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わがふるさとと愛媛学Ⅶ ~平成11年度 愛媛学セミナー集録~

◇牛渕昭和倶楽部の発足

 わたしどもの牛渕昭和倶楽部は、昭和60年(1985年)3月に発足し、すでに15年が経過いたしました。そこで、まずはじめに、牛渕昭和倶楽部が発足しました経緯から、簡単にお話ししたいと思います。
 牛渕地区は、戦前においては、経営の大規模な農家が多い地域でした。しかし、戦後における都市化の急速な進展に伴い、わたしどもの先祖が鍬(くわ)をふるい、汗水を流して作った農地が次第に減少していきました。そして、昭和60年ころには、かつてわたしどもが生まれ育った田舎らしさ、ふるさとらしさのあふれる農村の風景が、その姿をほとんど変えてしまいました。こうした風景の変容とともに、農村になくてはならない重要な要素の一つである共同体としての性格と、さらには、その中に満ちあふれていた親しさや潤い、安らぎまでもが希薄となり、なんとなく地域全体がぎくしゃくとした感じになってきました。そして、地域の中堅の方々からの、「今のうちになんとかしなければ、地域がおかしくなってしまうのではないか。」という声とともに、地域の見直しが叫ばれるようになったのです。
 大正時代、牛渕地区には、地域の改善と発展のために奉仕を続けてきた「大正倶楽部」という団体がありました。当時の大正倶楽部の業績を物語るさまざまな記録を目の当たりにして、「先輩たちが残したこの大きな遺産を手本として、新たに我々の手で地域の改善を図ろうではないか。地域の人々の心のつながりを取り戻そうではないか。」という気運が盛り上がりました。そこで、中堅の方々の多数の参加によって、牛渕昭和倶楽部が発足したのです。
 倶楽部の運営にあたっては、大正倶楽部に倣い規則も規約もありません。ただ、大変ユニークな内容の8か条の申し合わせ事項があります。その一部を御紹介しますと、まず「この会は、芋くり相談(大勢が集まってわいわいと話し合うこと)であるから規約や規則はなく、大正倶楽部を手本として、伝統行事などを継承することによって親睦(しんぼく)を図り、遊び心で出発するものである。」とあります。また、「役員は部長一人とし、任期は部長が遠いお国へ旅立つまでとする。」さらに、「毎月第2土曜日の夜を茶話会として、会費は参加者が500円を持参してその会の費用に充てる。」というものです。
 実は、この茶話会がわたしどもの倶楽部の生命線でありまして、この会において倶楽部員同士が親交を深めながら結束を図ることで、倶楽部の持続力が高められています。また、倶楽部の活動を進めるうえでも、茶話会は相談の場所として重要です。会は、多くの場合、特別な話題を設けることなく、それぞれが自由に発言しながら進められるのですが、その過程のなかから中心となる話題が自然と生まれます。地域を少しでも良くしていこうという思いのもとに茶話会が開かれていますので、時にはすばらしい発想も飛び出します。そして、その発想を倶楽部の新しい活動に結び付けていくということも、しばしばあります。
 以上のように、牛渕昭和倶楽部では、この茶話会に非常に重きをおいています。ですから、倶楽部発足以来15年間の活動を続けるなかで、茶話会が開かれなかったことは一度もありません。