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えひめ、子どもたちの生活誌(平成18年度)

(3)いろいろな遊び

 「三角ベースは、最初ボールを手で打っていましたが、そのうちバットで打つようになりました。バットといっても木切れで、ちゃんとしたバットはありませんでした。軟式のテニスボールで軟らかかったので、グローブは必要ありませんでした。
 自転車を持っている子どもはおらず、大人の自転車に乗っていました。子どもは足がペダルまで届かないため、横乗り(三角乗り)をやりました。ハンドルとサドルとペダルをつなぐ三角の間から足を入れ、バランスをうまくとってペダルを踏んで乗りました。
 冬になると『ドンマ』という遊びをよくやりました。馬と乗る側に分かれ、馬は一人が壁にもたれて立ち、他の子はまたの間に頭を入れて順番に馬をつくります。乗る側はそれに次々とまたがり、下のものは揺らして落とそうとし、上に乗った子は落とされまいとします。嫌われている子が馬のときは、その子の上にみんな乗り、馬をつぶしました。つぶされたらもう一度馬をやらないといけません。
 メンコは『パッチン』、ビー玉遊びは『ランコン』と呼びました。普通のパッチンやランコンは、一つずつ取り合いますが、そのうち物足りなくなり、たくさん賭けてやることもありました。勝負が大きく賭博(とばく)性が増すため、後に学校で禁止されました。こうした大きな勝負をするのは上級生になってからで、同じ学年同士でやり、下の子とはやりませんでした。野球など団体での遊びも、大きい子から小さい子までバランスよく二つに分かれました。子どもにはそうしたルールがありました。
 独楽(こま)遊びは、冬だけでなくほとんど年中やってました。普通独楽のひもは右巻き用にできていますが、けんか独楽はひもを逆に巻くため、ひもがさばけるようにほどけて切れることも多かったです。攻撃力を増すため、鉄の輪をよく改造しましたが、大きく重くなるとテクニックがいりました。このほか男の子は、肉弾やSけん、ろくむし、かんしゃく玉や2B弾(*2)でもよく遊びました。
 缶けりやかくれんぼ、ケンケンパー、鬼ごっこは男女一緒にしましたが、女の子は遊ぶ人数が男の子より少なく、パッチンやランコンなどの賭(か)け事はせず、かごめかごめやゴム跳び、まりつき、ままごとをよくしました。ゴム跳びのゴムは、輪ゴムをつないで作りましたが、最初は膝(ひざ)の高さ、次に腰の高さを『お猿のかごや』などを歌いながら跳びました。お手玉は小豆を中に入れて作ったものが必ず家にありました。あやとりのひもは、みんな学校に持って来ていました。
 家の中では着せ替え人形をしましたが、最初は紙の人形、そのうちキューピー人形に自分で縫った服を着せて遊びました。色紙はそんなに種類が無いので、珍しいものは友だち同士で交換しました。親がしまっていたきれいな包み紙は、しわのないところを切り取りコレクションに加えました。」


*2:肉弾、Sけんは二つのグループに分かれて互いに相手の陣地を奪い合う陣地遊び。ろくむしは、攻撃と守備に分かれてや
  るボール遊び。かんしゃく玉は小さな火薬玉、2B弾は爆竹の一種で、投げたりして遊んだ。