データベース『えひめの記憶』
えひめ、その食とくらし(平成15年度)
(3)鉢盛料理と海の幸
ア 秋の祭りのごちそう
(ア)鉢盛料理
南予地域で見られるお祭りの料理は、鉢盛料理(写真3-3-20参照)に代表される。お祭りの料理は、夏の祭りの時期には保存がきかないので簡単な料理が多く、豪華な料理は秋祭りの鉢盛料理に多い。
鉢盛料理は人数を限定しない、いつ誰がきても間に合う一種のバイキング料理である。料理を盛りつける大きな鉢にもそれぞれ特色があり、彩りも鮮やかで祭りを盛り上げる役目を果たしている。
**さん(宇和島市住吉町 昭和4年生まれ)に、宇和島に伝わる鉢盛料理を作ってもらいながら話を聞いた。
「祭りが近くなると、各家庭の台所から、トントントンとまな板を包丁でたたく音が聞こえはじめます。これはボラメ(ボラ)の骨きりをする音です。これでふくめん料理に使うそぼろを作るのです。私は料理を作ることが好きですから、裏方の苦労といってもそんなにありませんが、材料は今のようにすぐ手に入りませんから、とても苦労しました。鉢盛料理を作るのにさまざまな種類の料理を作らなくてはなりません。れんこん料理はレンコンの味が出るように、さといも料理はサトイモの味が出るように炊かなくてはなりません。準備から始めて前の日の夜遅くまで料理作りに追われていました。
鉢盛料理には、刺身・ふくめん・たいめん・フカの湯ざらし(写真3-3-21参照)・盛り合わせ・酢の物・丸ずし・巻きずし・ちらしずしなどがあります。
宇和島では、和霊神社の祭りが有名ですが、この祭りは真夏の7月24日ですからこのような料理は作りません。秋の祭りの宇和津彦(うわつひこ)神社(10月29日)、三島(みしま)神社(10月13日、14日)、八幡(はちまん)神社(10月15日、16日)の祭礼の日や婚礼の際などに作りました。その時は、何十鉢もの料理を輪島塗の器に盛り、同じく輪島塗の鉢台に並べられていたようです。色鮮やかで、豪華に見える料理だと思います。南予のお祭り料理は皿鉢(さわち)料理だという人がいますが、それは高知県の料理の呼び方であって宇和島は鉢盛料理といいます。鉢に盛ったさまざまな料理で高知県の料理と同じだと思います。その中に盛り込み料理(写真3-3-20参照)とか盛り鉢料理があります。
盛り込み料理は、鉢の中心に花を活け、その周りに丸ずしを石垣のように盛り込んだもので、このことを石垣積みともいい、さらにくずし・レンコン・厚焼き卵・揚げえび・果物・羊羹(ようかん)などを石垣を取り巻くように盛り付けます。盛り鉢料理は刺身・ふくめん・たいめん・フカの湯ざらし・酢の物などを、料理ごとに別々の大きな鉢に盛り付けた料理です。
鉢盛料理は、人数にこだわらない料理で、海や畑のものなどをバランスよく盛り付けた料理です。華やかにするコツは、豪快に盛ること、彩りを考えることです。祭りのときなどみな無礼講(ぶれいこう)(身分の上下などの別なく礼儀を捨てて行う宴)だったので、およばれしている人が自分の知人に『上がって食べさいや。』と勝手に声をかけて座敷に通すこともままありました。ですから知らない人も『まあ、あがんなはいや。』ということで加わって飲み食いをしていたものでした。魚を使った鉢盛料理はおおらかに人をもてなす心を育ててきた料理だと思います。
宇和島の祭りには餅は搗きません。お土産に、おこわが重箱で届いていたことがあります。この重箱は自分の地域の祭りのときに、またお土産を入れて戻さなくてはなりませんでした。
酒席に欠かせないのが、フカの湯ざらしです。白くさらしたフカに、結びこんにゃくや豆腐、ホウレンソウなどの緑を付け合せ、鬼からしをきかせたからし味噌を添えて一鉢に盛り付けます。
(イ)鉢盛料理の主役・たいめん
さらに**さんは、「鉢盛料理の主役は、たいめんだと思います。たいそうめん(写真3-3-20参照)のことです。この地域では『めんかけ』とか『活け盛り』と言ったりします。大きなタイを煮つめ、大皿に、そうめんを波状に丸めて並べ、タイをその上に盛り付けて、松などをあしらうと豪華な鉢盛になります。小皿にそうめん、タイの身、ネギなどを取り分け、タイの煮汁をかけて食べるのがこの地域独特の食べ方です。たいめんのタイでもいかに勢いよく見せるか、いかに姿形を良く見せるかを最初に煮るときから気をつけておく必要があります。タイを鍋(なべ)に入れて炊くとき竹の皮を敷くと、形が崩れにくく取り出すのも簡単です。タイを勢いよく見せるために湯を胸びれにかけてピンと立たせることがこつです。」と語る。
(ウ)ふくめん
