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河川流域の生活文化(平成6年度)

(2)船戸(ふなと)川のカワノリ

 **さん(東宇和郡野村町野村 昭和6年生まれ 63歳)

 ア カワノリとの出会い

 「野村町の高瀬、昔の中筋村の出身で、祖父に可愛がられて育ちました。物心ついた年齢には、祖父に連れられて川へ行き、網を張って魚を取っていたのを覚えとります。子供のころ、年上の人たちと一緒に川へ連れていってもらって、よく探検したもんです。このあたりが、今なお、川とのかかわり合いにこだわっている原点ではないかと思うんですが。
 昭和20年に師範学校に入学、その後の学制改革で、愛媛大学最初の入学生となりました。卒業後、中学校の理科教師になり、野村中学校、俵津(たわらづ)、魚成(うなおし)、高山…と、赴任して行った所の自然をできるだけ調べることによって、地域を知ることに努めました。
 惣川(そうがわ)中学校(野村町)におったとき、図書館にあった郷土誌『惣川誌(⑧)』の中に、『舟戸川のカワノリ(淡水産の緑藻)は、昭和29年に八木繁一先生(植物研究家・博物学者)が発見された。』と書いてあるのを見付けました。ところが、近所の人に聞いてみますと、『もう、それはなくなってしもた。』というので、自然科学クラブの生徒と『調べて見ようや。』ということになったんです。かつてあったという所の近辺を探してみたが、なかなか見付からない。やっと1か所、生えている所が見付かり、そこから上流、下流各1kmくらいを調べてみたら、まあ、少しずつあちこちにありました(口絵参照)。
 カワノリの生態を調べてみますと、分布なんかがおもしろいですから、続けて研究してみようと思い、今も水温の調査をしたり分布状況を調べたりしております。愛媛県では、船戸川だけにしかないんですが、徳島や高知にもあるので、四国の分布状態を調べてみますと、いずれも川の上流域に分布しています。中央構造線の南側の周辺ですかなあ。古生層から中生層で、どうも、水質の特性の影響もありそうです。四国の場合はどこも石灰岩が必ずあって、四万十川や船戸川やったら分水嶺がカルストでしょう。徳島の剣山のふもとにも生えていて、あそこの方も石灰岩があったようです。」

 イ 船戸川のカワノリの現況

 「船戸川上流に、大野ケ原のカルストから染み込んだ水が出る、鬼清水という所がある。上流の水量より多いくらいの湧水(ゆうすい)なんです。年間の水温の変化が、そのすぐ上流部では18.5~2.0℃なのに対して、この湧水からちょっと下がった鬼清水では14~9℃と、あまり変化しないんです。カワノリは、このような水の条件で、しかも川の周囲に広葉樹があって日当たりのいいような所で、川の中の石に、水面すれすれに付着しておるんです。とくにチャート(石英質の堆積(たいせき)岩)に着生がいいようです。
 湧水の上流では生えない。きれいな水がいいのなら、カワゲラなんかがすんどるような清流ですから、生えてもいいはずですし、光の当たり具合いも変わらないんですが。やっぱり石灰岩との関係がありそうだと思うんです。
 10月になるとだんだん小さくなって、11月にはもう見られなくなる。冬の間はだいたい姿を消して、5、6月になると、また芽吹いてくる。一番大きいのはながせ(梅雨)のころです。『日照りが続く→水量が減る→生えとった所が干上がる→かさかさになってしまう→水が増えたら復活』というふうに、日照りには耐えられるようです。
 これを食(は)む魚はいませんね。カワノリが生えとるような所は、だいたいアマゴがおる、流れの速いところです。ちょっとした滝みたいになったとこ、流れの急なところに多い。こんなとこによう生えるなあ、という感じ。
 僕が、いつも目印にしていた石があったんです。そこには必ず生えとったんですがねえ。それが、去年の雨で流れて、どこへ行ったやらわからんなっとる。こないだも、テレビが取材に来ましたが、よう見付けませんでした。
 自生地のすぐ近所の人は、『昭和40年ころには、絶滅してなくなった。今はもう、ちょこちょこっとしか生えてない。それ以前はいっぱい生えとって、取って食べるほどじゃった。』と言っていました。今では、地元の惣川の人でもだれも知らんくらい。県内ではあそこだけにしかないということをまず知ってもらい、もっと認識してもらって、なんとかあれがなくならないようにしたいなあと思っています。
 カワノリが減少した一番大きい原因は、やはり水の濁りじゃないでしょうか。地元の人たちも、湧水から出る水は昔と比べて濁りが目立つようになったと言ってます。ちょっとした雨の後に濁ると、わりあい長いこと消えんようです。原生林(ブナ等)が生えていたころは、雨が降っても濁ることはなかったし、今でも上流は濁りませんから。大野ケ原のカルストの原生林が伐採されたことが関係しとると思います。
 次に水質の悪化。高知県の檮原(ゆすはら)町にも生えているけど、人家のある所までくると、だんだん減って、ある程度行ったらもう生えてない。ここの水系には、山の上のほうの水も地下を通って染み出してきてますから、その影響もあるのではないでしょうか。
 カワノリの分布範囲は、全然広がっていない。むしろ、見付けたころと比べて減ってきており、もうなくなるんじゃないかと思うんです。だから、なんとかして絶滅せんように対策を練ってみたいと思うんです。
 積極的な保存活動をしていくためには、やはり、上流の水をもっときれいにするしかない。惣川の婦人のグループの人たちと、川の水生生物調査をやったりして、水をきれいにせないかんということを話し合っております。まだ人数は少ないけど、みんな関心を持っており、こういった人たちの活動かどんどん広がっていったら、このカワノリの保存にもっと本腰になると思うんですが。
 いろいろと養殖のことまで調べてみたりしたこともあるんですよ。大学などでは試験管内で実験的なことはやっとられるようですけれども、実際にやってる所はないようです。やっとる例がないし、今の段階ではできないでしょう。アサクサノリみたいに作ってみたんですが、酢のものにいいですなあ。あぶって食べると甘いんで、巻きずしにしたりもできます。細胞が1層で薄いんですがね。ちょっと歯ごたえがある、コリコリとしたような感じの(*市販されている四万十川の『川のり』は、スジアオノリでこれとは異なる。四万十川の上流には何か所かカワノリの自生地がある。)。
 三重県、山梨県、奈良県なんかでは、県の天然記念物に指定されとりますので、ここも記念物に指定するよう働きかけたこともあります。でも、『そんなことしたら、有名になって、かえって、乱獲されてなくなるんじゃないか。そっとしといた方がええんじゃないか。』とも思うて。確かに、指定されることで人々の注目を浴びて、逆にねえ。本当に、いつなくなるかわからんような状態ですから、指定するよりも、なんとかそのエリアを保護する手を打たないといけんのじゃないかと思います。」

