データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

えひめ、昭和の記憶 ふるさとのくらしと産業Ⅱ-伊方町-(平成23年度「ふるさと愛媛学」普及推進事業)

第2節 くらしを支えた山

 伊方町をはじめ南予地方の多くの地域では、段畑(段々畑)のことを「ヤマ(山)」と呼ぶ。それは急傾斜地の山林を伐採して畑を開墾し、さらにそのまた上段の畑を切り開き山頂まで段畑が造られていたからである。伊方町では、昭和30年(1955年)ころまで段畑で甘藷(かんしょ)、麦を根幹作物として栽培しながら牛の飼育がなされ、大正から昭和初期にかけては桑の栽培を行い、三崎地区では早くから夏柑の栽培に取り組んできた。昭和30年以後、甘藷、麦の栽培から夏柑やミカンなどの柑橘への転換が行われるようになった。その変化は、地域によって普及時期や生産量などに多少の差はあっても、基本的には変わらない。
 本節では、かつて但馬(たじま)牛と並び称せられた三崎牛と全国的に有名なブランドである三崎夏柑を取り上げ、それらに携わった人々の生活や思いを明らかにしようとした。