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愛媛のくらし(平成10年度)

(2)迎え火・送り火

 ア 盆の行事の地域性

 愛媛県下の盆行事の中には地域性が認められるものがある。例えば盆に火祭りが行われる地域がある。盆の火祭りとは「迎え火・送り火の大掛かりのもので、サイト・マンドなどといっている。正月の火祭りが子供組の行事であるごとく、盆の火祭りも子供組が行っている。このサイトやマンドは東予民俗圏にあって、中・南予にはない(④)」行事だといわれていて、越智(おち)郡、周桑(しゅうそう)郡地方に多く見られる。一方、盆飯は南予地域一帯に見られる盆習俗であり、「ボンママ、オナツメシ、ハマメシなど土地による名称があるが、とにかく川原や浜辺に仮小屋を設営して、クドを築き、煮炊きして子供らだけで野外生活を楽しむのである。本県では南予のみに見られる盆習俗である(*14)。ただし、盆飯の風習はおもしろいことに東端の川之江市などにも行われていた。これは隣接の香川県や徳島県の民俗と通ずるものである」と考えられている(④)。
 精霊棚(しょうりょうだな)についても地域性が認められる。『愛媛県史 民俗下(⑨)』では、精霊棚は「盆棚ともいうが、盆には臨時の祭り棚、或いは祭壇を設けて、これに位牌を安置し供物を供えて祀ることになっている。盆棚は(A)室内に特別に作る所、(B)屋外や家の軒下など戸外に施餓鬼(せがき)棚(*15)だけ設ける所、(C)こういう臨時の施餓鬼棚や祭壇を設けずに仏壇を飾りつけて済ませる土地とがある。
 (A)の祭り方をするのは南予地方で、座敷に祭壇を設ける。棚に芭蕉(ばしょう)の葉を敷き、女竹・そうはぎ・ほおずき・ふろう豆・かけそうめんなどで飾り、中央に位牌を安置し、御霊供膳(おりょうぐぜん)をはじめ種々供物をしてまつる。また必ずその一隅で餓鬼仏を併せて祭っており、それには供物を里芋の葉にくるんで供える。
 (B)の祭り方をするのは、中予及び東予である。しかし松山地方では廃止した所が多い。(B)の祭壇は一般に施餓鬼棚と呼ばれ、餓鬼仏の供養棚と見られていて、精霊棚とか水棚(魚島)と称している。軒下に棚を設け、四隅に樒(しきみ)か杉の葉を立て、四方と中央に施餓鬼札(せがきふだ)をつけた簡素なもので、ここに餓鬼仏をまつるため、なすをはじめちょっとした供物を供える。」と書かれている。