**さんはふくめん(写真3-3-20参照)について次のように語る。
「ふくめんは、エソで作った紅白のそぼろや黄色いチンピ(ミカンの皮)や緑のネギの葉などで美しく飾ったこんにゃく料理のことで、漆(うるし)の大皿に盛られたとき、鮮やかな彩りを見せ、華やかなもてなし料理となります。これらを混ぜ合わせることで、海と山の味が一つになり何ともいえない良い味が生まれます。ふくめんは、宇和海の新鮮な白身魚をそぼろとしているところから動物性たんぱく質があり、ミカンの皮と葉ネギは色彩もよくビタミンCなども補給してくれて、現代のバランス食に深くつながっているように思われます。
ふくめん料理は、最初に誰がどのようにして始めたのかなどはわかりませんが、ふくめんという言葉は、こんにゃくなどを細くめんのように切ることからついたという説とこんにゃくを覆い隠すという説があります。
また、宇和島ではお祭りが終わったあとの料理の片付けをマナイタアライと言いますが、その時に女性たちは残り物の料理を囲んで食事をしていました。こんにゃくの煮物や、イモの煮物など、さまざまな残り物があったと思います。それをそのまま出したのでは見栄えも良くありませんから、こんにゃくなどを細く切って別皿に盛り、煮魚の身をほぐしてその上にかけて、下のものが見えないようにして新たな一品にしたものがふくめんの始まりではないかともいわれています。生活の知恵から出た料理で、それからさまざまの変遷があって現在のようなふくめん料理になったと思います。」
(エ)丸ずし
丸ずし(写真3-3-19参照)について、**さんは次のように語る。
「南予地方でよく作られる鉢盛料理の一つとしてイワシとおからで作った丸ずしがあり、今でも鉢盛料理に欠かすことのできない郷土料理です。ご飯の代わりにおからを用いて、おからを酢や醤油(しょうゆ)などで味をつけ、シソの実やショウガを入れ、イワシ・キビナゴ・ヒメチ・アジなどの小魚を酢でしめてつくります。特に丸ずしに使うイワシは、宇和海でたくさんとれます。
段畑では、麦、サツマイモ、ダイズなどを作り、豆腐は各家庭で手作りでした。材料であるおからとイワシはいつでも手に入りますから、生活の知恵で丸ずしを考えたのだろうと思います。魚を酢に漬けると日持ちもしますし、酢料理は欠かすことのできない健康食だと思います。」
丸ずしは地域によって呼び方が異なる。東予、中予地域ではいずみやと呼び、南予地域では丸ずしが一般的であるが、西海町ではすがたと呼んで、尾頭(おかしら)付きの魚に飯を詰めたり、おからを詰めたりして作るすがたずしを混同して呼んでいる。
イ 海の幸の料理
(ア)ひゅうが飯
東宇和郡明浜(あけはま)町(写真3-3-22参照)の伝統的な郷土料理としてひゅうが飯がある。明浜町は、宇和海のリアス式海岸の湾入部に発達した町である。
新鮮な魚を刺身にして、卵入りだし汁と一緒にご飯にかけて食べる料理をひゅうが飯と呼ぶ。その名前の由来には次のような諸説がある。
その一つは、藤原純友率いる船乗りたちが、船の上で火を使わない料理として食べ、彼らの本拠地である日振島(ひぶりじま)(宇和島市)の「ひぶり」がなまったという説。また明治20年代から大正初期にかけて、明浜町では織物業が盛んであり、その織物が明浜町の行商人たちによって高知、九州方面各地に販売されていた。そのなかで日向(ひゅうが)(現宮崎県)に行っていた明浜の人々が集まってこの料理を作ったことから名付けられた、という説もあるようである。
明浜町の狩江(かりえ)地区で生まれ、現在宮之浦(みやのうら)地区で民宿を営む**さん(昭和14年生まれ)に聞いた。
「昭和20年(1945年)代~30年代にかけてホウタレ(カタクチイワシ)が多くとれました。私は子どものころ、父親がとって来たホウタレを手でさばいて刺身にして、卵でとき、麦ご飯にのせて、醤油をかけてよく食べました。そのころは子どもですからひゅうが飯という名称など知りませんでした。
ひゅうが飯は魚と卵の新鮮さが大切です。ホウタレはこの明浜でよくとれましたから、庶民の味として古くからみんなが家庭で作っていたと思います。現在はアジが主ですが、魚と卵が新鮮でなくてはなりませんので、料理して保存しておくことができません。珍しくて、新鮮な料理ということで、お客様をもてなす料理としても伝えられてきたのだと思います。
卵は、一昔前までは大半の家がニワトリを飼っていて、生みたての卵が手に入りました。魚はタイ、ホオタレ、サヨリなど新鮮で刺身になるものなら何でもいいですが、私は何といっても地元明浜産のアジが一番だと思います。
宇和海でとれるアジは、春から夏にかけてが旬(しゅん)ですが、新鮮なものは刺身にする時に、三枚におろした後、皮を手ではぐとスーッと身からはがれます。これが鮮度の悪いものだと、身が崩れてしまいます。」
