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わがふるさとと愛媛学Ⅶ ~平成11年度 愛媛学セミナー集録~

◇伝統行事を復活する

 牛渕昭和倶楽部では、伝統行事の復活に取り組んで参りましたので、その幾つかを御紹介させていただきたいと思います。
 まず、倶楽部の発足と同時に、里神楽(さとかぐら)を復活いたしました。「神楽を復活させる。」と申し上げますと、皆さん方は奇異に感じられるかもしれません。本来、神楽は神職の手によるもので、氏子が手にするものではありません。しかしながら、当時、地元の浮嶋(うきしま)神社の宮司さんから、「神職の手だけでは神楽の継承が非常に難しくなってきた。神楽は重要な神道文化だから、これが廃れるのは大変惜しい。そこで、なんとか氏子の方々で神楽組を作り、継承してくれないだろうか。」という要請がありました。また、神楽を継承している宮司さんもただ一人となり、この方を失えば、神楽はもう自然消滅してしまうという状況でした。そこで、倶楽部としてこの要請におこたえしたのです。
 神楽は、神職の動作が基本となっていますので、いざ練習を始めてみますと、大変難しいものでした。しかしながら、延べ62時間余りにもおよぶ猛練習の結果、なんとか身に付けることができ、その年10月の秋季大祭には、正式に奉納することができました。地域の方々からは、氏子が神楽をもてたという喜びとともに、多くの温かい声援を送っていただきました。今では、地域の定例の行事として定着しておりますとともに、平成5年に行われた伊勢神宮の式年遷宮の際にも奉納いたしました。
 現在、神楽組は15名によって構成されています。構成員はいずれも若者ですので、神楽の継承という点については良い条件となっています。また、この神楽が若者たちに与える精神的な影響には、非常に大きなものがあったと思います。神楽の精神に触れることにより、若者たちの心が磨かれ、礼儀正しさや地域の人々への親切心といったものが向上いたしました。これにつきましても、地域の方々から良い評価をいただいております。
 次に、子供を対象とした行事として、虫送りの行事を紹介いたします。
 これは、毎年7月、夏の土用の三日目に地元の小学校1年生から6年生までの男女を対象として行われます。当日は、100名近くの子供たちが参加しますが、まず寺に集合して清掃奉仕をします。これが終わると、寺の住職によって、子供たちのために作られたお経が唱えられます。この時、子供たちも一緒にお経を読んで心を鎮めます。これによって、神仏に対する畏敬(いけい)の念が養われます。
 また、わたしどもの地域におきましては、親・子・孫の3世代の交流を非常に大切にしておりますので、お経の唱和が終わった後、寺の本堂で子供と大人が一緒になって数珠繰りを行います。これは、住職の読経に合わせて大きな数珠(直径5cmの玉を約400個つないだもので、円周は約22m)を繰っていくものですが、この数珠繰りによって暑い夏の間の無病息災を祈るとともに、3世代の交流が図られます。
 数珠繰りが終わりましたら、いよいよ本番の虫送りの行事です。笹(ささ)の先にお札を付けたものをあらかじめ準備しておきます。子供たちは、銘々がその笹を手に持ちます。そして、古くから伝わっている鐘(かね)と太鼓を鳴らし、その音に合わせて虫を追いながら水田のあぜ道を通り、地域を流れる重信(しげのぶ)川へと向かいます。歩く距離は約1kmです。
 この虫送りの行事は、わたしどもの地域においては夏の風物詩となりました。沿道のあちらこちらでは、暑さに耐えながら虫送りをしている子供たちに対して大きな声援を送る姿が見られるようになっています。
 川に到着して虫送りの行事は終わります。この後は、先ほどの寺に引き返して、子供たちがなによりも楽しみにしている昼食となります。メニューは、冷やしそうめんやおにぎりなどで、これらは子供たちの母親と倶楽部の女性部員によって用意されます。暑さに耐えた後の食事だけに、子供たちは大変身に染みて、ありがたくいただいています。母親や倶楽部の者の温かい心に触れることで、子供たちの心には感謝の念が自然とわいてくるのではないかと思います。それとともに、この昼食においても3世代の交流が持たれています。
 このほか、子供を対象とした行事には、子供相撲(昭和62年に復活)や力石運び(平成元年に復活)、水神祭(平成5年に復活)などがあります。これらの行事は、戦前までは地域に受け継がれ、人々の心を強く支えてきたものです。しかし、戦争などを境として途絶えてしまいました。このようなうずもれた行事を、牛渕昭和倶楽部は子供に応じた形として復活させました。ですから、昔のものとは形が違う場合もあります。しかし、これらの行事を続けてきた結果、今では子供たちは、復活当初のころとは見違えるような自信に満ちた態度で、行事に参加するようになりました。また、子供たちに自主性が芽生え、行事の仕方などが高学年から低学年へと年々引き継がれるようにもなってきています。さらに、子供たちの自主性を大切にしながら行事を進めてきた子供の親や倶楽部員の、子供に注ぐ温かい視線に対して、地域の方々も安堵(ど)の胸をなで下ろすとともに、地域にはぐくまれてきた文化に対する誇りを、地域の方々も取り戻しつつあるのではないかと思います。
 現代においては、子供を取り巻くさまざまな環境が悪化しているように思われます。また、子供が育つ家庭も、その力を弱めてきているのではないでしょうか。したがって、このような点を補うには、子供たちが生活している地域社会が、子供の育成のために力を合わせるほかはないのではないかと思います。このようなことも考えながら、わたしどもは毎年行事を進めております。