 イ わが家のお盆

 **さん(越智郡朝倉村朝倉上 明治41年生まれ 90歳)
 **さん(越智郡朝倉村朝倉上 大正5年生まれ 82歳)
 「わが家の菩提寺は朝倉村の真言宗の光蔵寺です(写真3-1-19参照)。お盆になると光蔵寺から施餓鬼札(写真3-1-20参照)をいただき、オジノシサン(屋敷神のこと)と墓には新しいタケに結んで立て、ソウリョウダナ(精霊棚のこと)には棚の下につるします。
 オジノシサンは屋敷の守り神さんだといわれていますが、サカキではなくシキミを供え、線香も立て、今申しましたようにお盆には寺からいただく札を立てるのですから、神さんというより、まるで仏さんみたいですね(写真3-1-21参照)。
 ソウリョウダナは屋外(軒下)に設けます(口絵参照)。棚の下の四隅と中央に施餓鬼札(五如来)をつるし、タケの花筒にシキミを立て、御飯、お茶・水などを供えます。おこわができたらおこわもあげるし、野菜を煮て供えることもあります。またキュウリやナスに割りばしで四本の足をつけ、キュウリを馬に、ナスを牛に見立てて、迷い仏さん(祀り手のいない霊)もうちの仏さん(**さんの家の祖先の霊)もこれに乗っておいでくださいという気持ちで供えます。ソウリョウダナは本来祀り手のいない迷い仏さんを供養する(施餓鬼)ものだといいますが、このお棚には迷い仏さんもその家の仏さんもみんな寄って来られると信じられています。お迎えしたら、うちの仏さんは仏壇でお祀りすることになります。しかし、お盆だからといって特別に仏壇を飾ったりするようなことはしません(写真3-1-22参照)。花はシキミのみ、御霊供膳(おかずは、高野豆腐、インゲンマメ、カボチャを煮たものなど)、お茶や水、お菓子、果物などを供える程度で普段とあまり変わったところはありません。ただし、お盆にはだんごを供えます(精霊棚にも供える)。『にぎりだんご』といいますが、もち米の粉を練ってゆで、あんをまぶしただんごです(写真3-1-23参照)。
 迎え火は8月13日(初盆のときは12日)、送り火は15日にたきます。昔はおがら(皮をはぎ取った麻の茎)を大事にしまっておいて、それを燃やしたのですが、現在はおがらがなく、近くに売っているところもないので、乾かした草の茎などを使っています。墓地が家の近くなので、迎え火も送り火も墓地でたきます。墓地が遠くて門口でたく家もあるようです。迎え火は、『御先祖様、みなさんお盆ですけん(お盆ですから)おいでください。』と言ってたきますが、送る際は、『この火でお帰りください。』の『お帰りください。』が何となく追い返すような言葉のように思えて、どうしても黙ってたくことになります。
 棚経(精霊棚の前で僧があげる経のこと)は外のソウリョウダナの前であげ、仏壇の前ではあげません。菩提寺の住職は朝早くから檀家を回っていますが、いちいち家に上がっていたのではとても全部回ることはできません。お茶を出し、お布施をして、『少し休んでいってください。』と勧めても、『回らなければならないから。』と言って、すぐ次の家に行かれます。休む暇もないようです。
 これは昔の話ですが、わたしどもの家の前の山にはお地蔵さんが祀られていて、8月23日に住職に拝んでもらい、盆踊りもやっていました(地蔵盆の行事だったように思われる)。踊る場所はちょうど家の前(敷地内の広場)でしたので、よく踊ったものです。お盆の行事の中の懐かしい思い出です。
 今は、家の中のしきたりがだんだん簡略化される時代ですが、お盆を含め、御先祖の供養は、昔どおり、きちっと続けていきたいものだと思っています。」


