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鬼北町

桂作蔵(1902〜1968)

 明治35年~昭和43年(1902~1968)初代近永町長・県会議員・衆議院議員。明治35年1月23日、北宇和郡旭村奈良(現広見町)で桂賢蔵の長男に生まれた。松山農業学校卒業後、小学校代用教員・農会技術員を務め、大正13年に農村青年党を組織して政治活動に従事した。昭和3年7月旭村助役になり、7年7月旭村村長に就任、3期連続在任して、16年11月初代近永町町長に選任された。6年9月県会議員に選ばれ、3期連続終戦時まで在職、民政党の闘将として活動,、18年12月~19年11月には副議長に選ばれた。村政で手がけた省営自動車の近永~大洲間運行開始、県立北宇和農業学校の設置、通産省アルコール工場の誘致などは県会議員としての政治力に負うところが大きかった。昭和21年4月戦後初の第22回衆議院議員選挙に進歩党から立候補、最高点で当選したが、わずか1年在職しただけで次の22年4月の選挙には立たず、政界を退いた。昭和43年7月31日66歳で没した。 43年4月多年の地方自治功労者として従五位勲四等瑞宝章が授与され、広見町役場前に胸像が建てられた。(『愛媛県史 人物』より)

①桂作蔵君像

①桂作蔵君像

北宇和郡鬼北町近永800-1