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えひめ、子どもたちの生活誌(平成18年度)

(1)地域の良さを知って-東予地域子ども大会-

 愛媛県の東部にある旧東予(とうよ)市(現西条市)では、毎年8月の第1日曜日に各地区の子どもたちの代表が一堂に会して、自分たちの地区の行事や産業などを調べ、学んだ成果を発表する「東予地域子ども大会」を開催している。このような取組は県内の他地域にはみられない実践であり、本年(平成18年)の開催をもって27回を数える息の長いものとなっている。この大会を主催する東予地域愛護班連絡協議会の取組や大人たちの思いについて**さん(昭和19年生まれ)に聞いた。

 ア 東予地域の愛護班

 「旧東予市内の愛護班活動は、愛媛県の愛護班連絡協議会が設立された昭和37年(1962年)に始まりました。平成16年(2004年)11月に西条(さいじょう)市、東予市、丹原(たんばら)町、小松(こまつ)町が合併して新しい『西条市』が発足してからは、名称を『東予市愛護班連絡協議会』から『東予地域愛護班連絡協議会』と改めて活動を続けています。
 旧東予市内には九つの地区別愛護班(壬生川(にゅうがわ)・周布(しゅう)・吉井(よしい)・多賀(たが)・国安(くにやす)・吉岡(よしおか)・三芳(みよし)・楠河(くすかわ)・庄内(しょうない))があり、さらに各地区にはだいたい平均して10前後の班(支部)がありました。例えば、壬生川地区ならば、そこに19の班があります。壬生川は商業地域として発展してきた町ですから、その状況によって班数の増減がありました。昭和40年代後半に住友重機械工業が旧東予市に進出してきたころには、社員の家族の社宅が建設され、社宅のある地域そのもので一つの班ができたりしていました。そんなころには23班にも達したことがあります。
 現在では小学校のPTA組織の愛護部として活動している班もあれば、地域単位の班で活動しているところもあり、それぞれが半々ぐらいの割合で、合わせると100近くの班によって東予地域の愛護班活動が行われています。」

 イ 「子ども大会」のはじまり

 「東予地域の愛護班活動の歴史は昭和30年代後半から始まったわけですが、この地域には『子どものためということなら、やろうじゃないか。』というような熱心さと素直さがあるように思います。意見の食い違いが合っても、歩み寄りながらスムーズに動いていくような雰囲気があるのです。そういった雰囲気の中で、子ども大会は昭和55年(1980年)から旧東予市愛護班連絡協議会の主催で始まりました(当時の名称は『東予市子ども大会』)。旧東予市内には昭和55年以前にも地区別愛護班やPTAの主催で演劇の発表会や何らかの形で子どもたちの発表会が実施されていたこともあり、市の全域をあげて実施する発表会の企画も進めやすい土壌があったのです。また、当時は交通の便や情報のやり取りも今ほど発達しておらず、農村・漁村・山村といったさまざまな地域に住んでいる子どもたちがお互いに行き交うことが困難でしたから、お互いが交流できるような場を設定し、お互いの地域を知る勉強の場となることを願って(④)始められたのです。」