 ウ 自然に親しむ本当の姿とは

 「ササユリ、ヒメユリ、いろいろなラン、昔は道端にありよったんですがなあ。今は、取って取って、全然なくなったんで、それをもう1回もとに返そういう運動を、公民館に呼び掛けております。
 遠くからも取りに来る。取ったものを、自分のうちで育てて、道端の良心市みたいなところに出して売る人もいる。育てる技術がある人たちには、『売るのもいいけど、もう1回自然に返そうや。』といって呼び掛けているんです。良心市に出されているのを見付けるともう1回返そうと思って、家で育てているが、イタチごっこです。ササユリなんか、一面に生えとったが、今は、人が入らないような所へ行かんとない。
 山野草の愛好家というのは、一見自然に親しんでいるようだが、自分たちが乱獲することで自然に対して大きなダメージを与えているという感覚はあまりない。これは、非常に困ることで、それを賞揚するような趣味の山野草展などにも疑問を感じる。少なくなったヒメユリなども、たまに道端で見付けることがあるんですかなあ、車で来た人がひょっと降りて取ったりしよるのを見ますが、どうせそれ持って帰ったって枯らすんでしょう。
 今の小学生の親たち自身も、川で遊んでいない世代だから、遊びの文化が伝承されてないでしよ。遊びが、子供の生活そのものやったんですよ。ちゃんと上級生が計画をたてて、小さい子はついて行って、それでも楽しかった。カワムツやドンコを取ったり、ウナギは夜はえ縄をしかけといて朝あげに行くんです。モクズガニもたくさんおりましたから、夜、ホテ(竹を割って束にしたもの)を明かりとして、取りに行くんですよ。年齢の上の人が取って、年少者は取ったやつを袋に入れてかついで、カニとかハヤとかたくさん取れたのをうちに持って帰ってね。夜遅く帰って、それを子供だけで煮たり、食べたりしてですなあ。親には全然しかられなかった。
 一時期に比べると、川の生物調査をするなど、子供たちが川に出向いて行くようになった。その分、一歩前進かもしれませんが、いつも大人がかかわっていてねえ。子供の育て方が全然違うから、子供だけというのはできんような時代でしょ。
 児童館へ来る子供たちにも、できるだけ自然に親しませるようにしたいと思っているんです。春と秋には、子供たちを集めて、野草を中心に自然観察会をやったりする。今の子供たちは、自然の中で遊んだ体験がないから、そういうふうにしてでも自然の中へ連れていくんですがね。僕らが子供のときには、草花なんかをいろいろ調べたり、名前を教えてもらったりしたのが非常におもしろかった、楽しかったなあと、今でも思い出があるんですが、今の子はそれほどにないですなあ。それに、暑かったりすると、すぐ弱音をはくようだ。できるだけ、そういう自然に親しむような機会を、小さいときから持つようにしてほしいなとは思うんですがね。
 昔の川は、あっちからもこっちからも降りれるところがあって、淵があったり瀬があったりしていたんですが、今は、ちょっと川へ遊びに行こうと思っても、コンクリートの護岸の一部にある石段でしか降りていけないし、変化のない川になってしまった。
 川は本来、子供にとって楽しい遊びの場であるはずなんです。ちょっと水がぬるんでくると、川遊びができるような川、そんな自然の復元に、みんなが気を付けていかないかんと思うんですが。
 昔の生活を考えると、トイレの汚物は堆肥(たいひ)として畑に還元しておったし、洗剤も負荷が小さいせっけんを使っていた。これからの生活も、昔に戻ることはできなくても、川に対しては負担をかけないライフスタイルが当たり前になれば、川はきれいになる。
 自然の中の一員であるということを自覚すれば、もっとこう、かかわり方が変わってくるんじゃないかと思いますがね。」