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愛媛県史 地誌Ⅱ(東予西部)(昭和61年12月31日発行)

二 今治市の商圏

 今治市の商業実勢

 昭和六〇年の実勢をみると、県人口に対する今治市の人口は松山市の二七・五%、新居浜市の八・六%に次いで第三位の八・二%であるが、商店総数は県総数の一〇%を占め松山市の約二八%に次いで第二位である。又年間商品販売額は松山市の約四六%に次いで約一一・二%で第二位、卸売業の販売額も松山市の三三%に次いで第二位の七・六%で、第三位の宇和島市四・九%を大きく上まわっている。小売吸引力(その都市の一人当たり小売販売額を県の人口一人当たりの小売販売額で割った指数)についても、今治・宇和島一・三三、松山一・二八で上位三位内にあり、市域外からの購買客が多いこと、即ち広い商圏を持っていることを示している(表2―49・図2―29)。
 大正一一年(一九二二)四国最初の開港場指定などを背景に、恵まれた交通位置を活用して商業都市としてのイメージが定着しており、特に卸売業が県下第二位で、同市の年間商品販売額の約六七%を占めているのは、東予の中心商業都市であることを示している。
 高度成長期に地場産業であるタオル・縫製業や造船業の活況を背景に、大型小売店(デパート)が五店市内に進出し、盛期には小売総売上額の二二~二三%を占め、それが小売吸収力を一・五〇前後の指数に高め、顧客流入人口も六万人を超えるようになったが、以後地場産業不況や、大型店過密による閉鎖等もあって市内小売業活動は低迷期に入り、最近は多少復調の傾向をみせている。

        
 今治市の商圏
        
 古代から越智郡・野間郡、二郡を包括した生活圏があり、今も、今治市を中心とする生活圏は基本的には変もっていない。
 愛媛県の生活圏を宇摩圏・新居浜西条圏・今治圏・松山圏・八幡浜大洲圏・宇和島圏と区分した場合、今治圏(一市一五町村)は、人口数で松山・新居浜に次いで第三位であるが、商店数、年間商品販売額では松山に次いで第二位であり、商業活動の活発さが示されている(図2―30)。
 今治の小売吸引力は昭和四七年に約一・六を示した後は漸減して、昭和五七~六〇年には一・三前後になっている。これと関連して商業人口も漸減し、域外からの顧客流人口も昭和四七~五一年(一九七六)の六~七万人から、昭和五七~六〇年には三~四万に減少している(表2―50)。このことは、隣接する越智郡、東予市の流出顧客人口約五万人のうち約一八~二〇%を吸引しきれず、松山その他へ吸引されていることを示している(表2―51)。このことはモータリゼーションの影響として仕方のない面もあるが、同じ問題について、今治商店街への要望として駐車場増設が圧倒的に多いのは、今後の重要な対応課題である。
 今治市の小売吸引力の低下は、商圏内部の問題としては越智郡町村の小売吸引力の増大化と関係が深い。越智郡町村の中では宮窪町・魚島村・生名島・上浦町を除き各町村は大幅に吸引力を増大している(表2―52)。このことは今治市の新市域の商店数の増加率が、昭和四七年から一〇年の間に一・五〇%~三・〇〇%増大しており、旧市内の○・一六%増を大きく超えていることをみてもわかる。即ち小売活動のドーナツ現象といえるもので、これは松山市商圏内に於ても同じ傾向を示している。しかしこの傾向の相対現象として逆に市内中心地の四つの第一種大型店の吸引力が増大したことも印象的である。越智郡商圏はもとより準商圏とされる東予市の市民も、贈答品の約二三%を今治地区のデパートで購入しているように大型店は魅力的なのである。

