データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

えひめ、その住まいとくらし(平成17年度)

(1)公営住宅に住まう①

 愛媛県内の公営住宅(図表2-2-9参照)は、松山を始めとする都市部に多く建設されている。これは都市部に人口が多いということもあるが、都市の多くが戦災にあい住宅難になったことも大きく影響している。ここでは公営住宅が最も多く建設された松山市を例に、今日まで公営住宅が担ってきた役割とその形態等の変化を明らかにし、そこに住む人々のくらしや思いについて探った。

 ア 戦後住宅難の時代の公営住宅

 終戦直後、県内の各都市には、空襲で家を失った者、外地から復員あるいは引き揚げてきて家のない人があふれていた。このような状況の中、松山市では石手川河川敷に営団住宅(県営住宅として管理)および松山市営住宅が建設された。当時は県内各都市でも同様の営団住宅が建設されたが、最も大規模だったのが石手川河川敷だった。営団住宅は杉皮葺(ぶ)きの建坪6.5坪(4.5畳・3畳と炊事場・便所の間取り)の簡素なものだったが、当時この住宅に入居できた人は非常に恵まれた存在だったという。ただ石手川河川敷には、かなりの数の無許可住宅も建設された。石手川河川敷は、昭和31年(1956年)に都市公園となったため、県や市は河川敷の住民の移転及び住宅の撤去にかかった。この移転先となったのが移転対策用県営住宅である。これは松山市内に5団地(吟松(ぎんしょう)、久米(くめ)、三町(さんちょう)、和泉(いずみ)、西石井(にしいしい))405戸建設された。吟松団地は最初に建てられたが、木造平屋建てで住戸専用面積は28m²であった。

 イ 県営住宅について

 愛媛県における県営住宅の建設は、公営住宅法制定(昭和26年)の翌年、今治団地と新居浜団地に始まる。当時の公営住宅の建設目的は、生活に困窮するものに対し、低廉な家賃で良質な住宅を供給することにあり、これ以降、高度経済成長期にかけて、建設戸数は飛躍的に増大した。
 松山市内の県営住宅(図表2-2-11参照)の建設は、昭和28年(1953年)の松風(しょうふう)団地(24戸)に始まる。松風団地は中層耐火4階建ての階段室型(*3)住宅で、間取りは4畳半二間に台所(2DK:住戸専用面積(*4)35.4m²)となっており、浴室のスペースはなかった(写真2-2-8参照)。昭和35年から36年に建設された朝美(あさみ)団地(58戸)は、6畳二間に台所と間取りがやや広くなり(2DK:37.8m²)、押入などの収納場所も増え、風呂が設置可能なスペースも設けられた。昭和37~39年に建設された石井団地(204戸)の3棟・6棟は、当時流行したポイントハウス(塔状の集合住宅、スター型住宅とも呼ばれる。口絵参照)であるが、住戸専用面積は33.3m²と手狭であった。昭和40年代以降になると、市の南部郊外に牛渕(うしぶち)(548戸)、森松(544戸)、砥部(とべ)(458戸)などの大規模団地が次々と建設されていった。
 昭和41年(1966年)に住宅建設計画法が制定され、この年から愛媛県でも住宅建設五箇年計画が策定されることになった。これによると、1期(昭和41~45年度)、2期(46~50年度)においては、住宅難解消が主な目的であったが、3期(昭和51~55年度)以降は住宅の質的な向上を目指す方向に政策が変化している。現在は8期(平成13~17年度)で、少子・高齢社会や多様な居住スタイルにあわせた良質な住宅と住環境づくりをすすめており、その一つとしてバリアフリーリフォームなどをすすめている。すなわち昭和40年代までは住宅難の時代であり、より多くの人に住宅を供給することに主眼を置き、戸数重視で建設された。そのため中層耐火4階建ての2DKで住戸専用面積も30m²台と手狭なものが多かったが、40年代半ばになると梅津寺(ばいしんじ)や潮見(しおみ)団地のように3DK40m²台の住宅が登場する。40年代末にできた森松団地には、3DK51m²や4DK57.4m²が登場し、いよいよ住宅の質的向上が始まる。昭和50年代になって建設された住宅は、ほとんどが住戸専用面積50m²以上で、後半になると60m²以上のものが登場する。昭和50年代末以降、新規の建設は少なくなり、古い住宅の建て替えが中心に行われるようになったが、建て替えられた住宅は、60~70m²以上の広い住戸専用面積を持っている。


*3:階段室型住宅 住戸へのアクセス方式に注目して共同住宅を分類すると「階段室型」と「廊下型」に分類される。「階
  段室型」は一つの階段で各階2戸の住戸にアクセスする型で、共用通路が階段に限定されるため、各戸のプライバシー保
  護に適する。「廊下型」は住戸の開口部が廊下に面しているため、プライバシー保護に難点があるが住戸密度を高められ
  るため効率がよい。昭和30~40年代に全国で建てられた公営の中層耐火住宅は、約8割が「階段室型」であった。
*4:住戸専用面積 入居者が専用的に利用する室内の床面積で、パイプスペースや室外から使う倉庫等を除いた床面積をい
  う。

図表2-2-9 愛媛県内各市町の公営住宅の戸数(平成16年度末現在)

図表2-2-9 愛媛県内各市町の公営住宅の戸数(平成16年度末現在)

数値は公営住宅の総戸数、(  )内の数値は県営住宅の戸数を示す。愛媛県建築住宅課提供資料から作成。

図表2-2-11 松山市付近の県営住宅の分布(平成16年度末現在)

図表2-2-11 松山市付近の県営住宅の分布(平成16年度末現在)

図中数字は戸数を示す。愛媛県建築住宅課提供資料から作成。

写真2-2-8 最初の中層耐火県営住宅(松風団地)

写真2-2-8 最初の中層耐火県営住宅(松風団地)

松山市高砂町。平成17年9月撮影