データベース『えひめの記憶』
遍路のこころ(平成14年度)
(1)現代の遍路諸相
ここでは、一番霊山寺に置かれた歩き遍路の記帳ノートの調査、平成12年の愛媛県生涯学習センターによる遍路へのアンケート調査(以下「平成12年本センター調査」と略す)、同じく今年(平成14年)実施したバス遍路へのアンケート調査(以下「平成14年本センターバス遍路調査」と略す)を基に探った。
ア 巡拝の移動手段と遍路人数
四国遍路者数は、年間10万人とも20万人とも言われ、中には30万人と記す新聞(②)などもあるがその実態はなかなかつかめない。伊予鉄順拝センターの**さん(昭和7年生まれ)は、「現在の遍路は年間約15万人、そのうち歩き遍路が約5~6千人、マイカーが約3万人から4万人、残りの11万人ほどが巡拝バスによる。」と推定し、瀬戸内運輸㈱巡拝バス担当の**さん(昭和28年生まれ)は、「遍路は約20万人、そのうちバス遍路が約50~60%、あとは自家用車、レンタカー、そして歩き。歩き遍路は3千人ほどだろう。」と言う。また、七十五番善通寺にある四国霊場会事務局に尋ねると、「確かなものではないが遍路は15万人くらいか。」との話であるが、それぞれが私的な推測という。また、移動手段別に分類すると、バス遍路が50~70%、自家用車その他などが30~40%、歩き遍路が2~5%ほどとの印象を、バス関係者は持っているようである。
この移動手段について、「早稲田大学道空間研究会」(以下「早大道研」と略す)の調査(平成8年)によると(③)、調査対象の1,237人中、「車やバス中心」の遍路が78.9%、「徒歩のみ」の者が10.8%「車や鉄道が主だが所によっては歩く」者が3.5%、「徒歩が主だが車・鉄道も利用する」者が5.0%、「不明及びその他」が1.8%である。概略で言えば、車主体の遍路が80%、徒歩遍路が11%、その併用者が8.5%である。この調査を受けて、早稲田大学の坂田正顕氏は、「これまで巷の印象で語られていた歩き遍路は約1%ないし数%程度という俗説にくらべてかなり多いものである。(④)」と記している。
さらに、「早大道研」の調査によると、徒歩以外の乗物利用の割合は、「大型バス」が45.3%、「マイクロバス」が17.3%、「乗用車」20.1%、「タクシー」が9.3%、「バイク・自転車」が1.8%、「電車・路線バス」が5.0%、「不明及びその他」が1.1%だという(⑤)。巡拝バスや自家用車が主流とはいえ、移動手段も多様化しているといえる。
(ア)歩き遍路
四国遍路の増加が言われる中、特に歩き遍路の増加が注目されている。一番霊山寺には、昭和63年(1988年)から、歩き遍路を対象に、記帳日・氏名・住所・年齢・電話番号等を記すノートが置かれた。当初は1冊だったノートが、平成13年からは本堂と奥殿(大師堂の裏の建物)の2か所にそれぞれ1冊ずつ置かれ、歩き遍路の誰でも、記帳することができる。多くは巡拝の出立のときに書いているが、結願後のお礼参りで記入している人もいる。ここでは、霊山寺に残された、歩き遍路の記帳ノートを調査(平成14年10月・平成15年1月)した結果について言及する。
a 最近10年間の月別歩き遍路者数
次の図表4-1は、最近10年間の記帳者数をまとめたものである。最下段には、遍路者数の増減傾向が一覧できるように、平成5年を100として、各年の遍路者数を指数で示した。この月別記帳者数の集計は、その月に四国を歩いていた遍路者数と必ずしも一致するものではない。たとえば、1月下旬の記帳者は、むしろ2月中に歩いたともいえ、また区切り打ち(四国八十八ヶ所を何回かに分けて〔区切って〕参拝する方法)の場合は、1月1日の記帳でも、その月とは隔たった他の月、あるいは別の年に歩いていることもあるからである。なおノートには、昭和63年から平成4年までは、各年の最後に263人、137人、240人、670人、450人という記帳者の人数が鉛筆書きで記されている。
