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えひめ、その装いとくらし(平成16年度)

1 紡ぐ

 明治から昭和にかけて、愛媛県内各地で蚕糸業が奨励され、広く技術指導が行われた結果、蚕糸業が発達し地域経済の進展に大きく寄与し、大正5年(1916年)には西日本一の蚕糸県となった(①)。特に南予(愛媛県南部)の肱川(ひじかわ)流域の生糸(きいと)は、早くから「伊予生糸(いよいと)」の名称で国の内外から高い評価を受けて、昭和40年代まで隆盛を保っていた。しかしそれ以後、石油危機や安価な中国産の生糸の輸入などの影響によって次第に衰退の一途をたどることとなった。
 近年かつての産地特性を生かし、西予市野村町にある野村シルク博物館が、繭(まゆ)から織物までの絹に関する独自の活動を展開している(②)。また西予市城川町にある天蚕センターも地域おこしの一環として、天蚕の飼育に取り組み、繭から天蚕糸生産さらに織物製作まで行い「天蚕の里づくり」を目指している(①)。
 一方化学繊維については、県内でも太平洋戦争中から戦後にかけ研究開発が進められ、極度の綿花不足を補うためスフ(ステープルファイバーの略・化学繊維で作った紡績用の短繊維)の製造が行われた。なかでも西条市壬生川の富士紡績壬生川(にゅうがわ)工場では、水、海運、鉄道の諸条件に加え、旧周桑(しゅうそう)郡一円からの労働力供給により、地域と一体になった活発な生産活動が昭和30年代まで行われていた。