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愛媛のくらし(平成10年度)

(3)稲作新時代

 ア 基盤整備と機械化

 **さん(北宇和郡三間町元宗 大正10年生まれ 77歳)
 三間町元宗地区は、「総面積30.5haの水田が、一筆(ひとくぎりの田畑)平均4.7aの小面積に区画され、農道も無く、加えて複雑な水利慣行と水路の不整備、豪雨時における三間川よりの冠水(かんすい)等、まことに非能率的な、しかも生産性の低い農業経営が行われてきた。」と同地区の第1次農業構造改善事業記念碑に刻まれているように、農業基盤の整わない地区の一つであった。しかし、昭和40年(1965年)から昭和43年にかけてこの地区に第1次農業構造改善事業が推進され、農業基盤の整備が進められると共にトラクターやコンバインの導入などによる能率の高い経営が行われるようになった(⑥)。
 この事業の推進委員長として活躍した**さんにその苦労話を聞いた。

 (ア)事業の開始と基盤整備

 「この農業構造改善事業の話は、元宗の土地改良区が直接かかわった事業なんです。昭和38年に話が決まりまして、39年に申請して、40年から実施したんですが、この話が出たちょうどそのころに、わたくしは農業委員でしたんで、そんな関係でこの事業にかかわることになったんです。この地区は、うまいよい米の作れる田が多くありましたが、その反面、水害をよく受ける田もあり、特に稲の穂がはらむ時期に洪水があると、水の引きが悪く、穂が水没してもみ粒の成長が止まって反当り1俵(約60kg)か2俵しか収穫できない田もあったんです。また、今までに農道を新設する話もありましたが、あるところまで話が進むと、総論賛成各論反対のようなことになって話が前に進まなかったんです。そこで、これらの諸問題を解決するには、水田の基盤整備事業をするよりほかに方法はないと全員の意見が一致したんです。そんなころに三間川の改修も始まっていまして、この機会を逃してはできんと考え、『つまずいたら2度とはできんぜ。』と言いながらこの事業に取り組んだんです。
 基盤整備では、電柱の撤去や農道や水路の整備などいろんな問題があったんですが、この取り組みを通して、土地の交換分合(*7)も自然にできるような格好になったんです。耕地整理のだいたいの基準は、1区画を平均3,000m²(約3反)に区切ったんです。しかしそこに農道やら水路やらを取らにゃいけんので、実際はその分が切れとる(不足している)んです。
 土地の交換は、水掛かりのいい所(水の得やすい所)など水利の関係やなんかで、自分の土地というものに愛着があって大変でした。交換はどうしても従前の土地を基準にするわけですから、そこらへんに問題が生じて、区画に合うような田んぼを持っとる者はええんですが、土地が足らん者は足さねばならず、そのまま持つ者と、はみでる者(別の土地になる者)が出て、そこに今までの土地との比較をするわけで、そこらへんに土地の配分の難しい問題がありました。土地への愛着がこれほどとは思ってもみませんで、出来上がった仮配分の段階でもいろいろな話が出て大変でした。最初はなかなか思い切ったことができませんでしたが、全員の協力と理解によって最終的にはええ姿に出来上がったんです。」