この図表からは次のようなことが分かる。
○ 歩き遍路人数は平成5年の443人(今ほどに記帳ノートの存在が知られていなかったことも考慮すべきであろうが)
に比べ、平成13年で4.5倍、平成14年は6倍近くの増加ぶりである。
○ 年別に見ると平成6年が最も少なく平成8年は前年からの増加率が高い。平成6年は四国地方の異常渇水の年、平成
8年は阪神大震災の翌年である。供養など鎮魂の巡拝者が多く居たのであろうか。平成10年に急増して1,000人を超
えて以来、記帳者数は平成10年以前の増え方をはるかに超えて確実に増え続け、平成13年はついに2,000人を超え、
平成14年は2,555人が記帳している。しかもこの数は、前述したように、多くは巡拝出発の時に記帳した者の数で
あって、記帳していない遍路者がその他にも大勢いると思われる。ちなみに早大道研の平成8年の調査では、一番霊山
寺を起点とする歩き遍路は57.5%であったという(⑥)。それらを合わせて考えると平成14年は、少なく見積もっても
3,000人を超える歩き遍路がいたと推定される。また、年ごとに歩き遍路が多くなったという世間一般の印象は、図表
の数字からも裏付けられるのである。
○ 月別・季節別に見ると、全体的には3~5月の春の遍路が最も多く、後は10月、8月と続く。平成13年からは、1
月以外は各月共に100人を超え、8~10月の夏・秋も200人を超えようという勢いである。その意味では、今も春の遍
路が多いのは変わりはないが、1月以外は季節を問わぬ歩き遍路の増加ぶりである。
b 平成13年の歩き遍路者数
霊山寺の記帳ノートの平成13年分を、月別・年代別・男女別にまとめたのが図表4-2である。
この表の作成については、次のようにした。
○ ノートには性別の記入はない。名前からの判断であり、幾分誤差はあると思われる。
○ 割合の記述については、月別比欄は総計の2,018人に対するものである。また男女別の年代別比欄は、それぞれ年齢
の判明した男1,255人と女447人に対する割合であり、最下段の年代別比欄は年齢の判明した1,702人に対する割合で
ある。
○ 性別不明者19人はすべて外国人である。アメリカ5人・韓国2人・台湾1人・タイ1人・カナダ1人、その他不明
9人である。20代8人、30代3人、40代2人、50代3人、年齢不詳3人の19人で、全体の約1%である。この図表
は男女別表記にしたので、年代欄からは除外して別枠とした。
この図表から以下のようなことが分かる。
○ 男女別では、男性(1,458人)は女性(541人)の数の約3倍である。
○ 年代別では、男性は、60代が30%で一番多く、20代が25%、50代が19%と続く。 30・40代は10%ほどである。
70代が6%、10代が2%であり、80・90代が合わせて0.3%いる。女性は、50代が31%と一番多く、60代が23%、
20代が20%と続く。30・40代は9%である。
男女合わせると、60代28%、20代24%、50代22%で、50・60代が多いが、男性は60代、女性は50代が中心で10
歳のずれがある。70代以降は男女共に急激に減少する。また30・40代は10%以下と少ない。20代の男性は夏8月が
圧倒的に多い。長期休暇を利用した学生遍路の増加が推定される。30・40代の少ないのは、体力的な問題とは別に、
仕事や子育ての忙しさが関係するのであろうか。また60代男性が多いのは、定年後の生き方など転機を求める姿であ
ろうか。
○ 季節別では、春(3・4・5月)が32.2%で最も多く、秋(9・10・11月)は29.5%、夏(6・7・8月)は
24.6%、冬(12・1・2月)は13.7%で最少である。年代と季節との関連では、10代から40代までは夏が多く、
