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愛媛県史 地誌Ⅰ(総論)(昭和58年3月31日発行)

4 宇和海沿岸中部

 立地条件

 吉田町を中心に、北は東宇和郡明浜町から、南は北宇和郡津島町、さらには南宇和郡に至る範囲は宇和青果農協の集荷地域である。この地域の昭和五五年の柑橘栽培面積は五六二九haで県内の一九%、生産量は一一万六二五一トンで同じく二〇%を占める。その中心地である吉田町立間地区は県内で最も古い柑橘栽培地であって、大正初年に「立間みかん」は県内生産量の半分近くを占めていた。そして宇和海沿岸中部の柑橘栽培はこの立間を中心に周辺部に拡がっていった。
 宇和青果農協管内の柑橘栽培は、県内で最も温暖多雨な気候条件に恵まれたところで、県下で柑橘栽培に最も適した地域だといえる。五二年と五六年の異状寒波でも、最も被害の少ない地区であった。土壌はおおむね中生代の砂岩・頁岩を母岩とする壌土・植壌土で粒状構造が発達し通気透水性に富み、これまた柑橘栽培に適する。
 しかし、この地区の柑橘栽培上の不利な自然条件は、柑橘園が宇和海沿岸の段畑地帯にあって、急傾斜地が極めて多いことである。輸送機関として索道が発達しだのは、このような自然条件と関連する。吉田町の立間は柑橘運搬用の素道の発祥地であって、大正一〇年(一九二一)大河内の薬師寺長吾がそれを考案した。索道は三五年頃までは輸送手段の中心で、多くは数戸で共同利用されていた。農道は吉田町喜佐方地区のように戦前すでに建設されていたところもあるが、これを除くといずれも第二次大戦後である。現在、吉田町では、農道が普及しているが、それは二七年に土地改良区が各地に設立されて以来、土地改良事業の一つとして盛んに建設されたことによる。三〇年代後半に農道が普及すると、輸送機関は農用トラックとモノラックに代わった。これまで害虫防除の消毒水は谷底の貯水槽から山腹斜面にエスロンパイプの定置配管で上げていたが、四○年代になると、防除施設と消毒水をトラックに搭載するものが多くなった。

 経営規模と出荷先

 吉田町は県内で柑橘栽培の経営規模が最も大きい地区である。昭和五五年の一農家当たりの平均経  営規模は一・五haにも達する・専業農家率も四六%と県内で最も高く、また農家の七五%が男子専従者をもち、後継者も県内で最も多い。みかん園は普通畑の転換や山林の開墾によって増加したが、水田もほとんどがみかん園に転換した。規模の拡大は、他地区への出作という形をもとってすすみ、遠くは大分県の国東半島や宮崎県にまで進出している。
 吉田町の果樹産地形成には、吉田の商人の活躍が大きかった。立間のみかんをはじめて県外に出荷したのは、明治一七年(一八八四)奥山藤三郎によって東京に出荷されたのを最初とするが、次いで明治二四年(一八九一)から、吉田町の商人によって関西や北九州などに本格的にみかんの出荷がはじまった。大正三年(一九一四)宇和蜜柑同業組合が設立されたが、これは生産者と商人が合同して結成した組合である。前年に松山地区で結成された伊予果物同業組合が、商人を排除して結成されたのとは異なって、商人の力が強かったことを物語っている。現在は宇和青果農協が一元集荷しているが、古いみかん産地の特性として、一部商人の活動も見られる。みかんの出荷先は、第二次大戦前は京阪神を主とし、九州・京浜・朝鮮・満州などに船便で出荷されていたが、戦後は京浜市場への出荷量が増加し、五五年には柑橘出荷量の九二%を京浜市場に出荷している。       

 品種構成の変化

 宇和青果管内の柑橘類の品種構成は、昭和三四年には、普通温州五二%、早生温州六%、夏みかん三六%で、温州と夏みかんの多い地区であった。早生温州は温暖な気候を反映して、完熟を待たず九月中旬から青切で出荷するのを特色とした。温州みかんの九五%は年内出荷されたので、一一月から一二月の収穫期には採取と選別出荷の労働が重なり多大の労力を必要とした。立間地区では昭和三〇年頃には、労力不足を補うため、三〇〇人余の常雇を入れていた。さらに収穫期には三間盆地・宇和盆地などから季節雇も多く入れた。一一月半ばから一二月下旬にかけてのみかん農家は、昼間は採取、夜は選別と手の休まる暇がなかった。四〇年代に入ると労力不足と労賃の高騰から、みかん農家は新たな対応に迫られる。
 五五年の柑橘の品種構成を三四年と比べると大きく異なっている。普通温州(二六%)と普通なつみかん(三%)の割合はさかって、代わって、早生温州(二四%)・甘なつみかん(二〇%)・いよかん(一四%)・ネーブル(五%)・はっさく(三%)などが増加している。またハウスみかんも県内では伊予郡に次いで多く、五七年で三九haの栽培面積を誇る。このような品種構成の変化は、四九年以降の高接などによる品種更新によって行われたものであるが、それは普通温州の暴落対策として行われるとともに、一一月から一二月の労力の最需要期を軽減するためのものである。宇和青果農協では、六月のハウスミカンから、五月の甘なつみかんまで周年出荷体制を確立することによって、労力最需要期の軽減と収益の向上をねらっている(図4―14)。吉田町を中心としたこの地区のみかん農家の多くは、みかん作に将来をかけており、みかん栽培に対しては意欲の高い地区である。

図4-14 吉田町の柑橘類の出荷カレンダー

図4-14 吉田町の柑橘類の出荷カレンダー