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えひめ、その装いとくらし(平成16年度)

(2)天蚕糸

 天蚕(口絵参照)はヤママユの別名で、日本原産で全国各地に分布している。家屋内で飼育される家蚕に対し、山林に放し飼いをしてその繭を収穫し、繰糸する。その糸は太く、強伸性に優れ艶のある優美な光沢と野趣に富むので「繊維のダイヤモンド」といわれ、最高級織物の原料として珍重されている。生産量は非常に少ないので、価格は高い。
 愛媛県では、明治政府の奨励をうけ、大洲、松山、今治で飼育伝習が行われた記録がある。全国では、長野県を中心に飼育生産が行われたが、戦争中廃止され、戦後昭和40年代からやはり長野県を中心に飼育生産が復活している(①)。愛媛県では昭和56年(1981年)から、愛媛県蚕業試験場が品種保存の目的から、松山市北条、東温市、伊予郡中山町、大洲市、北宇和郡鬼北町日吉などの農家に委託して、天蚕の飼育を5年間行っている。
 さらに昭和62年(1987年)に西予市城川町が天蚕に着目し、町の特産品として飼育生産の事業を始めている。そして県から平成2年に「天蚕の里づくり」推進の指定を受け、天蚕センターを建設し、繭から天蚕糸織物に至る一貫生産に取り組んでいる。

 ア 天蚕の飼育

 (ア)孵化と天敵

 **さん(西予市城川町魚成 昭和3年生まれ)に、天蚕の孵化(ふか)の様子や天敵について聞いた。
 「最初は大洲の蚕業試験場から、孵化して幼虫になったものが来ていたのです。その方が生存率というか、収繭率(しゅうけんりつ)(繭の収穫率)が良いようです。その大きさになるまでに、天敵にやられるのです。ある程度の大きさになっていると、難を逃れることができるのです。今は北条の農業試験場から、卵を10cm角くらいの網に入れて送られて来ます。4月の中ごろ、その網をクヌギ(ブナ科の落葉高木ドングリ)の木にくくり付けておくと、2週間ほどで孵化して出てくるのです。卵を200粒入れた網の中で、一斉に孵化するのではないのです。1か月ぐらいたって『ありゃー、今ごろ出てきた。』というのもあるのです。だから孵化するのも個体差があって、大きさも全然違うし、繭つくるのも早いのや、遅いのがあるのです。一斉に繭が出来ないので、しょっちゅう見回ってとらないといけないのでやっかいです。ちょうど目の前に繭が1個ありますが、これは野生の天蚕がつくった繭です。とても固くなっています。クヌギの芽が出ない内に孵化したので、家へ連れて帰ってあちらこちら葉っぱを探して養ってやりました。大分大きくなって来たので、山へ持って来たのです。ほかのと違ってつくりはじめてから1週間近くなるので、収穫してもいい繭です。
 網から孵化して出てきた小さいのは、必ず木を伝って一番先の芽のところに行きます。絶対に途中に止まらず、一番柔らかい芽を食べようとします。その小さいのを、ちょっと上のところで、アマガエルがじいーっと待っていて、ぱくっとやるのです。おいしいところへすうーと行こうとする天蚕も、それがこの道を来ると待っているアマガエルも、だれが教えたか知りませんが、自然の摂理というものはたいしたものだと思います。そんな姿をじいーっと見ていると、おもしろいものです。天敵はこまめに駆除してやらないといけません。その次に、カマキリがやって来ます。カマキリに半分近くやられてしまいます。5齢になると天蚕も大きくなって、カエルやカマキリの方が負けてしまいます。」