60・70代は春・秋が多く夏は少ない。50代は秋が一番多く、夏・春と続く。各年代共に冬は少ない。
○ 月別のベスト5は、3・4・10・9・8月である。月と年代の関連で見ると、8月の20代男性の46%や10月の60
代男性の42%が目立つ。
c 平成13・14年の都道府県別歩き遍路者数
霊山寺の記帳ノートの平成13年分(図表4-3)と14年分(図表4-4)による歩き遍路の都道府県別人数の多いところは表の通りである。13年が8・9位の京都・北海道は、14年は81人で共に11位である。14年が9位の岡山は13年は40人で14位である。この2年間の合計で見ると、7位までは14年と同じ順位で、8位以下は京都、福岡、北海道、広島、岡山と続いている。上位はかなり固定しているようである。なお図表には表示していないが、記帳者は全都道府県にわたり、そのうち最も少ないのは青森・鳥取の3人(14年は青森の4人)で、遠く北海道から66人(14年は81人)、東北6県からも47人(14年は69人)、沖縄からも6人(14年は12人)の記帳が見える。歩き遍路を目的として四国にやってくる人がいかに全国に広がっているかがよく分かる。13年の場合、全体の2,018人(14年は2,555人)中、東京・大阪が200人以上と突出し、大都市を抱える地域からの人数が多い。14年は全体的に増加し、兵庫県が200人を超えたが、全体としての傾向はあまり変わらない。
また13年の四国は、香川49人、高知29人、徳島27人、愛媛24人の合計129人で全体の6.4%の記帳者数である。14年は、香川54人、徳島48人、愛媛46人、高知19人の計167人で全体の6.5%となり、13年と同様の比率である。
(イ)バス遍路
「団体バスの利用は安い、早い、便利の三拍子揃っているので、その普及は自然であった。(⑦)」と言われるように、昭和28年(1953年)に伊予鉄道㈱が、昭和31年に瀬戸内運輸㈱がバス遍路を始めて以来、特に昭和40年代以降はバス遍路が急増してきた。伊予鉄の順拝バスの運行は、昭和28年1台、30年5台、40年100台、50年600台、60年955台と記録されている(⑧)。現在は道路の整備、あるいは移動手段の多様化などによって大型バスによる遍路から、「乗用車(マイカー)やマイクロバスなど個人のあるいは小集団による遍路行が増えている傾向がある。」という報告がある(⑨)。
ところで、徳島県那賀郡鷲敷(わじき)町にある四国ケーブル㈱太龍寺ロープウェイ事業所が、二十一番太龍寺へのロープウェイを利用した、バス遍路の推移を調査したデータがある。次の図表4-5は、そのデータを基に作成したものである。
これには、「15人以上の団体に限り集計」とあるが、全体としてバス遍路人数の推移をよく伝えるデータである。これによると、平成7・8・9年が全体的に少ないが、平成13年は約5万9千人で、平成6年と比べると2万4千人の増加である。四国地区の遍路は約2万人前後で推移しているが、中国地区や近畿地区の巡拝バスの利用客は年ごとに増加を続け、特に平成12年からは急激に増加して、それぞれ前年の2倍、3倍の数である。
ことに近畿地区からは、平成6年から9年ころまで、年間3千人ほどで推移していたものが、平成12年には、平成6年に比べて5倍近く、平成13年には7倍に増加している。これは、神戸淡路鳴門自動車道の開通、四国の高速道路を結ぶXハイウェイの開通など高速道路網の整備やNHKによる「四国八十八か所」の全国放映などマス・メデイアの影響が大きいと思われる(⑩)。また、四国ケーブル勤務の**さん(昭和24年生まれ)は、「海外への旅行が危険視されるなどで、バス旅行者を四国遍路へ勧誘する状況もあり、様々な条件が重なっての結果でしょう」と語っている。
