データベース『えひめの記憶』
愛媛県史 地誌Ⅰ(総論)(昭和58年3月31日発行)
1 鮮魚類の動き
天然鮮魚
水産物の流通については、資料が乏しく、その実態を把握することは極めて困難である。八幡浜市における水産物の集出荷状況をみると、地域内水揚げ及び県外からの搬入物を中心に水揚され、せりにより価格決定後、昭和五二年(水揚量三万二三一七トン)の実績では総水揚量の一八%相当量が地元に出荷され、残りの八二%は県外である。県外としては下関・福岡・広島・高知などを中心とした中四国・九州方面に二三・七%、京阪神に一四・七%、京浜五・六%、県内一二%、その他の地域に二六%が鮮魚用として出荷されている。その利用配分は鮮魚向け四一%、冷凍向け三%、加工向け五六%の割合を示している。加工原料向けの比率が高いのは、沖合及び小型底びき網漁業を中核とした漁業形態と、これとともに発展したがまぼこ製造などの水産加工の伸展と関連している。八幡浜からの水産物の輸送は、すべて自動車輸送であり、出荷仲買人及び運輸会社などの保冷車で行っている(図4―42)。
西宇和郡三崎漁協では漁獲物のすべてが組合に水揚され、組合の鮮魚運搬船と保冷車で市場に出荷される。組合では、市場価格の情報をあつめ、市場相場に従って出荷先を決定し、有利に市場操作を実施している。主たる販路は、広島・大阪・三津浜・下関などである。このような組合買取方式をとっている漁協として、越智郡関前村の岡村漁協がある。ここでは組合で高速の鮮魚運搬船を二隻もち三原などへ出荷している。
伊予灘の双海町豊田漁港での流通経路は、指名仲介人の競札によって行われ、現在九名(昭和五五年)が登録されている。仲介人は落札した鮮魚の販路を松山・三津浜・広島・尾道・八幡浜・高松などに求めている。主として保冷車に積載して仲介人自ら各地の市場や魚商人へ向けている。タイの季節になると、活魚として運搬船(生船)と契約を結び広島・尾道、さらに大阪までにも運送している。
とくに水産物の流通の歴史のなかで、松前町の婦人による行商(オタクという)、双海・長浜町の漁民女子による直接鮮魚行商などは有名であった。
一般には水産物の多くは、生産者→産地卸売→産地仲卸売→消費地仲卸→小売人と五つの関門を通る。そして、それぞれの関門ごとに手数料と利益がとられ、物的・人的経費もかかるため、水産物価格は産地と消費地で大きな価格差が生じるのが普通である。
養殖魚と餌料
愛媛県におけるハマチの出荷先をみると県内七%、九州一%、中国二六%、阪神三二%、中京九%、関東二四%、北海道・東北一%(県漁連調べ、昭和五四年度)となっている。愛媛県漁連扱いの出荷先は名古屋・仙台・青森・秋田方面である。
南宇和郡深浦漁協におけるハマチの出荷は、六月から一一月までは肉質のしまりが悪との理由で出荷せず、ほぼ一二月(一〇%)、一月(一〇%)、二月(二〇%)、三月(三〇%)、四月(二〇%)、五月(一〇%)の六か月で出荷している。主として五月に稚魚として養殖したものを越冬させ当才魚として四、五月に五〇%出し、残りの五〇%を二年魚として一二月から四月までに出荷している。出荷先は東京・仙台・青森・北海道方面へ五〇%、大阪市場に五〇%となっている。愛媛県の昭和五五年度のハマチ収獲量は四万八二〇トン(暦年)であった。
ハマチの餌料としては、サバ・イワシなどの生餌が使用される。ハマチは体重の七倍から八倍の餌料を消費する。すなわち一㎏で出荷されるハマチは七㎏から八㎏もの魚介類を食べることになる。昭和五五年の投餌量は二万三三五二トンで、このうち県内で自給できるものは五万程度といわれている。残りは北海道三〇%、千葉二〇%、茨城一五%、宮城二〇%などの県外産に依存している状態である。そのため餌料代が高くつき、生産コストを上昇させ、養殖所得の伸び悩む大きな要因となっている。餌料代が生産費の六〇%から七〇%を占めるといわれている。