ひゅうが飯は南予地域の郷土料理であるが、地域によって呼び名も変わっている。北宇和郡津島(つしま)町、南宇和郡城辺(じょうへん)町、御荘(みしょう)町などでは魚・卵・ゴマ・ネギ・醤油・ショウガの六つの味をつけてご飯にかけることから「六方(ろっぽう)(六宝)」と呼ばれる。
宇和島ではタイの刺身を使う所からたい飯と呼び、中予地域・東予地域のたい飯とは料理の方法が異なる。
(イ)カツオのたたき
かつお漁の基地を持つ城辺町で忘れてならない伝統の味がカツオのたたきである。カツオのたたきは、さばいたカツオの身に塩やたれを軽くたたき込んで、味をなじませるところから、たたきといわれた。たれは醤油に酢やニンニクを入れて作り、生臭さや鮮度の落ちるのを防いだと言われている。
南宇和地域の味を残そうと努めている**さん(城辺町 昭和22年生まれ)に魚料理について聞いた。
「5月になると、城辺町深浦(ふかうら)漁港ではカツオが水揚げされ活気を帯びてきます。かつお料理といえばたたきが一般的ですが、その前身は焼き切れというものです。3枚におろしたカツオの皮身を少し強く焼き、身のほうも焼いて皮身から出る油を除き、中の身を色よく保つために水で冷やし、それを切って醤油で食べます。好みに応じてショウガやニンニク、ネギなどを添えていました。これが焼き切れでたたきとは別物でした。
たたきは、カツオの皮身と身の両面を焼いて切って、塩でしめて酢で殺して作ります。酢に漬けると色が白く死人のようになるので“酢殺し”といいますが、この辺りではよく使う料理法です。そしてまな板のうえでたたくのでたたきというのだろうと思います。それを皿に盛ってニンニク・ネギ・ショウガ・オオバ(青ジソ)などを添えて、酢、醤油などで作ったたれをかけて食べます。高知県から伝わった料理だと思います。
子供のころ、家が魚屋であったせいかさまざまな魚料理を食べました。冷蔵庫のない時代には、刺身で食べて、残った魚はどんな料理にしようかと、両親がさまざまな料理を考えてくれたのだと思います。魚全般についていえることですが、内臓を出すときに深く包丁を入れると胆のうなどをつぶして身が変色したり、臭みが付くことがありますが、これだけは避けています。カツオは開くときには土佐開きといって、尻尾(しっぽ)を握ってカツオを持ち上げ包丁を使っておろしています。まな板の上ではやりません。たたきや刺身も皿鉢(さわち)料理の一つです。宇和島の方では鉢盛料理といいますが、南宇和郡では皿鉢料理と言って高知と同じ呼び方をします。」
(ウ)茶飯
**さんは、茶飯について次のように語る。
「茶飯(茶がけ)は、もともと漁師の作る料理だったと思います。釣った新鮮なカツオを刺身にして食べて、その余ったものを醤油に漬けておいて、あつあつのご飯にのせてお茶漬けのようにして食べます。現在では、醤油、みりん、酒などで作ったタレに1時間ほど漬けたものを使います。そしてネギを入れたり、ゴマをすって使ったりして味を膨らませています。
茶飯によく似たものとして、この地域には六宝(六方)という料理がありました。現在でも受け継がれています。これは新鮮な魚なら何でもいいのです。卵ご飯を工夫したものといわれ、明浜町のひゅうが飯や宇和島のたい飯と同じです。夏場に多い料理の一つです。」
(エ)ヨメノサラのまぜご飯
『日本大百科全書』によると、ヨメノサラとはヨメガカサガイ(嫁傘貝)といわれる傘形貝のことである。北海道以南、本州を経て熱帯西太平洋に分布し、潮間(ちょうかん)帯(海の干満が影響する海岸領域)の岩礁にすむ。殻長50mm、殻幅35mm、殻高10mm程度の傘形で、殻の表面はざらざらしていて、色は黄、黒、褐色など変化に富み、斑点(はんてん)のある個体が多い(③)。
**さん(内海村柏 昭和5年生まれ)によると、「私の若いときには、磯に行ってたくさんとってきて混ぜご飯にしていました。小さな蛇(じゃ)の目傘のような形で、アワビのように磯の大きな岩などにぴったりとくっついていて、潮が引いたとき簡単にとれました。皿が浅いことから嫁が皿、嫁の皿など嫁いびりの例えになったとも聞いています。熱湯をさっとかけると身がすぐにはずれ、それを他の野菜類とともに、まぜご飯の具としていました。ゆでて酒の肴(さかな)などにもしていました。」とのことである。
写真3-3-20 鉢盛料理 鉢盛料理は、地域や家族ごとにきわめて多様性に富んでいて、それこそが、食文化の豊かさや広がりを象徴している。宇和島市住吉町。平成15年9月撮影 |
写真3-3-21 フカとハモも湯ざらし 平成15年9月撮影 |
写真3-3-22 ひゅうが飯の里 明浜町 明浜町高山。平成15年10月撮影 |