巡拝バス利用客について、伊予鉄順拝バスセンターの**さんは、現在の遍路は約15万人で、そのうち、11万人ほどが巡拝バスによると推定している。そして、「平成に入ってから今まで伊予鉄の順拝バスの台数は、年間では大体1,000台ほどで推移しています。」と言う。また瀬戸内運輸の**さんによると「瀬戸内運輸の巡拝バスは年間で約1,000台出している。」とのことである。
ところで巡拝バスには、日帰り、1泊2日、2泊3日から3泊4日ずつ4回で回る一国(いっこく)参り(四国を四つに区切って1国〔1県〕ずつ参拝する方法)や全体を6泊7日ずつ2回に分けて回るような区切り打ちもあれば、11泊12日で全札所を1回で通して参拝するような通し打ちもある。しかもそれらを組み合わせて巡ることが出来るように多様化された巡拝方法が取られている。**さんによると、日曜日を利用した日帰りの「日曜遍路」(毎月、1~2回の日曜日を利用し、1年かけて15回前後で四国八十八ヶ所を参拝する方法)を昭和53年(1978年)から始めて好評で続いているが、平成5年に水曜日1日の「平日遍路」を企画したところ、初回にバス3台もの参加者があり、予想以上の人気に驚いたとの話である。月刊新聞『へんろ』には、「日曜日は孫が家に居るので平日のほうが好都合」などの声が強かったと報じている(⑪)。**さんの話では、高齢者のバス遍路志向の高いことの現れともいえ、この傾向はますます強くなっているとのことである。また、現在は日帰りを中心に、遠い霊場の場合の1泊2日を組み合わせて、十数回で結願できる区切り打ちが圧倒的に多くなっている。ことに近畿・中国地方からの巡拝バスはその傾向が著しい。つまりバス遍路については時間短縮型の遍路が多くなったという。
(ウ)1年間の遍路総数
1年間の正確な遍路の総数をつかむには、それぞれの霊場あるいはその周辺において1年間の巡拝者を調査するほかない。その意味では、前述の太龍寺へのロープウェイ利用客数も一つの参考データである。平成13年の58,801人を約6万人とするなら、前出のバス関係者の言うバス遍路が全体の50~70%と考えて計算すると、全体で約9~12万人の遍路の総数となる。また、平成4年と6年に六十四番前神寺の1年間の納札を西条市在住の秋山節男氏が調査した結果、平成4年には106,486枚(⑫)、平成6年には108,630枚(⑬)あったとの報告がある。その数を踏まえたとき、平成5年以降の瀬戸内海の架橋の完成、Xハイウェイの開通などの高速道路網の整備、あるいはテレビ放送の影響などによる遍路の増加、また前述の太龍寺へのバス遍路などのロープウェイ利用客数で、平成6年から平成13年への増加者が2万人を超えていることなどから推定すると平成13年の遍路の総数は13万人ほどにもなると思われる。ただ、区切り打ち、特に日帰り遍路のバスや自家用車の増加を考えると、巡拝のバスや自家用車に出会う機会が多くなり、迎える側の人々にはその数字以上に増加した感じがすることも考えられる。
イ 移動手段別に見た年代別・男女別遍路の割合
次の図表4-6は、平成12年本センター調査のうち、性別・年齢の判明した、「歩き遍路」92人、「自家用車遍路」295人、および今年(平成14年)5月から9月にかけて本センターが調査した4台のバス遍路(愛媛県内2台と大阪府・岡山県の各1台)へのアンケートの回答者121人のうち、性別・年齢の判明した107人を取り上げて、年代別・男女別の割合を示したものである。
これによるといくつかの特徴が見える。
○ 「歩き遍路」は、男女とも50・60代が多く、20代がそれに続く。特に男女共に20代は、他の移動手段による遍路に
は見られない割合の高さである。
○ 「自家用車遍路」は、男女共に50代が中心で、60代がそれに続く。
○ 「バス遍路」は、男女共に60・70代が多く、80代が続く。19歳の1人は、たまたま仕事で参加した者で、他に若者
