格


表3-9 愛媛県の地区別甘夏柑の苗木導入数

表3-9 愛媛県の地区別甘夏柑の苗木導入数


図3-7 西宇和郡三崎町の柑橘類の品種構成の変化

図3-7 西宇和郡三崎町の柑橘類の品種構成の変化


図3-8 西宇和郡三崎町の夏柑の樹齢構成の変化

図3-8 西宇和郡三崎町の夏柑の樹齢構成の変化