 (イ)機械の導入

 「この事業では近代化事業にも取り組んだんです。機械化については、最初は三間町農業協同組合などの機械を借りてやったんですが、その時のトラクターは、畑作専用だったんで、水田に入れるとまずブレーキが利かんようになるんです。結局いごかん(動かない)ようになって、それを引き出すのに使った別のトラクターも故障して困ったこともありました。手間ばかりがかかっていけんので、トラクターの導入は1年延期してもらいました。1年後に水田専用のトラクターが出たんですが、スタータスイッチを外に置いとるもんで、代かきをしていてスピードを早めたりすると、覆(おお)いはしているものの、水をかぶって漏電(ろうでん)して止まり、最初は思うようにいかんかったです。また、コンバインも当初の計画は外国製の大きなもので、田んぼに入れたら動きがとれんようになるので、導入を延期して国産の小型コンバインにしました。それでも機械は動きさえすればやっぱし楽なことが分かったんです。ここらではすでに自家用の耕うん機は使っとったんですが、トラクターに乗ってみると楽で能率も上がるもんで、『金はいるけれども補助金も出るんやったらやってみようか。』と言うて導入に踏み切ったんです。トラクターは、せんぐりせんぐり(次々)と更新して、今も使っとります。組合員の中には、農業経営上から脱退した人があったんですが、コンバインは小型と大型では性能が非常に違うんで、個人で小型を使った人が思わしくなくて、また元にもんた(再度組合員になった)人もあるんです。
 機械は、最初から元宗機械組合をつくって管理してるんです。使用については、初めはオペレータ制(操作を専門の人に委託する制度のこと)にした時もありました。現在(平成10年)組合員が使っている機械は、トラクターとコンバインだけです。田植え機械は、使う時期が重なるんで個人持ちなんです。組合の機械は、元宗の公会堂の横にある倉庫に保管していますが、機械は自分が好きな時に使用簿に書いて、自由に使っとるんです(写真1-1-13参照)。使用者が重なるような時は、組合長が調整しとるんですが、一番問題なのは使用時期の重なるコンバインで、これは前もって組合の会合で相談し、それぞれが使う期間を決めとるんです。始めは自分で買ってやる人もあったんですが、機械の性能は次第に進歩するんで、個人が購入するよりは、今の体制をできるだけ持ちこたえ、『皆が新しい性能のええ機械を使うような形でいこや。』と言うているんです。
 機械の購入資金については、いろいろな意見があったんですが、特別には積み立てをせずに必要なときに集めとるんです。更新は機械組合が皆の意見を聞いて決定しているんですが、町の何かの事業の時に助成を受けたり、機械メーカーに安く提供してもらったりして購入してます。長く機械を共同で使用しとりますと、自分だけの考え方じゃなしに全体的な考え方を皆が持つようになり、自然にいろいろな知恵が芽生えて、皆の考え方が前向きになっております。」