 ウ 子ども大会の様子

 「子どもたちの発表する内容は、地域の伝統行事や伝説、地場産業の様子や変化、さらには郷土の偉人たち(口絵参照)など、どれも熱心に調べられた立派なものばかりです。過去には昔の町並みを再現する発表もありました。子どもたちが地域のお年寄りに話を聞いて、昔はここに何があったのか、お店があったとか、そのお店のあった場所がどんなふうに変わっていったのかなどについて、大きな紙に地図を描いて発表していました。当日まで、いろいろと調べ、準備してきたのだなあということがありありとわかりますし、それはもう私たち大人は感動します。発表中には住み慣れた地域のことであっても、全く知らないことや気付かなかったことが次々と出てくるので驚かされることもしょっちゅうです。
 子どもたちにとって、ステージの上でマイクを持って発表するという経験はなかなかあるものではありません。とても緊張している子どももいますが、発表を終えると感激して保護者の方と抱き合ったり、見に来られていたおばあちゃんのところに駆け寄っていく姿を目にします。発表前はこじんまりと見えた子どもたちが、発表を終えると胸を張って、堂々としているように見えます。やったあという気持ちでいるのだと思います。
 発表会に向けた準備は親子でやっています。発表テーマは、それぞれ地域の公民館や集会所に保管されている過年度の記録をよく調べたうえで、親子が話し合って決めているようです。テーマがうまく決まらない場合には、地元の小学校の先生に相談を持ちかけることもありますが、先生方も積極的にかかわってくださるので助かっています。テーマはこうやって決められてくるのですが、おもしろいことに、これまで一度も同じテーマでの発表はありません。
 なぜかといいますと、地区の中で発表を担当する班が毎年ローテーションして選出されているからです。例えば地区の中に10の班があれば、10年かけて一巡することになりますし、小さい町(地区)でありながらそれぞれに山があり、川があり、お宮があり、地名があり、それが違うわけですから、何を取り上げるかでテーマや発表内容が自然と変わってくるわけです。そういうわけでテーマの重複は起こりにくいのです(図表2-2-4参照)。
 また、同じ理由から発表者も毎年変わり、さらには学年、人数、男女比なども班の子どもたちの実情に応じてばらつきがありますから特に規定していません。かつては子どもが多かったので高学年の6年生が中心となって発表していました。しかし、少子化のため平成に入ったころから、発表のリーダーは高学年でも、低学年の子どもたちも一緒にステージに上がるようになってきています(写真2-2-15参照)。
 子どもたちへの参加呼びかけは、1年前から始まっています。というのも次年度に発表する地区(班)の子どもたちは、前年度の発表会を見に来ていて、発表会当日には、発表者の隣の席に座ってだいたいこんなことをしているのだなあと見学しています。だから心の準備は1年前からできているのです。また、次年度を担当する子どもの保護者も来ています。保護者の中には次年度の発表を今年度以上のものにしようと意気込まれている方もいらっしゃいますし、熱心に写真やビデオを撮影される方もいて、子どもたち以上に来年の担当者だという意識が保護者の方には強いように感じています。
 実際に動き出すのは年度が変わってからですが、5年生の子どもなら6年生になってからということになります。6月ごろには、テーマを決めて本格的な準備が始まっています。ですから本番の2か月前からが実質的な準備期間です。そして、子どもたちは地区の集会所などに集まって発表用の作品を作ったり、原稿を作ったりしているのです。本番の迫った夏休みに入ると、それこそ発表会に向けた発表練習や本番さながらのリハーサルを地区の集会所などで保護者を前に行うのです。
 当日の発表という表には出てこない準備の部分の活動こそが子ども大会の真髄ではないでしょうか。そして、親子がどんなふうに地域のことを調べたかは、発表の内容にあらわれてきます。
 前日のリハーサルでは子ども以上に、保護者が必死になっているような場面があります。かつては希望地区だけが前日にリハーサルを行っていましたが、今では九つの全地区が行っています。そのため地区を二つに分けて、リハーサルの日数も2日間にして、夕方の午後6時から各地区30分という割り当てで行っています。リハーサルの日には子どもばかりでなく、お父さんやお母さんも大勢やってくるのです。発表には照明が入りますし、マイクなどの音響設備も使いますが、そういった機器の操作は専門の係の人がいるわけではないので、すべて自分たちで行わなければならないのです。地域の絆はいやがおうにも強まりますが、お父さんお母さんが行うので、あっちこっちを走り回ったりしながら、それはそれは大忙しの様子で取り組まれているのです。
 この発表会には行政(市)の関係者の方にも見に来ていただいております。ある年には楠河地区の子どもたちが海岸のゴミの様子や清掃についての内容を劇にして発表したことがあります。当時の市長さんがこれを見て、『大人が海岸を汚してしまい、それを子どもが掃除しているとは本末転倒だ。』ということで、予算が組まれて海岸清掃が実施されたこともあります。こんなふうに子どもたちの発表を聞いて、行政が動いてくれたこともありました。
 私たちがここまでやってこれた背景には、行政が私たちの活動を理解し、陰になり日向(ひなた)になり協力してくれたこともあると感じています。私たちの努力や働きかけによって行政が応(こた)えてくれたのか、行政がそういう姿勢を示すからこそ、私たちが自らのレベルを高めていったのか、それはお互いだと思います。両者のどちらが欠けてもうまくいかなかったものだと思っています。」

