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伊予の遍路道(平成13年度)

(1)香園寺から宝寿寺へ

 ア 陣屋町を経て宝寿寺へ

 香園寺は「子安大師」ともいわれる。この「子安大師」の呼称は、弘法大師が四国巡錫(じゅんしゃく)の際、香園寺で難産に苦しんでいる女人を加持したところ、女人は無事男の子を安産したことに由来すると伝えられる。一時衰退していたが、大正時代初めに、住職山岡瑞圓が子安講を創(つく)り、寺の再興をはかったという<27>。境内には、本堂と大師堂を一つにした大聖堂、子安大師堂、本地堂、鐘楼堂などが立ち並んでいる。参道右手には、昭和14年(1939年)10月に、香園寺を訪ねた種田山頭火が詠んだ<28>「南無観世音おん手したたる水の一すぢ」の句碑が立っている。
 香園寺もまた、神仏分離を経験した寺であるが、その時期・理由は他とは異なるようである。香園寺住職は歴代高鴨神社の別当職であったが、享和2年(1802年)7月17日に「別当退職願」を小松藩に差し出した。これに対して藩は、社中及び氏子中に確かめた上でこれを許したという。ここでは明治維新よりも半世紀以上も前に、神仏分離がなされた<29>わけである。
 また、香園寺は古くから遍路の便宜を図ってきた寺としても知られている。昭和7年(1932年)に遍路した漫画家宮尾しげをは、香園寺での食事風景やその後の幻灯会の様子、一枚の長い布団に8人まとめて寝るありさまを次のように記している。

   この寺では遍路に對し、無料で泊めてくれるといふので、遍路巡禮はワンサワンサと押し寄せる、私もその味を知る必要
  上、名札を書いて一宿一飯を願ふと、サアササアサで奥へ招かれる。(中略)
   何でも有難がつてしまふ年寄連と、食堂の卓の前に居並ぶ。子安講信者の婦人連が給仕してくれる。(中略)
   弘法大師の唐へ、経文研究に行く迄をチーンとベルを鳴らしながら、寫して見せる。場面が變わる毎に、あちこちから映
  寫幕へ物を投げる、よく見るとお賽銭である。半代記が終ると、日本全國の子供の寫眞が映る。「これは當子安大師様御信
  心のおかげで、病気災難をのがれました、何處そこの、何の何兵衛さんのお子さん何子さんであります」と一々説明が入
  る。おあとは子安大師の御座験物語り<30>。

 遍路道は、駐車場前の徳右衛門道標㊻及びその右に立つ道標㊼の指示に従って、参道を北東に進む。参道の中ほどにある子安橋を渡って100mほど進むと、前述の3基の道標㉕・㉖・㉗がある交差点に出る。舟山と三嶋神社の右側のあぜ道を北東に進むと、前述の利平道標㉓と茂兵衛道標㉔がある三嶋神社前に至る。道標㉔に従って東に100mほど進み藤木橋を渡り30mほど進むと、道は2方向に分岐する。右の道は、小松藩時代の陣屋町を通る遍路道(讃岐街道)、左直進の道は、現在多くの歩き遍路に利用されている道である。
 右の道を行き、東南に90mほど進むと「西町地蔵」を祀る地蔵堂がある。この地蔵は、享保8年(1723年)天然痘流行の際、町の人々が悪病の進入阻止祈願のために藩の許可を得て、町の東西南北の四つ辻(つじ)に建立した<31>ものであるという。さらに東南に進み、小松小学校の西南角で右折し50mほど進んで左折すると、藩政時代の中心街西町・中町に至る。その手前、**邸(新屋敷西町242)西に「右遍んろ道」と刻まれた道標㊽がある。
 遍路道は、西町・中町の町並みを250mほど東に進むと、道路右手に道標㊾が立っている。なお、近くにある小松町中央公民館の正面入口の右下にも道標㊿がある。昭和54年(1979年)の公民館開館とともに移設されたというが、詳細は不明である。宝寿寺への道は、道標㊾から東へ200m余り進み、四つ角を左折して、駅前通りを350mほど北に進み、国道11号を横切りJR伊予小松駅に至る。駅前交差点西側に「四国六十二番宝寿寺 四国六十三番吉祥寺」と刻まれ戦後に建てられた道標がある。駅前交差点を左折し、しばらく行くと宝寿寺に至る。山門前には、「一国一宮別當寶壽寺」と刻まれた大きな石柱が立っている。
 なお、讃岐街道をJR伊予小松駅に向かって左折せず、そのまま東進し、常盤神社角で左折し北に50mほど進むと小さな四つ角に出る。その隅に一の宮(宝寿寺)への道を示した道標(51)がある。

 イ 藤木橋より宝寿寺へ

 藤木橋を渡って分岐した道のうち、もう一本の現在遍路が多く利用する道は左側の直進路をとり30mほど進むと、道の左側ガードレールの奥に、茂兵衛88度目の道標(52)が立っている(写真3-3-15)。この道の50mほど北には並行して国道11号が通っている。小松町役場と小松郵便局の南側を過ぎて150mほど直進すると四つ角に至る。この四つ角にかつて立っていた、吉祥寺・香園寺・横峰寺・宝寿寺への道を示した道標(53)は、現在は宝寿寺山門前右側に移設されている<32>。四つ角を左折して国道を横切ると宝寿寺に至る。

写真3-3-15 新屋敷西町の分岐点と道標

写真3-3-15 新屋敷西町の分岐点と道標

平成13年6月撮影