         
 商圏の競合地帯
         
 東部の競合地帯である東予市は統計上では六八七一人が顧客流出しているが、その多くは今治市が吸引している。東予市内の旧三芳町である三芳地区では最寄品以外の衣料品、身辺細貨、文化品、贈答品共に地元購買と今治市での購買がほぼ均衡しており、今治市商圏との接界地帯といえる(図2―31)。旧壬生川町では今治の吸引力が低下しているが、それでも衣料品、身辺細貨や贈答品は一五~二〇%を今治で購買している(表2―53)。従来から今治市と西条市の中間帯であり、何かと両市の影響の及ぶことが多かったが、商圏に関しては今治の吸引力が強く、西条は松山と共に約二%前後しか吸引していない。これは自動車の所要時間が東予市の中心街から今治まで約四〇分であるが、松山までは約一時間という時間差が大きく原因しているのと、従来からの顧客関係からである。今治市の第一種大型店の吸引力も強く現れており、全体的にいって東予市は今治市の準商圏と考えてよい(表2―54)。又従来の今治市の吸引力の強かった丹原町は、現在松山市・今治市・西条市で三分する実勢である。
 松山市との競合地帯である菊間町は自動車で今治の中心街まで約三〇分であるが、松山市の中心街へは約五〇分かかり、また交通渋滞度も高い。この交通条件や従来の顧客関係から今治の吸引力が強く、中・高級品の購入では約五〇%を占めている。しかし、松山市に対しても国道一九六号線の直通性や勤務関係、第一種大型小売店の魅力などから吸引されることが多く、高級品購入では約一七%が出向いている。菊間町は今治商圏に入ると考えてよいが、東予市よりも松山市から受ける影響力は強いと考えられる(表2―55)。
 広島県諸都市と競合する越智郡島しょ部のうち、因島市の吸引力が強くおよぶ町村がある。弓削町は、因島市までフェリーボートで約一〇分の距離にあり造船所への通勤労力も多いので、その小売吸引力は過半数の五五%を占めている。特に昭和五八年末の因島大橋の完成により、因島より三原市・福山市まで自動車で四〇~四五分の距離で直結することになると、両市に尾道市を加えた吸引力も二〇%を超えるようになり、今治市での購買は所用のついでに二~三%程度で、完全に広島県商圏に入っているといえる。この傾向は生名村においても同様であり、また岩城村でもその影響は強く(小売吸引力 因島市二八・四%、今治市一四・四%、尾道市二・〇%、三原市〇・五%、その他広島県市内一・一%、今治以外の愛媛県内二・三%、地元五一・三%)因島を含む広島県都市の吸引力は三二%で、今治市及び愛媛県内都市の一六・七%の約二倍となっている。結論として越智郡島しょ部の東端の弓削町・生名村・岩城村のグループは、商業活動としては因島市を中心とする第一次生活圏、三原・福山・尾道を中心とする第二次生活圏の中に入る傾向を極めて鮮明にしている。
 これに対し逆に広島県豊町(人口四三八〇人)は地元購買五五・四%、今治市二四・六%、竹原市・広島市二〇%で、今治市の吸引力が広島市の吸引力を上まわっており、隣接する広島県木江町についても約三%前後を今治市が吸引している。これは今治~豊町(大長)間は高速艇で約三〇分、フェリーボートで約九〇分であるのに対し、呉・広島まではフェリー便で二時間を超え、この時間差や、豊町の大長・御手洗と今治市、越智郡の従来からの交流関係に原因するものである。

表2-49 愛媛県内各都市の商業活動

表2-49 愛媛県内各都市の商業活動


図2-29 愛媛県内各都市の小売吸引力指数

図2-29 愛媛県内各都市の小売吸引力指数


図2-30 愛媛県内生活圏の商業活動(昭和59年)

図2-30 愛媛県内生活圏の商業活動(昭和59年)


表2-50 今治市の顧客動向

表2-50 今治市の顧客動向


表2-51 今治市周辺市町村の顧客動向(昭和60年)

表2-51 今治市周辺市町村の顧客動向(昭和60年)


表2-52 今治市・越智郡町村の小売吸引力比較

表2-52 今治市・越智郡町村の小売吸引力比較


図2-31 今治市の商圏

図2-31 今治市の商圏


表2-53 東予市壬生川地区の消費者の買物先(昭和55年)

表2-53 東予市壬生川地区の消費者の買物先(昭和55年)


表2-54 東予市三芳地区の消費者の買物先(昭和55年)

表2-54 東予市三芳地区の消費者の買物先(昭和55年)


表2-55 菊間町消費者の買物先(昭和55年)

表2-55 菊間町消費者の買物先(昭和55年)