 (イ)クヌギ林での飼育

 ネットを張ったクヌギ林での飼育の様子を、**さんから聞いた。
 「天蚕も家蚕と同じで、5齢になるとたくさん食べます。この畑の天蚕は4齢から起きて(脱皮直後は眠った状態になる。)3~4日なので、クヌギの木が丸坊主になるくらい食べます。5齢になって2週間で繭ができますから、この天蚕は後10日で繭をつくります。中には試験場の蚕種ではなく、自然に産み付けられて、自然に孵化してくるのもおります。つくりたてはまだふにゃふにゃで、3~5日しないと固くなりません。この繭は昨日からつくり始めたばかりなので、中が透けて見えるのです。中で頭振って糸を吐いているのが見えます。大体1週間で収穫しますが、一々触って確かめないといけないので、やっかいなのです。
 人の背の高さくらいの木で、適当な天蚕の数は15、16頭です。20頭もいると、葉が足りなくなります。去年は18,000粒の卵でしたが、葉が足りなくなったので、今年は15,000粒を置きました。この山全体で、450本のクヌギがありますが、食べ盛りの5齢期になると、木はけっこう坊主になって行きます。
 管理はネットを張るだけで、雨が降っても風が吹いてもそのままです。天蚕は本来気性が荒いので、つまむと怒ってかちっとかみつきます。白いお蚕さんは食いつきません。抵抗しません。抵抗しなくしてあるわけです。自然の状態が天蚕の良いところかもしれません。
 クヌギ1本食べてしまって、えさがなくなったら、自分では別の木に移れないので、とまっている枝ごと切って、葉っぱのある別の木にさしかけてやらないといけません。えさがなくなると、自分でも探しに下には降りるのですが、木にはい上がらず、その辺りをはい回るだけで、どうしようもなくなるのです。
 クヌギ450本の林を一人で世話していますが、暑くてなかなかです。始めて13年くらいになりますが、最初はほかに5人くらいおりましたが、高齢化して今は私一人です。一人でこれくらいしていたのではらちもあかず、もうけにならないと後継者も出て来ません。
 ネットは秋にはずします。そうしないと、冬に雪が降るといっぺんにつぶれてしまいます。この辺りは必ず雪は降るし、深いときには70~80cmになります。4、5cmも積むとネットはもちません。はずす作業は一人で出来ますが、張るのは一人ではできません。役場から3、4人手伝いにきてくれます。」

 イ 天蚕糸の生産 
 
 西予市城川町の**さん(昭和26年生まれ)に天蚕糸の生産について聞いた。**さんは天蚕センターの職員として、平成7年から天蚕糸の生産、天蚕織物の製作に携わっている。
 「天蚕の繭からは、生糸と紬(つむぎ)糸(くず繭または真綿をつむいで作った糸)を作ります。天蚕は家蚕と違って、糸を得るための品種改良がほとんど行われていないので、天蚕独特の繭の性質に合ったやり方で糸にしなければなりません。撚糸(ねんし)(糸を1本または2本以上引きそろえて撚(よ)りをかけること)ひとつにしても難しいのです。湿らすと縮んでしまうので、経験を積んだ人に頼まねばなりません。そういう意味では、天蚕糸の生産は、それを特別なものとしてとらえて、技術の継承をしていくことが一番の基本だと思います。
 繭から生糸をとる作業を繰糸といいます。まず繭を煮ることで、通気性の悪い繭を膨張させてくっついた状態の糸をゆるめます。繭の層は家蚕より薄いくらいなのですが、糸同士はよりきつく離れにくい状態になっています。煮繭機には槽(そう)が三つあって、温度設定が3種あります。40℃くらいのお湯で下準備をし、次に60℃くらいの槽に移します。最後に90℃くらいの熱湯に入れます。時間は繭の乾燥状態、大きさ、固さによって調整します。
 繰糸機は、一部モーター式の天蚕仕様のものを使っています。モーターで速度調整をし、作業スピードにある程度の幅も持たせてあります。お鍋に繭を平均7粒1か所に集めて、撚(よ)りをかけ1本にしながら巻きとっていきます。
 天蚕糸は緑色と言うイメージが強いのですが、精練したら卵色にしかなりません。また未精練の糸は日光に非常に弱く、必ず色があせます。天蚕織物として出荷するときには、緑色ははずせないので、緑色に染めた家蚕糸を織り込んで色合いを出すことなどもあります。わたし自身は天蚕糸ゆえの強さや光沢にひかれて、紬糸にそれらの特徴を出したいといろいろ試みているところです。くず繭を真綿にして紬糸を作り、織りの緯(よこ)糸として利用しています。この紬糸は強くて、自動つむぎ機の糸が集中して当たる木製の部分が削られてしまうほどです。しかも、引っ張れば引っ張るほど光沢が出ます。
 天蚕に囲まれていると、その高価さよりも強い個性に圧倒される感じです。ワイルドシルクなのですが、その中に人の巧緻(こうち)を超えた繊細さが秘められています。その奥の深さが天蚕の最大の魅力だと思います。」