 イ 「美沼姫(みぬまひめ)」を売り込む

 **さん(北宇和郡三間町迫目 昭和2年生まれ 71歳)
 米のおいしさの主な要因は、御飯のつや、粘り、硬さ、香り、うまみであると言われている。このようなおいしい米を生産するには、土地に適した品種を栽培することであるが、基本的には、栽培技術をよく守って、土づくりと育苗から施肥、病虫害の防除、水管理を通じて健康な稲体を作り、順調に実らせる努力が必要である(⑦)。
 おいしい米づくりを目指す三間町では(写真1-1-14参照)、有志が集まって生産組合をつくり、一定の規定に基づいて生産した米を、平成元年から「美沼姫」という名前をつけ、特別栽培米として売り出している。現在(平成10年)の会員は24名で、81歳の年長者から50歳前後の人まで多士済々である。
 この取り組みについて、特別栽培米組合長の**さんに話を聞いた。
 「この取り組みは、食糧管理制度の一部改正(昭和62年〔1987年〕)で、食糧事務所の許可を得れば年間家族一人当たり100kgを限度に米を直接販売できるようになったんで、三間のおいしい米に少しでも付加価値をつけて消費者の皆さんに提供したらどうぞ、ということで始まったんです。初めのうちは、知人や親せきを頼ったり、町長のお骨折りで、地元に進出している会社の方々に買っていただいたりしながら、次第に販路を広げていったんです。郵便局のふるさと小包の制度でも宣伝していただきました。今は、会員24名が全体で約70tほど生産し、多い人で7t、少ない人で900kg、私は2tほどを販売して、現在、お得意様は500人弱います。宇和島市や松山市が多いんですが、東京都や神戸市など各地にわたっております。私が販売しているのは、おもに長崎市や神戸市、東京都、松山市、宇和島市の方々で、前の会長さんが開拓された方を紹介してもらったり、お得意様を通じて紹介してもらった人々です。
 注文は玄米で受けますが、発送は白米にしております。ぬかが9%あるんで、実際に送る米は玄米時の量の91%ほどになります。従って10kg注文を受けましても、お得意様に届くのは9kg強になるんです。これで契約書を作り、月の20日から25日までに各家に着くように送っとります。毎月、手間がかかりますが、我が子に送るような気持ちで送っとるんです。米の代金は、年4回に分けて銀行か郵便局に振り込んでもらっています。今のところは未払いもトラブルもありません。
 この特別栽培米は、すぐ始めるというわけにはいかんのです。牛ふんや鶏ふんや油粕などを使った有機栽培ですので、土作りから始めにゃいかんので、少なくとも始めるのに3年はかかるんです。牛ふんは、三間町にはふんの処理場がありませんので、ふんの捨て場に困っている酪農家と提携して手に入れているんです。
 わたしたちは、主にコシヒカリを栽培してますが、この品種は4月に田植えをして8月に収穫しますから、牛ふんは9月から10月に農協(三間町農業協同組合)が所有している機械を借りて振りまいているんです。苗はほとんど育苗センターで作ってもらっています。わたしの経営面積は9反弱ですが、そのうち5反を特別栽培米の栽培ができるようにし、あと3反は休耕田として、残り1反弱で、自分の食べるものを従来の方法で栽培しているんです。自分の田のすべてで栽培しているわけではありませんが、絶えず増産ができるような対応はとっとるんです。
 特別栽培米は、穂の出る前に一度だけ農薬をかけていますが、穂が出てからは一切農薬はかけません。農薬は、農協が無人ヘリコプターで散布してくれていますが、穂が出てからは散布しないという決まりがあるんです。しかし一番困るのはカメムシが発生した時です。この虫にやられると、白米にした時にかまれた所がちょっと黒くなり、食味は変わらんのですが、見た目が悪くなるんです。2、3年前にひどくやられた時があって、無農薬のためということで、お得意様に了解していただいたこともありました。送るときにカメムシの被害を受けた米などはできるだけ取り除いてはいますが、送る量が多い人はなかなかできません。メイチュウやウンカの発生は最近は少なくなったんですが、発生を抑えるために、一般の圃場(ほじょう)よりは畔(あぜ)の草刈りを頻繁に行って、気を付けとるんです。
 田の草取りには、田植え後に1回だけ除草剤を散布してますが、それ以外は薬剤は使用していません。普通栽培では、中干し後に除草剤をかけ、茎が丈夫になったころに倒伏防止のために燐酸(りんさん)と塩化加里をまき、イモチ病の防除のために粒剤(粒状の薬剤)をまいていますが、特別栽培では、そういうことは一切してません。
 特別栽培米の単価は、普通栽培米と比べて1俵で1万円ほど高値になるんです。しかし、そのかわり消毒もせんので収量が普通栽培の場合は1反で平均9俵ぐらいとれますが、特別栽培米の場合はだいたい7俵から7俵半ほどしかとれんのです。そこらを勘案すると、そんなに利益は上がらんのですよ。しかし、お得意様とのつながりもできて、電話して『もしもし』と言うたら、『愛媛のお米屋さんですか。』と声も覚えてもらったりすると、年を取ってやめたいと思うてもやめられんのですよ。お礼の手紙が来た時には天下を取ったような気持ちになるんです。
 この制度は、昔は一人当たり100kgが限度でしたが、今は食糧管理制度が変わり新食糧法(*8)になって、平成7年から認可制から申告制になりました。新食糧法では、特別栽培制度という制度は無くなったんですが、私たちの会の名前は存続させております。平成3年にお得意様との交流の場を一度もちましたが、今後はより一層お得意様との交流の輪を広げていきたいと思っとるんです。」

