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えひめ、昭和の記憶 ふるさとのくらしと産業Ⅱ-伊方町-(平成23年度「ふるさと愛媛学」普及推進事業)

2 三崎の夏柑①

 明治16年(1883年)に神松名(かんまつな)村松(まつ)(現伊方町松)の宇都宮(うつのみや)誠集(のぶちか)(1855年~1907年)が夏柑を導入して以来、夏柑栽培は伊方町三崎地区に、さらには佐田岬半島全体に広がっていった。戦後になると夏柑への需要は年々高くなり、普通畑への夏柑新植、販路の拡張により急速に発展し、伊方町三崎地区では、昭和32年(1957年)に栽培面積750ha、生産量10,000tに達し、県下一の夏柑産地となり、三崎夏柑は黄金時代をむかえた。
 当時の夏柑栽培や運搬経路についてEさん(昭和3年生まれ)に話を聞いた。

(1)イモ、麦から夏柑への転換  

 「私は三崎町大佐田(おおさだ)の出身です。高等小学校を卒業して、1年間は実家で農業をしていたのですが、どうしても進学したいと思い愛媛県立松山農業学校に進学しました。農業学校在学中には昭和20年(1945年)7月の松山空襲(くうしゅう)も経験しました。また、多くの友人が出征して亡くなりました。昭和23年(1948年)に農業学校を卒業して三崎農協に入り、42年間農協に勤めました。
 私が子どものころは夏柑も作っていましたが、まだイモや麦が主体でした。当時、夏柑を5、6反作っていれば食べていけると言われ、私より20歳くらい年上の人は、1年間の収入で家を建てることができたと言っていました。また、ダイダイ長者と呼ばれて4町歩(約4ha)ぐらい夏柑を作っている人がいて、人を雇って夏柑を栽培し、自分はネクタイをしめて浜で夏柑を買い付けに来た商売人と交渉をする人もいました。夏柑を浜で直接売買するので浜売りと言いますが、組合ができてからは、浜売りというのはなくなりました。組合ができる前には、三崎にも仲買が2、3軒あって直接農家から買い付けて満州(中国東北部)の方へダイダイ(夏柑)を送っていました。戦時中は食糧増産で夏柑生産量も少なくなったのですが、戦後は年々、夏柑の需要が高まり段畑でのイモ・麦栽培が次々と夏柑栽培に切り替わっていきました(図表2-2-1参照)。私は昭和34年(1959年)ころから本格的に夏柑栽培をはじめましたが、遅いほうでした。夏柑は、苗木を植えてから収穫できるようになるまで、10年近くかかります。イモ・麦栽培から夏柑へ転換するとその間は収益がない状態になります。また、三崎で夏柑を栽培するには、秋の台風と冬や春先の季節風への対策として杉の防風垣で取り囲み、その管理もしなければならないのです。さらに、急傾斜地の段畑での栽培であるために、収穫後の運搬作業に大変な労力が必要になるので、簡単に転換できなかったのです。」

(2)夏柑1貫目が400円

 「最も景気が良かったのは昭和30年代でした。当時は夏柑の値段が良かったこともあり、生産量が急激に増えました。その背景には、昭和33年(1958年)に三崎町農協、神松名農協、神松名青果、大佐田出荷組合が合併して、三崎町農業協同組合が発足し、共同出荷体制や販売ルートの整備が進んだということがあります。また、農協では施肥(せひ)、消毒、剪定(せんてい)などの栽培技術の指導も行っていました。消毒を例に上げると年に4、5回実施するのですが、農協職員が配合した消毒液を柑橘農家に配布し、消毒の道具を貸し出して共同でいっせいに散布するのです。そのような生産・販売の共同体制を確立したことで三崎の夏柑がブランドになったのです。
 値段は夏柑1貫目(約3.75kg)が400円していました。出荷する時にはダイダイ籠(かご)という10貫(約37.5kg)入りの竹籠に入れていたのですが、その一つが4,000円になります。女の人を夏柑の収穫作業に雇っていたのですが、その人たちの1日の日当が約300円でした。日当より夏柑1貫の値段が高いのですから、いかに高値が付いていたか想像できると思います。景気が良くて勤めていた農協のボーナスもたくさん出ていました。逆に『こんなことで良いのかな。』と心配するぐらいでした。竹籠も昭和20年代までは、八幡浜の千丈(せんじょう)に業者がいて(千丈周辺で内職や本職で竹籠を作っていた。)、そこから買って三崎まで船で運んでいたのですが、竹籠が大きいのでかさばって一度にたくさん運べないのです。そこで、昭和30年ころにこっちで作ろうという話になって竹籠を作り始めました。八幡浜の千丈の農協にお願いして原料の竹を送ってもらって、竹籠を作る女の人を農協で養成して作るようになりました。三崎館の近くに個人でジュースを作っていた人がいたのですが、農協が用地を買収し、そこで籠を作るようになりました。」

図表2-2-1 伊方町三崎地区の耕地利用の推移

図表2-2-1 伊方町三崎地区の耕地利用の推移

『三崎町誌』から作成。