 ウ お盆は多忙

 **さん(上浮穴郡小田町寺村 昭和12年生まれ 61歳)
 **さん(上浮穴郡小田町寺村 昭和15年生まれ 58歳)

 (ア)山の神の火祭りと盆

 上浮穴郡小田町寺村で毎年8月15日に行われる「山の神の火祭り(*16)」は、文政6年(1823年)から始まったとされる伝統行事であり、以前は旧暦7月20日に行われていたが、昭和52年(1977年)以降盆の8月15日に実施されるようになった。そこで、この行事の保存会長を務めている**さんは盆がくると席の暖まる暇がない。**さんは8月14日の昼間は火祭りの準備で忙しく、15日当日は昼過ぎに出掛けて午後5時ころまでに準備を終え、その後の待機の時間(約1時間)に急いで家へ帰って送り火をたき、再び火祭り会場へということになる。
 「(**さん)『山の神の火祭り』の日には大勢の人たちが見物に訪れます。特に期日を8月15日に変更したことによって、町外に出ている人たちもたくさん帰省するようになり、先祖を中心とした家族のきずなを確かめるということにこの火祭りが一役かっています。またその年の準備と運営に当たっている集落(*17)では、帰省した人にも手伝ってもらったりしているので、この行事がふるさととのきずなを強めることにも役立っています。
 この火祭りは、本来山の神を迎え、火を献じて山の幸と秋の豊作を祈願する行事なのだが、念仏奉納も行われるし、昔は献じる火(オヒカリという)も108灯と決められていた(神仏混淆(こんこう)の名残り)ことなどを考えれば、これを盆の一つの行事にしたことにも意味があるように思います。わたしどもの家でも、8月15日に送り火をたき、先祖を送らせていただいてから火祭りに参加するようにしており、この行事が先祖供養にも通じているような感じを十分もっています。御先祖様もお喜びになっているのではないかと思っています。
 『山の神の火祭り』でともされるオヒカリの数は、現在四、五千灯(灯油を入れたジュースなどの空き缶を使用)に達し、田んぼのあぜ道などにともされる火や『山の神』という火文字、さらに火模様が加わり、見物客を楽しませています。火模様を描くようになったのは平成4年に火祭り170年の歴史を記念して火文字の下に『170』と火で数字を描いたのがきっかけでした(図表3-1-14参照)。その後毎年火祭りの当番に当たった地域の人々が考案していますが、秘密になっていて、今年はどんな模様が描き出されるのか、火がともされるまで分かりません。それがまた一つの楽しみになっています。
 また、今年(平成10年)は、わたしどもの家の田んぼ(火祭りの会場となる場所にある。)に太鼓(*18)演奏用の舞台をつくるための基礎工事をやりました(**さんたちの手づくり)。ですから今年の火祭りからは毎年イネの穂の上で太鼓の演奏というすばらしい情景も加わることになります。」

 (イ)室内にお棚

 「(**さん)お盆が近づくと墓参りに出かけ、お墓の掃除をしますが、特に日は決まっていません。お棚(精霊棚・盆棚)をつくるのは8月13日。わたしの家では仏壇の前にしつらえます。お棚には必ずバショウの葉を敷きます(バショウの葉を青畳に見立てて、先祖を迎えるのだという説がある)。またお棚の上壇には、青笹(ざさ)とハギ(ソハギ、ソウハギともいう。)とで門のような形をつくり、その両側にフロウマメ(ナガブロマメ、お盆マメともいう)を掛けるのが昔からの習慣になっています(写真3-1-25参照)。フロウマメは大変さやの長いマメで、御先祖様が供え物を背負ってあの世に帰る折のひもになるのだと言い伝えられています。お棚ができたら位牌を出し、仏画の軸物を掛け、仏具などを並べます。
 14日の朝、一切の準備が整ったら御先祖様をお迎えします。ただし、13日にお迎えするところもあるようです。迎え火は屋敷に通じる道筋でたきます。この辺りではおがらや肥松(こえまつ)(脂(やに)の多い松)などをたいていましたが、わが家では、昔、カジがら(皮をはぎ取ったカジの茎。皮は和紙の原料)を使っていたそうです。しかし、今は線香でお迎えしています。主人の母から線香でお迎えするのだと教えてもらい、線香に火をつけて、『この火でおいでください。』と言ってお迎えしています。」
 「(**さん)『小田町誌(⑫)』におんぶのかっこうをしてお迎えすると書いてありますが、昔はそのようにしていたのでしょうが、今はそんなことはしないと思います。わたしの今までの記憶の中にもありません。」
 「(**さん)お迎えした日には必ずおはぎをつくり、御霊供膳と共に供えます。15日にはだんご(『送りだんご』という)とうどんを供えます。このうどんは御先祖様があの世に帰られるときに使用されるひもになる(前述のフロウマメの言い伝えに同じ)のだから必ずお供えするようにと主人の母から教えられました。夕方送り火をたいてお送りして、翌16日の朝、お墓参りをします。」
 「(**さん)お盆には息子たちが帰って来てにぎやかになります。お盆は、先祖供養を通して今は亡き人との心のつながりを大切にするときだと思うが、同時に同じ先祖につながる家族、親類の心のきずなを確かめ合うときだとも思っています。先ほども申したように火祭りもそれに貢献しています。孫も帰ってくるので、法被(はっぴ)でも着せて火祭りの手伝い(オヒカリの点灯など)をさせたいと考えています。そうすることによってふるさとを愛する心も育てたいと思っています。」