 エ 継続していくために

 「当初は現在のような半日の行事ではなく、お弁当持参で一日がかりのもので、すべてが終わるのはだいたい午後3時ごろでした。午前中は今と同じように子どもたちが自分たちで調べた地域のことを発表し、午後からは地域のVYSの指導者を招いて、遊びやゲームを通して参加した各地区の子どもたちのリーダー教育を兼ねながら、交流を図っていく形式で行っていました。そして、ここで学んだ遊びやゲームを自分たちの地区で行われる行事などのときにリーダーとなってほかの子どもたちに広めていってもらおうと考えていたわけです。
 しかし、平成に入る前後から子どもたちはスポーツの練習や試合、そして塾や習い事などで忙しくなりはじめ、ついには日程が重なってしまい、発表の準備を一生懸命やってきた子どもたちが発表会の当日に途中から会場を抜けて、スポーツの試合などに移動しなければならないというような問題が起きてくるようになったのです。さらに、保護者からは今年はなんとか参加できたが、このままでは来年は参加できなくなるという声もあがってくるようになりました。
 そんなころに私が愛護班連絡協議会の会長になりました(平成4年〔1992年〕)。協議会では子ども大会をやめてしまうのではなく、今後とも続けていくためにはどうしていけばいいのかと検討しました。主催者である私たちとしては、発表会は結果に過ぎないものであり、地域の方と親子が一緒になって、テーマをもとにいろいろなことを調べて準備していくプロセスにこそ、この子ども大会の意義があり、発表するためだけにやっているのではないと信じていましたから、現在のような半日開催のスタイルに改めることによって、親子が参加しやすい方向に見直すことにしたのです。こうすることで、午後からは子どもにとっても、保護者にとっても別の行事などに参加しやすくなったのです。」

 オ 子ども大会の将来

 「子ども大会がこれまで続いてきた背景は、その時代、その時代の愛護班のリーダーたちが、一生懸命やってくれたことにつきると思います。そこには活動の意義を明確にして、それを親たちにしっかりと説明していったことの積み重ねがあったと思います。つまり、連絡協議会のリーダーから、各地区のリーダーへ、さらには各班の責任者にしっかりとおろしていったことの積み重ねです。その結果、東予地域では組織も整備され、子ども大会のほかにも旧東予市全域の子どもたちが参加する行事として6月の『親子ふれあい体験学習会』と、1月の『たこあげ大会』を実施することもできたのです。
 そして、今年の5月には、新たな愛護班連絡協議会の組織として『西条市愛護班連絡協議会』が設立されました。この新たな協議会の下で来年の1月にはたこあげ大会を西条市全域の子どもたちが参加する統一行事として実施することが決まっています(平成19年〔2007年〕1月14日〔日曜日〕に実施された。)。
 一方、子ども大会はまだ西条市全域の大会にはなっていませんので、今年度は『東予地域子ども大会』という名称で実施しました。しかし、将来的にはぜひ、旧丹原町、旧小松町、そして旧西条市の子どもたちも発表の場に加わってほしいと考えています。つまり、『西条市子ども大会』の実現を願っています。合併して新しい市となりましたが、まだまだ一体感が生まれるには時間が必要だと思うのです。だから、そういう一つの出会いの場として全市の子どもたちが参加しているという子ども大会が開催できることを望んでいます。それは、子どもたちがそれぞれの発表を見て、地域を知り、さまざまな勉強ができ、さらには地域への愛着を持ってくれると自信を持って言えるからです。」

図表2-2-4 テーマと発表人数(平成18年度)

図表2-2-4 テーマと発表人数(平成18年度)

西条市東予地域愛護班連絡協議会提供資料から作成。

写真2-2-15 発表する子どもたち

写真2-2-15 発表する子どもたち

近年はプレゼンテーション形式の発表も増えている。西条市周布。平成18年8月撮影