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愛媛県史 地誌Ⅰ(総論)(昭和58年3月31日発行)

1 帯状に配列する愛媛の地質

 内帯の地質

 愛媛県の地質は、四国の北部をほぼ東西に走る中央構造線によって大きく二分されている。北側の地域が西南日本内帯であり、南側の地域が西日本外帯である。内帯と外帯とは地質構造がかなり異なるほか、造山運動の時期などにも違いがある(図2-13)。
 西南日本内帯に属す中央構造線の北側の地域には基盤岩をなす領家変成岩類や花崗岩類と、中生代白亜紀(一億四〇〇〇万年前~六五〇〇万年前)後期に堆積した和泉層群、第四紀(二〇〇万年前~現在)に堆積した洪積層や沖積層などが分布している。
 愛媛県の中で最も北側に位置する越智郡の島々や高縄半島には花崗岩類が広く分布していて、島しょ部に広く分布する黒雲母花崗岩(広島型)、大島北部から伯方島南部にかけて分布する細粒~中粒崗閃緑岩(大島型)、高縄半島に広く分布する粗粒花崗閃緑岩(松山型)などに分けられる。これらの花崗岩が分布する地域の山地や丘陵の斜面には、花崗岩の風化したマサ土が発達していて、水を含むともろく崩れやすいため、豪雨時にはしばしば崩災をひきおこしている。なお、越智郡宮窪町の余所国・早川・田浦などでは石材の切り出しがおこなわれ、大島石とよばれている。この大島石は、大島型の花崗閃緑岩である(写真2-12)。
 新居浜市の金子山をはじめとする東予地方の丘陵や、川内町・砥部町などの中央構造線の北側に分布する丘陵は、主として和泉層群の砂岩・泥岩より成る。砂岩・泥岩の多くは交互に堆積して形成された互層をなしており、土居町大谷付近や川内町則之内付近にはその顕著な露頭がある。
 各河川の下流部や臨海部には洪積層や沖積層(更新統や完新統)か分布する。洪積層は古い扇状地や台地、丘陵の一部を構成し、沖積層は沖積中野の堆積物として分布している。

 外帯の地質

 一方、中央構造線の南にひろがる西南日本外帯の地域には、三波川帯結晶片岩類順や秩父帯の古生層、四万十帯の中生層が北から順に帯状に配列している。それぞれの境界は明瞭で、三波川帯と秩父帯との境界が御荷鉾構造線、秩父帯と四万十帯との境界が仏像構造線とよばれている。
 これらのうち、三波川帯の結晶片岩類は古生代の二畳紀(三億四五〇〇万年前~二億八〇〇〇万年前)から石炭紀(二億八〇〇〇万年前~二億三〇〇〇万年前)に原岩が堆積し、中生代(二億三〇〇〇万年前~六五〇〇万年前)の中期から後期にかけて変成作用を受けた変成岩で、黒色片岩や緑色片岩を主体とする岩石から成る。その分布は西の佐田岬半島から東の宇摩郡新宮村にかけての地域にわたっていて、南限は、久万川、小田川、大洲盆地を結ぶ線にほぼ一致する御荷鉾構造線である。なお、この地域にはところどころに銅の鉱床が分布し、別子をはじめ、佐々連・新宮などいくつかの鉱山で銅の採掘がおこなわれてきた。
 秩父帯の古生層は古生代(五億七〇〇〇万年前~二億三〇〇〇万年前)の新しい時期に堆積した堆積岩で、頁岩、砂岩、石灰岩、チャートなどのほか玄武岩や千枚岩も分布する。石灰岩の分布は東部の野村町大野ケ原から同白髭にかけてと、日吉村上鍵山から明浜町宮之串にかけての仏像構造線に沿う地域に認められ、後者では城川町田穂上組や明浜町宮之串などで石灰の採掘場が存在する(写真2-13)。秩父帯の南部、城川町寺野から野村町片川にかけての地域には、黒瀬川構造帯とよばれる構造帯が存在し、県下でも最も古い岩石が露出している。
 四万十帯の中生層は中生代白亜紀(一億四〇〇〇万年前~六五〇〇万年前)に堆積した地層で、砂岩・泥岩・石灰岩など各種の堆積岩から成る。秩父帯、四万十帯ともに多くの断層が走り、地層は複雑に分断されている。

 新生代の火成岩と堆積岩

 三波川帯の分布域にあたっている石鎚山とその周辺地域には、東西約五〇㎞、南北約二〇㎞にわたって、新生代第三紀(六五〇〇万年前~二〇〇万年前)に噴出した火山岩類である石鎚層群や、堆積岩である久万層群などの第三紀層が分布している。また、南予地方の鬼ヶ城山東麓一帯にも新生代第三紀の火成岩である黒雲母花崗岩や斑状花崗岩が分布し、景勝地滑床はこの花崗岩地域に存在する。内帯で広い面積を占めていた第四紀層は、外帯では小規模な盆地や海岸の低地に堆積したものを除いてほとんど分布しない。
 愛媛県には道後温泉をはじめとするいくつかの温泉(鉱泉)が分布する。松山市道後と周辺の奥道後・久米・鷹ノ子・権現温泉や、東予地方の鈍川・湯の浦・湯の谷温泉、南予地方の成川温泉などが知られている。これらの多くは断層など岩盤の割れ目を伝って温泉水が地表付近に達しているもので、地質時代の海水が熱せられて湧出しているものもある。




図2-13 愛媛県の地質

図2-13 愛媛県の地質