の姿は見えない。
○ 年代別に見ると、10代は非常に少ない。 20代は歩き遍路で高い割合を占める。30代はどの移動手段でも10%以下
である。40代は自家用車では14%であるが、他の手段では10%以下である。50代は自家用車と歩き遍路が中心であ
る。60代は歩き遍路とバス遍路の中核を構成する。70代はバス遍路が中心、80代はバス遍路のみで他の移動手段を用
いる者はいない。
○ 男女別では、歩き遍路については、男性が約3分の2、自家用車遍路も男性が約6割を占める。
一方バス遍路は逆に女性が約3分の2を占めている。
ウ 移動手段と遍路形態
遍路形態として、一人か、夫婦・家族、あるいは、グループで行うかということがある。以下は、平成12年本センター調査によるもので、図表として表示はしていないが次のような結果である。
○ 歩き遍路は一人で行う者が、全体(92人)の74%を占め、また夫婦・家族での巡拝は13%、グループ遍路もわずか
ながらいるが、これは60・70代の高齢の女性である。
○ 自家用車遍路は一人で行う者が、全体(295人)の13%、男性が18%、女性が3%で、女性の一人遍路は非常に少
ない。また、夫婦・家族での遍路は67%と目立って多い。グループ遍路は17%で、親戚・近所・仲間等と共にであろ
うか、一人で行くより割合が高い。特に女性の場合、20~40代は12%、50~70代は25%で、高齢になるほど割合は
高い。
○ バス遍路は一人で行う者が、全体(36人)の8%、夫婦・家族での遍路は11%、グループ遍路が75%を占めている
のが特徴的である。
○ これらを総合すると歩き遍路は一人が中心、自家用車遍路は夫婦・家族、バス遍路はグループ中心の傾向といえよう
か。
工 移動手段と遍路装束
遍路装束については、平成12年本センター調査によると、遍路装束または一部遍路装束の巡拝者は、歩き遍路で85%、バス遍路で83%、自家用車遍路が47%であり、自家用車遍路だけは格段に少ない。自家用車遍路でも、40代までは24%と少ないが、50代以上では57%の者が遍路装束を身につけている。なお、バス遍路については平成14年本センターバス遍路調査では、遍路装束と答えたのは87%、無答が9%いるが、普段着の遍路は4%だけである。
オ 移動手段とお接待
平成12年本センター調査によると、お接待は50%の者が体験しているが、移動手段別に見ると大きな差がみえる。つまり、歩き遍路の93%が受け、自転車・バイク遍路は64%、タクシー・マイクロバス遍路は41%、自家用車遍路は40%、バス遍路は36%がお接待を受けている。これは歩き遍路が道々の個人のお接待も受けるのに対し、乗物遍路ではそのチャンスが少なく、霊場などでのお接待を中心に受ける者が多いためであろうか。そう考えると、同じ遍路とはいえ、道中や霊場におけるお接待の印象は、遍路の移動手段によって違ってくるかとも思われる。また、お接待も日常の生活の中でのお接待とは異なる遍路のための霊場などでのお接待が結構行われているともいえる。
図表4-1 霊山寺の記帳ノートによる最近10年間の月別歩き遍路者数 霊山寺の歩き遍路記帳ノートより作成。 |
図表4-2 霊山寺の記帳ノートによる平成13年の歩き遍路者数 霊山寺の歩き遍路記帳ノートより作成。 |
図表4-3 平成13年歩き遍路都道府県別ベスト10 霊山寺の平成13年の歩き遍路記帳ノートより作成。 |
図表4-4 平成14年歩き遍路都道府県別ベスト10 霊山寺の平成14年の歩き遍路記帳ノートより作成。 |
図表4-5 太龍寺ロープウェイの乗物別四国八十八ヶ所巡拝利用人数 15人以上の団体に限り集計。四国ケーブル提供の資料より作成。 |
図表4-6 年代別・男女別人数の割合 平成12年および平成14年本センター調査より作成。 |