 ウ 酒米にチャレンジ

 **さん(北宇和郡三間町曽根 昭和27年生まれ 46歳)
 曽根(そね)地区に住む**さんは、伊方町(西宇和郡)の日本酒醸造元と栽培契約を結んで40aの水田で酒造好適米(酒造に適した米)の山田錦(やまだにしき)を作っている。酒造好適米の特性は、米粒が大きくて、たんぱく質含有量が少ない、さらに水を吸いやすく、糖化性がよい(でんぷんなどが糖分になりやすい)の4点のほかに、心白率(米粒の中心部にある白く不透明な部分の割合)が高く、蒸米(じょうまい)(蒸気を通した米)を長く冷却しておいても、もろみ(粕をこさない酒)のなかで溶けやすいということがあげられる(⑨)。
 醸造用玄米の産地品種は数多くあるが、代表的品種に山田錦、五百万石、美山錦、八反錦などがあり、そのうち山田錦は酒造好適米の王様といわれる米である。しかし、晩生で高さ1.2mほどに生長するため、倒伏の恐れがあり栽培は難しい。
 酒米づくりに将来を託す**さんに話を聞いた。
 「わたしが山田錦を作るようになったのは、これまで作ってこられた方が亡くなり、その代わりとして伊方町の醸造元さんから強いお誘いがあったからなんですよ。もともと三間町は、朝日の当たりがよく、昼夜の温度差が激しく、粘質土(重粘土の土)の土地柄なんで、酒米の栽培には適しており、昔は酒米も作っていたようです。わたしは平成9年から作るようになったんですが、今年(平成10年)から宇和島の酒造業者さんと契約して作っとる人もいると聞いていますよ。現在、コシヒカリと山田錦を作っとるんですが、山田錦は、醸造元さんの方で種もみは手配していただき、自分でポット育苗(多くの小さな穴のあいた容器に土をつめ、数粒ずつ種もみをまいて苗を育てる)をしているんですよ。5月中旬に15cmほどに伸びたところで田植えをするんです。
 この米は酒米になる米なんで、かなり神経を遣って栽培してるんです。田植えをして1週間後に除草剤を散布しますが、基本的には農薬は使わない方針なんです。化学肥料の窒素分はやってません。堆肥と籾殻煉炭(もみがらくんたん)(もみ殻を炭化させたもの)を秋口から春先にかけて入れて土づくりをし、植え付けの準備をしてるんです。この品種の最大の問題点は、背丈が高くなるため倒伏の恐れがあることなんです。そのために、かなりの粗植(風通しの良い植え方。株数自体を少なく一株1、2本植えにする)にして、風通しと日当たりをよくし、稲の根を地中深く張らせるために12条(12列)ごとに溝をきって水の出入りをよくするよう工夫しとるんですよ。しかし、その分だけ収量が落ちるんですが、倒伏の危険度を少なくするためにやむを得ないんです。もみがきちっと実になった時ならまだいいんですが、実を摘むと汁が出るような時に倒れてしまうと収穫は完全に落ちますね。湾曲した倒れ方だとまだ大丈夫なんだけど、特に早いうちにイネの根元のところから折れてしまうと収穫は望めなくなるんですよ。台風がこないよう祈るばかりですよ。
 現在40aを栽培してるんですが、今のところ増産の予定はありません。山田錦は晩稲(おくて)でしょう、この地域で主に栽培されているコシヒカリやアキタコマチは早稲(わせ)なんで、水掛かりに問題があるんですよ。増やしたい気持ちはあるんですが、池の水に頼ってるんで、時期がずれると水が十分に確保できず、栽培が難しいんですよ。酒米を栽培する農家が増えてくればそれなりの対処の仕方があるんですがね。」


*7:土地利用を増進するため、二つ以上の耕地の所有者が近接の耕地を交換し合い、それぞれ分散した土地を併合すること。
*8:平成7年11月に施行。目的は国家の統制と管理を通じて、需要と価格の調整を行おうとする旧食糧管理制度と大差ない
  が、政府管理から民間流通を軸とした制度管理に移行した。

写真1-1-13 元宗機械組合の機械保管庫に並ぶコンバイン

写真1-1-13 元宗機械組合の機械保管庫に並ぶコンバイン

平成10年7月撮影

写真1-1-14 三間町入口に立つ看板

写真1-1-14 三間町入口に立つ看板

平成10年10月撮影