 (ウ)先祖を思い家族を思う

 **さんは先祖や家族に対する気持ちを次のように語っている。
 「わたしたちは先祖があっての今のわたしたちであり、わたしたちがあってこその子や孫なのです。先祖から子や孫に至るまで太いきずなで結ばれています。
 世間で親子関係や嫁姑(しゅうとめ)関係などの問題がよく起きることがありますが、不平不満を持てば切りがありません。ですから、それを解決するには、先祖からのきずなを大切にして、互いに助け合い、いたわり合い、相手に対して感謝の気持ちをもちながら相手の幸せを考えていくことが大切でしょう。わたしどもは息子やその嫁、孫らに一切不満を持たないことにしています。どうしたら喜んでくれるかということだけを考えるようにしています。ですから、よくある嫁姑の問題もわが家にはないだろうと妻と話しています。
 先祖に対しても基本的には同じです。お盆の際の供養にしても、日ごろの供養にしてもどうしてあげたら御先祖様に喜んでいただけるか、ただそれだけを考えて行っています。わたしどもにとっては、先祖を思う気持ちと息子夫婦や孫を思う気持ちとは同じだということです。そして先祖に対しては、いろいろ頼み事をするのではなく、こうして健康で幸せにくらしていけるのは御先祖のお陰なのだという感謝の気持ちを持ちたいものだと思います。
 お盆というのは、ただ先祖を供養するというだけではなく、先祖に改めて感謝するときであり、先祖から自分たち、そして子、さらに孫とつながっているのだということを再確認するときでもあると思っています。そこにお盆の大きな意義があるのではないでしょうか。家風などは自分たちでつくればよい。ただ自分たちが先祖からつながっているのだということだけは忘れないでほしい。どういう風に先祖に仕えればよいかについても、子は子で考え、孫は孫で考えればよい。こうしろとは言いません。どうしたら先祖が喜ぶかということを考えて行えば、少々供養のやり方が違っていてもよいと思っています。先祖の供養は決して形式ではありません。先祖を思う心の方が大切です。これがわたしどもの考えです。」


*14:『河川流域の生活文化(⑧)』参照。
*15: 悪業の報いで常に飢えと渇きに苦しんでいるとされている亡者、又は弔う者のいない無縁の亡者を餓鬼といい、そのよ
  うな亡者に飲食を供えて供養することを施餓鬼という。
*16:山の神の火祭りについては愛媛県生涯学習センターでもすでに調査を行っている(「県境山間部の生活文化(⑩)」P254
  ~262及び「伝えようわが故郷-地域文化を伝承する生涯学習ボランティア活動-(⑪)」P24~P27参照)。
*17:元来、小田町寺村の4集落(林慶(りんけい)、新田(にった)、堂村(どうむら)、中通り)の輪番制であったが、現在は中
  通りをさらに3班に分け6地域で担当している。
*18:喜鼓里(きこり)太鼓という。平成3年にできた。今まで、火祭り当日、太鼓を車に積んで演奏しながら町内を回った
  り、カラオケの舞台などで演奏したりしていた。

写真3-1-19 光蔵寺山門

写真3-1-19 光蔵寺山門

平成10年6月撮影

写真3-1-20 光蔵寺が檀家に配る施餓鬼札

写真3-1-20 光蔵寺が檀家に配る施餓鬼札

平成10年7月撮影

写真3-1-21 オジノシサン(屋敷神)

写真3-1-21 オジノシサン(屋敷神)

施餓鬼札(大幡)が立てられ、シキミが供えられている。平成10年8月撮影

写真3-1-22 盆の日の仏壇

写真3-1-22 盆の日の仏壇

平成10年8月撮影

写真3-1-23 にぎりだんご

写真3-1-23 にぎりだんご

平成10年8月撮影

図表3-1-14 火模様一覧

図表3-1-14 火模様一覧

**さんからの聞き取りを基に作成。

写真3-1-25 精霊棚

写真3-1-25 精霊棚

平成10年8月撮影